丸窓電車

丸窓電車

岐阜駅の北口広場に名鉄のチンチン電車が展示されています。楕円形の窓から丸窓電車と呼ばれていたそうで、1926(大正15)年に製造され、2005年まで岐阜の街を走っていました。昔は岐阜駅前から名鉄の路面電車が走っており、柳ケ瀬ブルースで有名や柳ケ瀬商店街まで乗った覚えがあります。

路面電車がなくなり現在はバスが運行していますが、地理が分かっていないと、目的地にそのバスが行くのか分からず、その点、路面電車は線路以外のところには行きませんので観光客には分かりやすいシステムでした。

交通の便がよくなるとストロー現象で衰退するのが世の習いで、岐阜駅から名古屋駅まで20分ほどで行けるため岐阜駅前から百貨店などがなくなり、最後まで残っていた高島屋岐阜店が7月末で閉店するそうです。これで全国で4つ目のデパートのない県になります。他は徳島県と山形県で先日、一畑百貨店が閉店した島根県が加わりました。

美濃赤坂駅

美濃赤坂駅

赤坂宿のすぐ近くにあるのが美濃赤坂駅。大垣駅から東海道本線の支線が出ており、途中駅は荒尾駅しかありません。旅客は美濃赤坂駅までで。ここが終着駅になりますが美濃赤坂駅から西濃鉄道・市橋線という貨物線が伸びており、次の乙女坂駅が終着駅です。

新幹線で大垣周辺を通ると北の方角に禿山が見えますが、これが金生山です。ここは2億5000万年前の海底が隆起した山で石灰岩がとれます。採掘は江戸時代から行われており、この石灰石を輸送するために西濃鉄道が作られ、今も1日に3便、貨物列車を運行しています。

せっかくなんで美濃赤坂駅まで大垣から列車に乗ろうと考えたのですが昼間は3時間に1本ペースなので断念。大垣でレンターサイクルを借りて向かうことになりました。終着駅の風情がとってもいいですね。

鮮魚列車

昔は全国の鉄道で行商列車が走っていましたが、最後まで残ったのが近鉄の鮮魚列車でした。貸切で鳥羽から上本町まで運行していました。列車の借主は伊勢志摩魚行商組合連合会です。

鮮魚列車

もともとは一般乗客から魚臭いとクレームが出たため、行商人を分けるために1963年(昭和38年)からスタート。定期代などを含め1ケ月の経費は3万3千円ほどかかります。平成になった頃の会員数は300人ほどいましたが平成21年で115人に減少。猟師町(猟師漁港)の会員が多く松阪駅から乗り込む行商人が多かったようです。多くの行商人は大阪の商店街に自分の店を持っており、店で近所の人に売ります。市場を通さないので鮮度がよく、おいしいので固定客がついていました。猟師町の会員の店の名前は全て「伊勢屋」になっていました。

鮮魚列車は2020年まで57年に渡って運行されましたが、廃止になりました。今は松阪駅から上本町駅への快速急行の最後部、上本町駅から松阪駅への最前部に1両つなぎ、伊勢志摩お魚図鑑という名前で運行されています。朝、駅で見かけることができます。

大和鉄道

あいかわらず残暑が厳しいですね。というわけで古地図探訪を続けています。

大和鉄道

近鉄・橿原線の途中に田原本駅があります。駅のすぐ近くに西田原本駅がありJR新王子駅まで近鉄田原本線が走っています。ワンマン列車で箸尾城や馬見丘陵の古墳群を見に行くには最適な電車です。もともとは大和鉄道が新王寺駅から桜井駅まで結んでいました。第二次世界大戦の時に不要不急線として田原本ー桜井間が休止となり、線路が撤去されました。残った田原本ー新王子間が近鉄になっています。

奈良の古地図を見ると田原本-桜井駅の線路が書かれています。桜井までの間に寺川駅、味間駅、大泉駅、東新堂駅がありました。今も残っていたら生駒、新王寺経由で桜井まで行けたのに

