額田、喜里川は松平容保の知行地だった!

額田駅
我が家の隣町が額田と喜里川で、枚岡神社の秋郷祭ではそれぞれ町から太鼓台が出ます。
先日、額田の歴史を調べていたら豊臣時代は長束次郎兵衛が奉行としておさめていて、徳川時代は代官でしたが、幕末の慶応2年に松平容保の知行地になっていました。
松平容保!!
って、あの会津藩の松平容保!
そうです、新撰組の生みの親の松平容保です。
幕末の京都は勤王浪士のテロで治安は最悪でしたので、会津藩主・松平容保が京都守護職に任じられます。しかし京都を守るためには金が要ります、そこでその賄いの知行地として喜里川村と額田村があてられました。
しかも、金だけでなく会津藩の人足が各村に割り当てられたので、それぞれの村から、費用村持ちで、京都に詰めなければならなくなったそうです。東大阪の我が家の一角も幕末の動乱に巻き込まれていたんですねえ。

蛤御門

蛤御門
昨日、京都まで行ったので久しぶりに蛤御門を見てきました。地下鉄・丸太町駅を上がると、すぐ御所ですので、少し歩いたところに蛤御門があります。
幕末に禁門の変(蛤御門の変)が起きたところです。政変で京都を追放された長州藩が、御所の会津藩、薩摩藩を攻めた事件ですが、結局、長州は負けてしまい、朝敵となってしまいます。松下村塾の久坂玄瑞、寺島忠三郎は鷹司邸で自害。入江九一は鷹司邸を出たところで討ち取られます。大河ドラマ「花燃ゆ」では東出昌大が久坂玄瑞、鈴木伸之が寺島忠三郎、要潤が入江九一役でした。
蛤御門の周辺が長州との激戦地となり、門柱には弾痕が残っています。結局、京都市街も焼けてしまい、”どんどん焼け”と呼ばれています。京都人が”先の戦”というと太平洋戦争ではなく、蛤御門の変と答える逸話が生まれることになります。
主戦派だった真木和泉は敗残兵と共に天王山で戦いましたが敗退し、自害します。JR山崎駅から秀吉が造った山崎城へ登る途中に「十七烈士の墓」があります。

スプーン作り

スプーン
昨日は船場総研(中小企業診断士の集まり)のイベントで秋の京都へ。
地下鉄・丸太町駅に集合し、家具で有名な夷川通へ。稲井ビルディング2Fに、クリエイター達が集まるお洒落なABSという場所があります。まずは、ここでスプーン作りのワークショップ。
美山在住の木工屋さんsola works代表・鈴木さんの指導のもと、荒削りしたスプーンを形にしていきます。何十年ぶりかに持つ彫刻刀やナイフ、豆カンナで悪戦苦闘。ふだんはよくしゃべるメンバーが黙々と誰もしゃべらずに集中して仕上げていきます。
ウーン、仕事よりも集中しますねえ。(笑)途中、2名ほどケガ人が出ておりました。最後に紙やすりをかけてニスみたいなものを塗って、完成です。
第2部はABSに入っているconnectさんやmisoさんによるプレゼン。終わってからはいつものように宴会でした。

織田有楽斎の近くにいた片桐且元

茨木
織田有楽斎の領地だった摂津・味舌を通っていたのが亀岡街道。亀岡街道は、大阪から北摂を経由して丹波の亀岡に向かう街道です。亀岡街道は味舌から5kmほど北に行った茨木城の近くも通っていました。
織田有楽斎が味舌を領していた頃の茨木城・城主は片桐且元と弟の片桐貞隆です。方広寺鐘銘事件の処理などで大坂方から疑われ、結局、徳川方についたあの片桐且元です。
片桐且元、織田有楽斎ともに大坂城につめていたので領地では会わなかったかもしれませんが、けっこう近接した場所でした。茨木城から京都寄りにある高槻城は大坂の陣の頃、徳川氏の直轄地になっており、大坂の陣で高槻城は補給基地となります。南の兵站基地は堺で、こちらは大坂方に焼きうちされます。

摂津の織田有楽斎

摂津市
大阪府よろず支援拠点の出張相談で摂津商工会へ。写真は阪急摂津市駅から商工会へ続く遊歩道で小川が流れています。
摂津商工会は摂津市にありますが、摂津といえば昔の国名で摂津国です。現在の大阪府と神戸などを含む兵庫県の東側が摂津国でした。よくこんな国名を市の名前につけましたねえ。他の市からクレームはでなかったんですかねえ。まあ三重と言えば伊勢の国ですが、伊勢市とつけたりする事例もあることはあります。
昔から要衝の地で、摂津市商工会から少し行った味舌(ました)をおさめていたのが織田有楽斎です。大河ドラマ「真田丸」では井上順が演じています。豊臣秀吉の時代、現在の摂津市の味舌で2千石を知行していました。関ヶ原の合戦では東軍で戦い、大和国山辺郡に恩賞として2万7千石を加増され、味舌とあわせて3万石を領し大名となります。真田丸に出ている今はこの3万石時代です。
織田有楽斎はお茶を千利休に学び、利休十哲の一人です。津にある真宗高田派・専修寺の庭に茶席「安楽庵」があり、伏見城から移築されたと言われていますが、茶席の名前は、千利休の長男・ 道安と有楽斎から命名されています。織田有楽斎が江戸に構えた屋敷跡が明治時代になって有楽町となって現在に続いています。

