リブロ池袋本店が閉店へ

池袋駅で待ち合わせする時に必ず行くのが西武百貨店に入っているリブロ池袋本店。7月末に西武百貨店との出店契約が終了するため、近日閉店するそうです。ただし、池袋駅周辺への移転を検討しているそうです。
リブロの入口付近でよくフェアをやっていて、並んでいた本が面白かったですね。1975年、池袋に登場したリリブロは親会社がコロコロ変わり、西武→西友→ファミリマート→パルコとなり、今では日販の持株会社になっています。
入居している西武百貨店はセブン&ホールディングスの傘下になりますが、鈴木敏文会長が日販のライバルであるトーハン出身だから、契約解除とともに追い出したという見方もあります。もっとも書店に来る客が百貨店の客になっていないというような分析があったのでしょう。
リブロはセゾングループの創業者・堤清二(小説家・辻井喬)によるセゾン文化を体現する場所で、特に人文・社会系の品揃えには定評があります。書店入口のワゴンに1点の本をたくさん積みあげる陳列がありますが、業界では「トットちゃん積み」といっています。「窓ぎわのトットちゃん」がベストセラーになった時にリブロの中村氏が始めたそうで、講談社の営業マンがその陳列を見に来て、これはよいと全国の本屋に広がりました。

キーマカレー専門店(本町橋)

キーマカレー
大阪府よろず支援拠点で窓口相談。お昼はもちろん本町橋界隈のカレー激戦区へ。
先日行った「トンコツカレー」と「バビルの塔」の2店舗前には既に列ができていたので、早々にあきらめて少し先に行った「スパイスカレー ジッキン」というお店へ。キーマカレー専門のカレー店なんですが、ご飯が玄米になっています。しかも大盛り無料でした、(笑)
キーマカレー単品(850円)とあとはトッピング(卵、チーズ、唐辛子など)だけのお店。キーマカレーはとってもスパィシーです。しかも小さな豆腐やラッキョなど、いろんなものが玄米の上にのっていて、なかなか楽しめる味です。
店内は4人席×2、2人席×2、カウンター5席の小さなお店で、こないだ月曜に店の前を通った時は閉まっていましたが、営業日は木・金・土の3日だけという、なかなかレアなお店。
メニューにスタッフやお客さんを写さなければ内観も料理も自由に写してくださいとあり、これはネットのクチコミを狙ったうまいやり方ですね。
お昼はキーマカレーですが、夜はメキシコ料理店になるそうです。お店の看板を見ると「タケリア ラ フォンダ(TAQUERIA LA FONDA)」になっていて、「ジッキン」という名前は表の三角看板しかなく、お昼と夜とで経営者が変っているのかもしれません。

五宮神社(神戸)

五宮神社
生田裔神八社の1社が五宮神社。
生田裔神八社とは生田神社を囲むように点在している八社で、せっせと八宮をまわっています。五宮神社は兵庫区五宮町にあるのですが、なかなかの高台。神戸駅、湊川駅からバスが出ていますので五宮町のバス停で降ります。
バス通りから、大きな車なら絶対に通れない細い道をせっせと登ると社がありますが、高台なので神戸の街が一望できます。
五宮神社の隣には祥福寺という禅寺があり、二重の塔があります。ここからは神戸のずっと西の方を見わたせます。祥福寺までは車で登れる道があり、宅配便は寺の駐車場にいれて、五宮神社周辺に宅配していました。坂の多い神戸では宅配業者も大変です。
この祥福寺には幕末、神戸警備のために来た長州藩兵、数百名がこの寺を基地に、兵庫、神戸を護衛したそうです。西宮警備を命じられた備前藩兵が三宮神社の前で隊列を横切ったフランス人水兵らを負傷させる神戸事件が発生した頃と同じ時期になります。

三重県庁がある吉田山の名前の由来

吉田山
2週間ぶりに三重県産業支援センターへ。
三重県産業支援センターが入居している三重県合同ビルの隣のビルが吉田山会館、三重県庁がある山を吉田山とよんでいますが、この吉田って人の名前だったんですね。
戦国時代に吉田六左衛門重勝という人物がいて、代々、弓術家の家系。近江・六角氏の家来でしたが、主君と争いになり、家伝が絶えることを危惧した父親が重勝に弓術の奥義を授けて京都に移らせました。
吉田重勝は多くの武将と交際し、細川幽斎とは特に親しかったようです。重勝の号は雪荷で、吉田流弓術雪荷派の祖となります。雪荷から免許を受けた武将には、細川幽斎、蒲生氏郷、豊臣秀長・秀次、宇喜多秀家らがいます。
重勝の子供が吉田元直で豊臣秀長(秀吉の弟)に仕え、秀長がなくなると浪人となって京都に在住。吉田元直が浪人していると聞いた藤堂高虎が招き、子孫は代々、藤堂家の弓術師範となります。吉田家は代々、六左衛門を称し、この吉田家に与えた土地が現在の県庁がある土地で、吉田山と呼ばれるようになったそうです。へ~え、家臣の名前が由来だったんですね。
もちろん三重県庁・職員の皆さんは全員がご存知でしょう。