大仏鉄道

大仏鉄道
  • 大日本帝国陸地測量部が発行した大正元年の奈良広域図です。今のJR奈良駅のから北に向かって2本の線が出ています。左は現在もある木津駅へ向かう奈良線です。地図には関西本線と書かれています。右は幻の大仏鉄道ですね。
  • 名古屋方面から関西本線を使って奈良へ観光客を送るために加茂~奈良間に作られた鉄道です。1899年(明治32年)に開通します。奈良駅のちょっと北に大仏駅があり、ここをまっすぐ東に向かうと東大寺・転害門に出ます。
  • 1907年(明治40年)に加茂~木津~奈良間に平坦なJR奈良線のルートが開通したため、大仏鉄道は廃止され、開業からわずか9年余りで姿を消します。地図が作られた1912(大正元年)には駅舎やレールの撤去が進んでいたはずなんですが、なんで地図に載っているんだろう。地図の右上にはホテルに生まれかわる奈良監獄があります。

新幹線のワゴン販売10月末に終了

食堂車

東海道新幹線のワゴン販売が10月末で終了するそうです。時たまワゴン販売でウイスキーの水割りセットを買っていましたが、コロナ禍以降、新幹線に乗る機会が減り、さっぱりです。

昔、近鉄特急でもワゴン販売をしていましたが2020年に終了し、今は、しまかぜ、青の交響曲などの観光列車でしか行っていません。もっと昔になると近鉄特急が発車すると、一人ずつ熱々のおしぼりを配るサービスもやっていました。だんだん味気なくなりますね。

まだ初々しいサラリーマンをやっていた頃というと1985年頃ですが、大阪から東京本社へ行く出張があると基本的に1泊2日でした。帰りは夕方でしたので、新幹線に乗ると指定席を取っているのに、すぐに食堂車に行って同僚と宴会していました。ひどい時は京都あたりまで食堂車にいてましたね。新幹線の食堂車は2000年に廃止になりました。風情があったんですが

中央線 400系

400系

6月25日からOsaka Metro中央線の新型車両400系が走っているのですが、ようやく乗れました。なかなか面白い見た目で宇宙船をイメージしたデザインだそうです。中央線は関西万博ではメイン路線になるので、それにあわせたデザインだそうです。デザインよりも冷房がよく効いていたのがうれしいですねえ。

おおさか東線

大阪駅

おおさか東線の終点が新大阪駅だったのですが大阪駅まで延伸したので乗ってきました。新大阪駅を出ると淀川を渡って貨物線に入りますが、途中から地下トンネルに入る形に変わっていました。おおさか東線は特急「はるか」やサンダーバードとは別のホームに到着して折り返し運転をしています。

顔認証ゲートをホーム側から見てきましたが、大阪駅地上ホームに、そのまま乗り継ぎができエスカレータを上がって下がるを2回、繰り返すと大阪駅地上ホームの尼崎側の端に出ます。東京駅の総武線ホームへ向かう感じですね。東大阪だと混雑している御堂筋線に乗らずにバイパスできるので便利ですね。

新しい大阪駅

LEC梅田で朝から経営情報システムの講義

講義終了後、「皆さん、合格したら診断協会のイベントなどで声かけてくださいね。覚えていないと思うけど」と声掛けしています。実際に覚えてませんので(笑)

大阪駅

昼休みに新しくできた大阪駅に行ってきました。ニュースでよく見た顔認証ゲートです。顔認証を使っている人はおらず、皆さん交通カードで通行しています。同時に双方向で通れるんですね。

ただ、けっこう遠くってグランドフロントや西梅田へ行くなら便利ですが、やっぱり東梅田駅ですね。

中之郷駅

中之郷駅

大阪から新快速に乗ると湖東周りの終点は近江塩津駅になります。近江塩津駅で乗り換えて敦賀へ行けます。木ノ本駅を出ると大きく左(西側)にカーブして余呉湖の隣にある余呉駅を経由して近江塩津駅になります。かっては木ノ本駅から、そのまま北上して中之郷駅、柳ケ瀬駅から柳ヶ瀬トンネルを通って敦賀駅を結んでいました。今は鉄道はなくなり北陸道が走っています。鉄道が残っていたら、湖北の山城に行くのに便利だったのに残念です。

昔、大阪から敦賀へ向かう時、永原駅-近江塩津駅間で電車の明かりが2、3秒消える時がありました。これが交直セクションです。直流区間(東海道線・湖西線)と交流区間(北陸鉄道)が交わるところです。けっこう最近まで残っていて2006年に直流化工事が完成しました。これで湖西線内は全て直流電化となり、湖西線を経由する新快速が敦賀駅まで延長されることになります。