塩浜

塩浜
三重県よろず支援拠点の出張相談でAMIC(高度部材イノベーションセンター)へ。
AMICの最寄駅は塩浜駅になります。全国各地に塩浜という地名がありますが、塩浜の地名があったところは昔、塩田がありました。塩浜には揚浜式・入浜式の2種類があります。
■入浜式とは
揚浜式は海から汲んで来た海水を塩田に丹念にまいていく方式で、けっこう重労働。入浜式は潮の満ち引きを利用して海水を自動的に浜に引き入れます。楽なんですが浜に堤防(プール)を作る設備投資が必要で資本がいります。
二見町にある伊勢神宮の塩田は入浜式になっています。入浜式は遠浅の干潟があるような海岸で、潮の干満があうという条件が整わないと難しいですが瀬戸内海が条件にあっていました。なかでも赤穂の塩は最高級品で赤穂の討ち入りの原因の一つではないかと言われています。
塩は生活物資なので戦国時代には甲斐の武田信玄を苦しめるために経済封鎖が行われました。

上田秋成も訪れた河澄家

河澄家
足立氏館跡の近くにあるのが旧河澄家。2年ほど前から家屋や枯山水庭園が一般公開されています。東大阪の市政便りに載っていたのですが、ようやく行きました。
河澄家は南北朝時代にさかのぼり、江戸時代は日下村の庄屋をつとめていました。主屋敷の横に棲鶴楼という名前の書院造りの建物があり、ここから庭を眺めることができ文芸サロンになっていました。
怪異小説「雨月物語」で有名な上田秋成はよく日下村を訪れており、「山霧記」「鳴鶴園記」などの作品を残しています。この棲鶴楼にも立ち寄っています。
河澄家の場所は東大阪市日下町7丁目で、近くには安岡正篤の旧宅もあります。安岡正篤って言っても今の若い人には知られていないでしょうね。吉田茂、池田勇人、佐藤栄作、福田赳夫、大平正芳といった歴代総理の指南役だった人です。そうそう「平成」の名付け親が安岡正篤というのはガセネタのようですね。

家のすぐ近くにある足立氏館

足立氏館
朝から書類作成していましたが、午後は雨もあがったので自転車でお出かけ。
先日、東高野街道の歴史本を見ていたら阪奈道路近くに戦国時代の館跡があることを発見!”家の近くだ~”と行ってきました。場所は善根寺6丁目で阪奈道路の大阪側入口の近くです。象印大阪工場や神武天皇が奈良へ攻め入った盾津の碑が近くにあります。
戦国時代に織田信長・豊臣秀吉に仕えた足立昌成が、大坂築城の際には石奉行に任じられて、河内善根寺村に移り住んだそうです。近くには大坂城築城で使われなかった残念石が残っていますので、ここらへんの石材を切りだしていたんですね。2代目宗佐も普請奉行で、以後、足立氏は在地豪族となったそうです。
館跡ですが、平城になっていて敷地の周りは堀に囲まれ完存しています。Googleマップで見ても掘がよく分かります。今も敷地には人が住んでいるので入れませんが、外から堀が眺められます。こんな館跡がすぐ近くに残っていたんですねえ。

中之島図書館

中之島図書館
仕事が終わってから中之島図書館へ。
調べたい業界があったのでビジネス支援サービスへ行くと、いろいろと本やデータベースを調べてもらえました。こりゃありがたいと、せっせとコピーしておりました。ビジネス系に調べものをするのに中之島図書館はとっても便利ですよ。
■野口孫一
3階で「中之島図書館と野口孫一の建築術」(無料)という展示をしていました。中之島図書館には中心にドームがあり、古代ローマのパンテオンのようですが、これを設計したのが野口孫一。
欧米では知の殿堂に後期ルネサンス様式を採用していますが、もともとがパンテオンがモデルなので、重厚な建物になるんですね。展示は11月末までです。日中、中之島図書館へ来るのは本が目的の人は半分で、重厚な建物を見に来る観光客が半分といったところです。
帰りに大阪コーナーをのぞくと、「幻の高安城」の記録本が2冊あり、ひたすら読んでいました。(笑)

千利休屋敷跡

千利休屋敷跡
昨日、遠里小野の環濠を見た後、すぐ近くを走っているチンチン電車(阪堺電車)に乗って堺へ。
宿院ちかくに新しく「さかい利晶の社」という施設が出来ていました。利晶って、なんのこっちゃいなと思っていたら千利休と与謝野晶子なんですね。なかなか贅沢な施設で隣にはスターバックスもありました。「さかい利晶の社」のすぐ隣にあるのが千利休屋敷跡。ここは昔と変っていなく井戸などが健在でした。
新しく碑ができていて、碑によると千利休の祖父は千阿弥といい、足利義政の同朋衆と書いてありました。同朋衆というのは将軍のそばで雑務や芸能にあたった人々で、猿楽能の観阿弥も同朋衆です。茶道は利休からなんで、なんの芸能で仕えたのかなあ。
千家はもともとは田中家だったんですね。この田中家は新田里見氏の一族といわれています。