鳥羽城

鳥羽城
鳥羽城

鳥羽城は九鬼水軍の城です。大手門が海に向かって作られ、さすがは水軍の城です。大手門は、鳥羽水族館になっていて本丸跡から鳥羽湾が一望できます。長らく鳥羽小学校や幼稚園などに使われていたので遺構は残っていませんが郭跡と石垣の一部が残っています。

鳥羽城・城主で有名なのが九鬼嘉隆で、織田信長や豊臣秀吉の水軍として活躍。関ヶ原の合戦では西軍についたので鳥羽湾の答志島で自刃しました。息子は東軍についていたので九鬼氏は存続しましたが、後継者争いが起き、幕府に志摩を召し上げられて摂津国三田藩と丹波国綾部藩に分かれました。

桜生城

桜生城
桜生城

銅鐸博物館から山手の道を進むと桜生(さくらばさま)城があり、近くを中山道(東山道)が走っています。城主は澤氏で現在も後裔が居住されています。澤氏についてはよく分かっていませんが秀吉の朝鮮出兵に従軍していたようです。

桜生城は3つの郭で構成されていて郭を取り囲む土塁や堀などが見事に残っています。近くに日吉神社がありますが、こちらにも堀跡などが残っていました。往時はかなり広かったようで南に「矢場」、南西に「下屋敷」という地名も残っています。

銅鐸博物館

銅鐸博物館
銅鐸博物館

野洲にある銅鐸博物館(野洲市歴史民俗博物館)に立ち寄ると、3月末まで設備工事ということで休館していました、永原城の資料が見たかったのに、残念。ここは出雲の加茂岩倉遺跡でたくさんの銅鐸が出る前に24個もの大量の銅鐸が出たことで有名です。そのうちの一つは日本一の大型銅鐸です。付近には大岩山古墳群があり、博物館内の宮山2号墳では石室に入ることができした。また銅鐸の時代を実物大で学習することができる公園があり、高床倉庫、竪穴住居などが復元されています。

野洲付近は古代史で有名な土地で、銅鐸博物館から少し行った野洲と栗東の間にあるのが伊勢遺跡です。摩訶不思議な遺跡で中心部に方形に配列された大型建物がならび、その周り(直径220m)に等間隔で円周上に建物が並びます。この建物が大使館のようなもので、各地域の首長は中央に集まって会議したのではないかと色々な説があります。この後に登場するのが人工都市・纏向遺跡になります。

カンボジア自転車プロジェクト

カンボジア自転車プロジェクト
カンボジア自転車プロジェクト

知り合いの安田さんが中古自転車をカンボジアの子供に送る運動をずっと行っています。カンボジアの農村エリアでは学校が遠く10キロ以上を通う子どももたくさんいます。自転車を買えない子供たちは片道2,3時間かけて歩いて通いますが、教育こそが貧困を抜け出すチャンスですので中古自転車を送り、通学時間の短縮を狙っています。

できる範囲で協力しているのですが、自転車パーツ補給をした自転車クラブからの写真が届きました。未来に向けてがんばってほしいですね。

→ 自転車1台で人生が変わる!カンボジア自転車プロジェクト2022

https://readyfor.jp/projects/cam-bi2022

追分

追分
追分

国道308号は大阪の難波から奈良(平城京)を結ぶ国道ですが、酷道という名前がついています。特に暗峠を超えるのは大変で車は4駆でないとまず無理です。暗峠を超え進んでいくと矢田丘陵上に追分があります。暗越奈良街道を、そのまままっすぐ進むと奈良に至ります。遠くに若草山が見えています。奈良時代から江戸時代にかけて、この道がメインルートで、多くの旅人が行き来しましたが、今は時たま車が通るぐらいです。

追分を右に曲がると大和郡山へと向かいます。追分には本陣・村井家住宅が残っていて江戸時代は大和郡山藩主の休憩に使われました。奈良に入ると大和郡山領でしたので暗峠に残る石畳は大和郡山藩が整備し、暗越奈良街道の管理もしていました。