マイドーム大阪に象がいた

大阪府商品陳列館
大阪府よろず支援拠点で窓口相談。予約以外に飛び込みの創業相談もあり1日バタバタしていました。
大阪府よろず支援拠点はマイドーム大阪7階の大阪産業振興機構にありますが、マイドーム大阪は豊臣秀吉時代、大阪城・総構の砦でした。江戸時代には西町奉行所となり、明治維新後、西町奉行所の建物をそのまま使って大阪府庁となります。
大阪府庁が移転した跡地にできたのが大阪博物館。博物館という名前ですが、他にも図書館、美術館、動物園、植物園、舞台、公園などがある総合産業文化施設でした。
このうち図書館は大阪図書館(現在の府立中之島図書館)ができたので移管。マイドーム大阪7階には大阪中小企業診断士会がありますが、今、中之島図書館と提携して無料窓口相談やセミナーを開催しています。マイドーム大阪と中之島図書館には不思議なご縁があったんですね。
天王寺動物園ができたので、動物園も移転することとなります。小さな動物は車で運ばれたようですが、象は大きいので深夜の松屋町筋を天王寺まで歩いて移動することとなります。この象がサーカス出身だったそうで、音楽がないと動きません。そこで鳴り物を鳴らしながらの移動を行い、深夜の松屋町筋に大勢の見物人が集まったそうです。今では考えられませんがマイドーム大阪に象がいたんですねえ!
大阪博物館の後、マイドーム大阪の場所に大阪府立商品陳列所ができ、美術館の美術品が商品陳列所に移管されました。

梅田 蔦谷書店

梅田 蔦谷書店
先日、JR大阪駅に新しくできた蔦谷書店・梅田をのぞいてきました。
場所はJR大阪三越伊勢丹百貨店が撤退した後にできたルクアイーレの9階。円形の本棚やソファー、スターバックスなどがあり珈琲を飲みながら本を読むこともできます。なかなか雰囲気がよいお店で、本は面陳列が多く、オヤと思う本と出会えます。
「ワークスタイル」、「ライフスタイル」といったテーマに沿った本を並べており、目的買い向けの本屋ではなく、こんな本もあるんだと新しい本との出会いがある本屋です。京都にある三月書房を大規模にして今風にしたような本屋。
ですので本を探すのはけっこう大変で、まさか大阪本コーナー前に城の本があるとは思いませんでした。普通の本屋は棚下にストックがあってなくなると補充されるのですが、そんなストックは少なく、売れたら補充ができない本屋なんですかねえ。珈琲など喫茶コーナーには行列ができていましたが、本のレジは混雑していなく、本屋としての売れ行きは若干、気にな
ります。
蔦谷書店といえば、大昔、京阪電車に乗っていると寝屋川市駅前に蔦谷書店という看板がかかっている書店を見つけ、蔦谷!えっ、蔦屋重三郎のあの蔦谷!
すごい名前をつけた本屋だと思い行ったことがありますが、行ったらふつうの新刊書店でした(笑)その後、あれよあれよという間に、全国にTSUTAYAが出来てしまいました。
蔦屋といえば、江戸時代に山東京らの洒落本、喜多川歌麿、東洲斎写楽などの浮世絵を出版していた蔦屋重三郎の屋号。斬新な企画でヒットを飛ばしましたが、寛政の改革による取締りから没落、やがて亡くなり1代だけの書店でしたが、蔦谷という名前は出版業界に大きな足跡を残しました。
新しいコンセプトの蔦谷書店は少し江戸時代の蔦谷に近づいたようです。

