中小企業診断士の登録証

中小企業診断士の新しい登録証が届きました。

中小企業診断士は5年更新で、これで4回目。取得してから20年が経過したことになります。ちょうど取得した時に中小企業指導法が中小企業支援法となり、「中小企業診断士の登録等及び試験に関する規則」という省令が出て、経済産業大臣が登録する国家資格となりました。

中小企業診断士試験が大幅変更されたので、これ以降の診断士をニュータイプと呼んでいましたが、20年もたつとニュータイプでもないなあ(笑)。

還暦を超えたので大阪中小企業診断士会の委員は退任させてもらったのですが、三重県中小企業診断協会の委員は「若手なんで辞めちゃあダメ」と言われ続けています。そろそろ退任させてくれないかなあ。

Zoom無料版に時間制限 5/2から

  • Zoom無料版を1対1で使う場合、時間制限なしだったのですが5/2から40分の時間制限をかえると、しれっと発表されています。Zoom無料版でログインすると一番上に表示されていますが、気が付かない人が多いでしょうね。私もさっき教えてもらうまで気づきませんでした。

    いろいろと調べるとプレスなどでも発表されておらず、全世界共通のようで4/22ぐらいから海外でも話題になっていました。まあ有料版の契約しているのですので個人的には困らないのですが、支援機関などでオンライン相談に使っているところも多いので影響大ですね。

近江・山崎山城

山崎山城
  • 荒神山のすぐ隣にある山崎山城へ登ってきました。前回、行った時は彦根が豪雪の時で何とか登りましたが、見どころの石垣跡などはすべて雪の下。今回はしっかり郭跡や石垣跡を見てきました。

    山崎山城は発掘調査の後、公園として整備されていますので登りやすい山城になっています。六角氏の家臣が城主でしたが、織田信長の上洛時に六角氏から織田家に乗り換えます。織田信長が下街道を整備した時に街道からよく見えるように石垣が整備されました。イメージ戦略ですね。

    尼子の里のずっと向こうに佐々木道誉の勝楽寺城が見えます。

またやってしまった

またやってしまった。

同じ本を買わないようにしていたはずが...

内容を確認し、「よし、読んでないはずだ!」と買ったはずが

読み終わって書棚に置こうとした時に、同じ本を発見して気がつくという末期状態。

「古典籍の世界を旅する お宝発掘の目利きの力」がものの見事にダブっていました。

こんなことをしているから本代がかさむんだあ。

と、去年の書籍購入代を調べたら18万8千円になってました。

そうそうhontoで読書一生分相当のhontoポイントがあたるキャンペーンをやっていて、一生分の101万4099円分のポイントがあたるそうです。1世帯当たりの書籍・雑誌等への年間支出額1万1,558円と平均寿命から計算したそうです。

5年分しか、ないじゃないですかあ!
でも当たらないかなあ!

山脇古城山城

荒神山城の西にあるのが山脇古城山城です。荒神山神社から車道を降りていくと荒神山ハンググライダー場があり、ここから山道が続いていて最西端(石寺山)のピークを目指します。信長に対抗した一揆集が石寺に城砦を築いて織田軍に対抗したようで、山脇古城山城がこの砦跡のようです。

山脇古城山城
山脇古城山城

石垣などが残っていますが、これは石寺の遺構かもしれません。尾根を削平した郭がいくつもありますが、まあ普通に見たら原っぱですねえ。だいぶ風化していますが竪堀もいくつかあります。大きな土橋もありましたが、荒神山方面からの攻撃には弱く、麓からの攻撃を主体に防御するための城だったようです。

荒神山城

荒神山には荒神山城がありますが、ネットで調べるとちょっと分からない場所にあるようです。山頂に荒神山神社があり、裏手に見事な石垣がありますが、これとは違うことだけは分かりました。山城に関する事前情報があまりなかったので、とりあえず日夏城から山頂を目指します。尾根道をひたすら歩いていくと登山道がいかにも虎口に通じる大手道のようなところがあり、よく見ると崩落した石垣があります。これが荒神山城じゃないかなと登ると削平地が続いていました。

