商売繁盛で笹もってこい

額田戎神社
額田戎神社

個人事業は1月から第22期目に突入。法人は2月期末で現在、第6期目を推移中です。というわけで、えべっさんへ家の近く額田戎神社へ。西宮戎から勧請したので西宮までわざわざ行かなくてすみます。大体、すいていますし(笑)。ということで商売繁盛よろしゅうお願いします!

朝ドラ「舞い上がれ」ロケ地

朝ドラ「舞い上がれ」、舞台が東大阪ということもあり家の近所がよく出てきます。例えば主人公が浪速大学に入学するシーンで桜咲く川の横を通学で歩くシーンがありますが、これは花園ラグビー場近くの恩地川。隣には東花園駅に出る近鉄の車両基地があります。この道を歩いても近鉄電車で遮断されていて、「そんなとこ歩いても、どこへも行けまへんで」と朝ドラを見ながらつっこんでいます(笑)。

枚岡公園
枚岡公園

人力飛行機編では坂道を自転車で登る自主練習するシーンが出てきますが、これは枚岡公園への上り坂。私の散歩コースですがなあ。坂の近くに「森のおもちゃ箱」という滑り台などの遊具もあり週末は家族連れでにぎわっています。

立売堀

大阪の難読地名である立売堀(いたちぼり)の近辺で最近、仕事をしています。

立売堀川
立売堀川

名前の由来は諸説ありますが、その一つが大坂の陣。この地域を陣地にしていたのが伊達政宗。大坂夏の陣では、「道明寺の戦い」で後藤又兵衛らと戦います。遅れて到着した真田信繁とも交戦しますが、後退を余儀なくされます。

陣地にしたので堀を作っていましたが、堀跡を掘り進んで川としたことから伊達堀(「だてぼり」が「いたちぼり」に変化)と呼ばれるようになります。この川の沿岸で材木の立売(たちうり)が行われるようになり字を立売堀と改めますが、読みは「いたちぼり」のままなので難読地名となりました。

江戸時代の大坂は水運が発達し川だらけで、ここから西に流れていたのが立売堀川です。近くには2つの川が交差し四つの橋がかけられた四ツ橋がありました。

古河大阪ビルディング

今日は久しぶりに都会でお仕事(笑)。

古河大阪ビルディング
古河大阪ビルディング

堺筋本町界隈はオフィス街ですが高層建築というとタワマンばっかり。さすがに中ノ島界隈はオフィスの高層建築がけっこうあり都会の雰囲気です。大阪もようやく涼しくなってきたこともあり、紅葉がすすんでいます。

中之島フェスティバルタワー・ウエストに上がってきました。橋の向こうにサントリービルが見えるのですが古河大阪ビルディングは更地になっていました。SRAでシステム開発していた頃、分室があり徹夜などもよくやっていたのですが、なくなってしまいましたね。

竹内街道の始点

竹内街道の始点
竹内街道の始点

南海・堺東駅の南東にあるのが竹内街道の始点。

大坂・天満橋の渡辺津から熊野三山を結ぶ街道が熊野街道です。堺あたりでは西高野街道と一緒になっています。南に向かう熊野街道(西高野街道)から東に分岐して竹内街道がはじまります。竹内街道ができた古代は、海がかなり入り込んでいたので、このあたりが始点だったのでしょう。大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)などは海岸沿いに南北に築かれ、海から見えるランドマークでした。

難波大道(竹内街道)

金岡神社
金岡神社

竹内街道は飛鳥と難波京を結ぶ道ですが、難波京からまっすぐ南にのびていた難波大道(朱雀大路)と交差していました。交差していたのが堺の金岡神社あたりで、付近には「大道町」の地名が残っています。この神社が難波大道の南端という説もあります。

難波大道は一部が発掘され幅19mあったようです。摂河泉(摂津、河内、和泉)の境が一部、直線になっていますが難波大道に沿っていたようです。難波大道の東側が河内国、西側が和泉国になります。金岡神社は大和絵を確立した巨勢金岡を祀る神社です。巨勢金岡は平安時代の人物で巨勢氏は武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰を始祖とする氏族ですね。

竹内街道

竹内街道
竹内街道

飛鳥京と難波京を結ぶ最初の官道です。つまり国道1号線です。横大路が三輪山の南から葛城市の二上山まで東西にほぼまっすぐに設置され、竹内峠を越えてから難波に入り、古市あたりから、またおおむね東西にまっすぐな道になります。

というわけで古市駅から堺東駅まで竹内街道を歩いてみました。Googleマップが優秀で、ちゃんと道を教えてくれます。大体、3時間半で2万5千歩ほどになりました。古市古墳群から百舌鳥古墳群へ至るコースでもあります。もっとも古墳を見ても単なる森にしか見えませんが、知らんけど。

枚岡神社 秋郷祭り2022

枚岡神社・秋郷祭2022 3年ぶりの開催です。

枚岡神社 秋郷祭り2022
枚岡神社 秋郷祭り2022

一番の見どころは枚岡神社への宮入のために麓の鳥居から急坂を登り近鉄・枚岡駅の踏切を超えるところです。電車の合間を狙って23台もの布団太鼓台を通過させないといけないので近鉄職員も大変。踏切を超えたところから、また急坂になっていて、これを1トンを超える太鼓台を担いでいきます。

祭りは10月14日、15日固定で、今年はうまく土曜にあたり、ラッキーでした。屋台もずらっと枚岡駅から額田駅まで並び、いつもの祭りの賑わいが戻ってきました。来週は石切さんのお祭りですねえ。

教興寺の戦い(東高野街道)

東高野街道は昔から戦の舞台になりましたが、その一つが教興寺の戦い。

教興寺
教興寺

三好長慶と畠山高政との戦いです。最初は畠山勢が有力で古市にある高屋城を奪還し、飯盛山城に籠城している三好長慶を攻めます。三好の本拠地である阿波から援軍が尼崎に到着し、三好長慶や松永久秀と郷亮右。教興寺に陣取る畠山方の紀伊国人・湯川直光(御坊にお城があります)と根来衆に攻めかかり、湯川直光が討ち死にしたことから総崩れになります。

教興寺の戦いで勝利した三好氏は、大和・南河内から畠山氏の勢力を排除し、松永久秀は大和に入って、反三好勢力の城を攻めます。敵対勢力の一つが筒井氏で大河ドラマ「麒麟がくる」で描かれていました。

横小路(東高野街道)

街道をゆく 東高野街道

京都から高野山への参詣道として用いられた街道で、河内国にはいると北から南までまっすぐな道で少し微高地になっています。近鉄の安堂駅から枚岡まで3時間ほど歩きましたが、真っすぐな道です。

横小路(東高野街道)
横小路(東高野街道)

江戸時代、大和川の付け替えが行われるまで東高野街道のすぐ西側を大和川が流れていましたので、軍勢はこの街道を通るしかなく戦の舞台となりました。南北朝時代の四条畷の合戦が有名です。大坂夏の陣では京都から東高野街道を南下する徳川軍に向けて若江に出陣したのが若い木村重成です。大河ドラマ「真田丸」では白石隼也が演じていました。

対峙したのが藤堂高虎、井伊直孝です。東高野街道の西は湿地帯だったのですが、この横小路は生駒山から古道になっていて若江につながっていましたので、木村重成は、この道を狙ったかもしれません。藤堂軍の右翼を破りましたが井伊軍との戦闘の末に戦死します。この横小路をまっすぐ西に行くと木村重成のお墓があります。