大阪府中小企業診断協会 総会・懇親会

浅野日本酒店
昨日は太閤園で大阪中小企業診断士会・総会&大阪府中小企業診断協会・総会&懇親会が開催されました。
朝から京都橘大学で現役看護師さん相手に情報処理講座(WOC認定看護師講座)を担当していたので、遅れて会場に到着。大阪府中小企業診断協会の会員は950名ほどで、平日の昼間にもかかわらず80名ほどが参加。1号議案、2号議案は昨年度の事業報告と決算報告。
その後に、今年度の事業計画と予算の説明。会場からも質問があったのですが、事業計画と予算は議案になっていません。2008年に法律が施行され、一般社団法人、公益社団法人ができましたが、一般社団法人では事業計画・予算を作成する必要がなく、作るのなら理事会の承認をえればよいものになっています。ですので、総会では議案になっていないんですね。知らなかった。
懇親会では浅野日本酒店さんが日本酒を提供しており、船中八策などとってもいけました。浅野日本酒店さんは梅田から少しいった太融寺町にある酒屋さん。お酒も買えますが、お洒落な日本酒の立ち飲みバーになっています。なんせ店主が中小企業診断士なんで、診断士御用達のお店になっています。

四宮神社

四宮神社
生田裔神八社の1社が四宮神社 (よのみやじんじゃ)。
生田裔神八社とは生田神社を囲むように点在している八社。順番に八宮巡りすると厄除けになるといわれています。せっかく神戸で窓口相談しているので、せっせと八宮をまわっています。ついでに山城巡りもしていますが、オシャレな北野や異人館、中華街には全然、行っていません。(笑)
一宮神社から順番にまわると一番よいのですが、なかなか難しく、行ける神社から行っています。四宮神社は生田神社の西側、地下鉄・県庁前駅のすぐ近くで、兵庫県庁のすぐ前にあります。
祭神は市杵島姫命と弁財天。古い社で戦国時代には、荒木村重が織田信長の命令で花隈城を築いた時、花隈城のちょうど鬼門にあたるので鬼門鎮護の神とされました。荒木村重が信長に背いた時、池田恒興が花隈城を攻めましたが、この時の兵火で社殿などは焼失してしまいます。再建される時に現在の地に移ったそうです。

土壇場を切り抜ける

大江小学校
土壇場を切り抜けよう、というような使われ方をする土壇場。どうにもならない場面、最後の決断を迫られる重大な局面などで使われる言葉です。土壇とは土も盛って作った壇。刑場で斬首する時に使われたのがこの土壇。まさに土壇場で、これが語源になっています・
大阪府よろず支援拠点はマイドーム大阪7階にありますが、マイドーム大阪があった場所は江戸時代、西町奉行所でした。マイドーム大阪の前が松屋町筋ですが道路を渡ったところにあるのが大江小学校。ここに牢があり刑場もありました。斬首刑はこの刑場の土壇場で行われていたようです。今はビジネス街&マンション街になっています。
そういえば中国からの買い物客であふれている千日前にも刑場がありました。市中引き回しの刑となると大江小学校にあった牢から出されて、本町橋を渡って西へ向かい、西横堀川で南下、道頓堀川を東へ向かい千日前の刑場まで連行されたそうです。

諏訪城跡(神戸 諏訪山公園)

諏訪山城
今日は午後から専門家派遣だったので、午前中に諏訪山公園へ行ってきました。神戸のJR元町駅から坂をずっと登ったところにあります。神戸は本当に坂の町ですね。諏訪山公園は高台で神戸の街が一望。ここが室町時代に赤松範資が築いた諏訪城跡といわれています。残念ながら遺構は残っていなく、公園なのでスーツ姿で登れる山城です。
戦国時代になると織田信長に謀反を起こした荒木村重が花隈城にこもり、信長の乳兄弟である池田恒興が陣所を諏訪山におきました。公園から見ると神戸ポートタワーから港が一望で花隈城跡もよく眺められます。
諏訪山に陣をおいたのは池田恒興と嫡男の元助、次男の輝政は生田神社の森に、紀伊雑賀衆の援軍は大倉山に花隈城を囲むようそれぞれ陣をおいて攻めます。荒木軍は敗れ、荒木村重は毛利へと落ちていき花隈城は廃城となります。
池田恒興は荒木の旧領をまかされ新たに兵庫城を築城します。地下鉄・中央市場前駅近くにあります。本能寺の変の後、清州会議では秀吉に味方します。小牧・長久手の戦いでは迂回して家康の本拠の岡崎を攻めるよう進言して実行しますが、家康に察知され攻撃を受け、嫡男の元助と共に討死してしまいます。岐阜県・多治見市にある池田城跡へ行くと池田恒興、元助の墓標がありました。
池田家の後を継いだのが次男の池田輝政。そう、あの姫路城を造った人物です。