荒神山城
荒神山城

ピンポン!なんの案内もないですが、ここが荒神山城です。山頂近くには荒神山古墳という前方後円墳があり、古代には琵琶湖を行きかう船のランドマークになっていました。古墳も郭として利用されており削平地になっていました。古墳から荒神山神社へ向かう道は土橋のようにもなっています。日夏城は荒神山城の出城のような位置づけで荒神山城も日夏氏が造ったようです。

日夏城

【日夏城】
荒神山公園の北側に唐崎神社があり、登山道を登っていくと尾根のピークに日夏城があります。登山道といいながら急斜面をロープを使って登るところが3つほどあり、最後のロープコースが切岸を登るコースでした。尾根上に土塁で囲まれた郭が続いていて、縦掘もあります。

日夏城

六角氏の一族が近江国犬上郡日夏荘に住んだところから日夏氏となり、詰城として日夏城を築いたようです。城跡は木々にさえぎられていますが、少し離れたところから琵琶湖が一望できます。北側に曽根沼内湖がありますが、干拓され小さな池になっていますが北側からは攻められない要害の地でした。

十三仏

小脇山城へは瓦屋寺から箕作山経由か十三仏経由で行くことができます。十三仏コースを選びましたが、これがなかなかきつい。麓から岩戸山頂上まで延々と石仏が並ぶ石段が続きます。あとで調べたら約800段なんだそうです。

十三仏
十三仏

十三仏というのは聖徳太子がこの山の南裏に瓦屋寺を建てた時、岩戸山に金色の光りを発する不思議な岩を見つけたそう。太子は仏のお導きということで、岩にたどりつき仏像を彫ろうとしたが道具がなかったので自らの爪で十三体の仏を刻んだということです。

岩戸山頂上には巨大な岩が何本かそそりたち、お堂がありました。古代から磐座として信仰されていた場所なんですね。眺めはよく、柴田勝家の瓶割山城がすぐ前に見えます。お堂を通り過ぎた奥から磐座に登る道があって、そこから小脇山城に到達できます。

小脇山城

箕作山城の横にある山に小脇山城があります。小脇山城は六角氏家臣である三井氏の居城です。麓に館跡が発掘で見つかり、小脇山城は詰城でした。

小脇山城
小脇山城

織田信長が足利義昭を奉じて上洛する時に六角氏とともに戦ったのが三井高安です。ところが箕作山城が落とされたため逃亡することに。六角氏は甲賀に逃げましたが、三井氏はなぜか伊勢の松坂へ逃げます。やがて松坂には近江の蒲生氏郷がはいり商人の町になっていきます。三井高安の孫が三井高利で、高安が越後守を名乗っていたことから屋号を越後屋とします。そう現金、掛値なしで大成功する越後屋(今の三越)です。

小脇山城はひたすら階段を登って岩戸山(十三仏)にたどりつき、そこからすぐのところにあります。いくつも連なる郭跡と石垣跡を見ることができます。切岸には縦堀がありました。眺めはよく小脇山の山頂(郭になっています)からは360度、見渡せます。

箕作城

織田信長が足利義昭を奉じて上洛する時にたちはだかったのが六角氏。佐々木道誉につながる佐々木氏一族です。

箕作城から観音寺山城
箕作城から観音寺山城

後世、織田信長が建てる安土城の横の山に観音寺城という巨大山城を造っていました。織田信長から上洛に協力するよう申し出しますが六角氏は三好三人衆と手を結んでいたので拒否します。さあ、織田信長が攻めてくるぞと待ち構えていると攻めたのは観音寺山城のすぐ隣にある箕作城。織田信長、滝川一益、丹羽長秀、木下秀吉が攻めます。なかなかの堅城で落ちないので、その晩に秀吉が夜襲をかけて落としてしまいます。

箕作城の落城を知った観音寺城は無血開城し、六角氏は甲賀郡に逃走します。箕作山があるのですが箕作城は北側の隣の山にあり、目の前に観音寺城がある観音寺山です。