向山城

近江の篠原は古代から交通の要衝で東山道の篠原駅家が置かれていました。篠原の北側に向山という丘陵があり、ここの頂上にあるのが向山城です。城の南側を中山道が通っており、源義経が元服した鏡の里がすぐ近くにあります。

向山城
向山城

向山城は六角氏の被官だった長原氏の城だったようですが、記録も少なく、よく分かっていません。Googleマップで調べると夕日ヶ丘登山道入り口というのがあり、ここから入り、登っていくと展望台という矢印がありました。進んでいくと誰も通っていないのか、藪だらけで道が見えない!!適当にあたりをつけて頂上を目指します。

頂上を中心に尾根上に郭が展開されていて、また古墳がありました。古墳の石室が城の兵糧倉庫になっていたと案内がありました。展望台という案内に期待しましたが頂上からは林だけで外は何も見えません。帰りも途中で道を見失い、とりあえず藪をずっと降りていきました。

霊山寺

霊山寺
霊山寺

大和角山城の近くにあるのがバラ園で有名な霊山寺で、寄ってみました。山に造られた寺院で山城みたいな伽藍です。さすがにバラは咲いていません。

寺の来歴によると敏達天皇の頃は小野家の土地だったそうです。小野氏といえば和爾氏ですなあ。敏達天皇というと物部守屋や、蘇我馬子が活躍した頃です。小野妹子の息子といわれる右大臣・小野富人は壬申の乱に加担したとかで職を辞して登美山に閑居。ここが今の霊山寺で薬草を育て、薬草湯屋を設け、湯治をしました。

神亀5年(728)に流星が宮中に落下する事件があったそうで、孝謙皇女(聖武天皇と光明皇后の娘)がノイローゼになった時に聖武天皇の夢枕に小野富人が現れて、薬草湯屋の薬師如来を祈念すれば治るとお告げします。そこで行基が代参し、皇女の病が直ります。ノイローゼなら、そら直るでしょう!天平6年(734)聖武天皇は行基に霊山寺建立を命じます。

大和角山城

大和角山城

大和角山城
大和角山城

丘陵の先端部を利用して築かれている城跡で葛上神社一帯にあったようです。ただ土塁などは残っておらず、唯一、境内の北側に空堀が残っていました。北、東、南が崖になっていて、西側の防御をしっかりすればよい立地です。ただ住宅地になっているので防御の遺構などはありませんでした。誰がいつ造った城跡なのかは、まったく不明です。近くに富雄川が流れているので堀代わりだったのでしょう。

大和田城

大和田城は奈良市大和田町にある城です。富雄川西岸の尾根の先端にある丘城で、字名は城山になっています。筒井方の小和田氏の城と言われていますが詳細は分かりません。地名が大和田ですから、同じ和田氏系の小和田氏というのは妥当でしょう。

大和田城
大和田城

大和田城は単郭方形の郭で、藪だらけなんですが空堀などが見事に残っています。堀はけっこうな幅と深さがあり、堀底に降りてみましたが土塁が高くせまっています。土塁の途中が少し太くなっているところがあり櫓台があった模様です。虎口らしきものがありましたが竹藪だらけでここから入るのを断念。近くの土塁を登って郭に入りました。写真を撮りましたが、どの写真も藪と土しか映っていませんね。

スマートファクトリー

年末にスマートファクトリーの対談をしてきたのですが記事となってNTT西日本のサイトにアップされていました。内容は製造業におけるDXで、しゃべった内容がうまくまとめられていました。脱線した話などは当然、カットです(笑)修正しようがないので変な顔で映っています。

止まらない工場「スマートファクトリー」とは
止まらない工場「スマートファクトリー」とは

採用がなかなかできないので、いかに工場の生産性を上げるかがカギで、IoTなどを駆使してスマート化が進んでいます。三重県の製造業の中には作業指示などはタブレットやモニターで一切の紙をなくした会社もあります。

→ 製造業の未来を支える止まらない工場「スマートファクトリー」とは