在宅勤務浸透で変わるビジネスの形

皆が在宅勤務、“お家にいようよ”を否応なく経験することで、これまでの習慣、価値観、働き方が大きく変わっていきます。アフターコロナ(AC)を見据えて多くの企業でビジネスの見直しが必要になります。

■オンライン会議が当たり前に

緊急事態宣言で出張、出社ができず必要に迫られオンライン会議を行いましたが、意外に便利だと認識した人も多いでしょう。リアルな会議では場の雰囲気によって発言できない、上司への忖度などがありましたが、オンライン会議では場の雰囲気がそもそも伝わらないこともあり自分の意見を堂々と言えるメリットがあります。

ウィンドウズ95によって会社でパソコンを使うことが当たり前になったように、オンライン会議経験者が増えたことでオンライン会議が当たり前になっていきます。実際に会って会議するのも重要ですが、皆のスケジュールがあわない時、“物理的に来れない人はオンラインで参加してください”という案内通知が当たり前になっていくでしょう。また多くの大学では通学できない学生向けに前期はオンライン授業が実施されています。来年度から入社する学生はオンラインによるセミナーや会議が当たり前という世代となります。

■営業スタイルが変わる

営業スタイルが変わりそうです。不動産探しで住宅を見たい時、営業が同席して案内していましたが、見学者が連絡すれば営業が遠隔でスマートロックを解除します。細かな質問は住宅に置いたタブレットでのオンライン会議でよいし、モデルルームであればテレプレゼンスロボットを用意しておけばよいでしょう。これからは非接触の意識が重要になります。靴をすり減らして家をローラーで回るような営業スタイルは絶滅しますので、営業では分かりやすい資料を先方に事前に送りオンラインで補足説明や質疑応答するスタイルへと変貌していきます。資料には動画なども駆使することになります。

大学ではオンライン授業になりましたが学生も大変ですが、それ以上に大変なのが講師側です。学生が接続できない時の補完手段として、行った講義は録画し後でアップする。講義資料を事前に用意して学生にダウンロードしてもらうなど、今まで教室で話をするだけの講義に比べ準備が大変です。なかには無理だから後期に講義をまわしてくれという年配の教授も出ています。ですが学生も教師も経験しましたので、しっかりとした事前準備をすることが当たり前という感覚で大学を卒業していきます。これから営業スタイルが大幅に変わっていきます。

サーズ、マーズ、新型コロナと続きましたので今後も起きます。今から人が動かなくても非接触でもビジネスを補完できる仕組みを作っておくことが大切です。

■通勤手当がなくなる

すべてを在宅勤務にしなくても週のうち1日、2日は在宅勤務でもよいでしょう。高い家賃を支払って最大人数にあわせたオフィスを用意しなくてもすみます。在宅勤務の日数が増えれば通勤手当や通勤定期の見直しとなり、通信料などを補填するテレワーク手当へと変わっていきます。また通勤が便利な駅前立地のマンションよりも郊外の広い家指向となります。オンライン会議で問題になったのが自宅の部屋が映ることで広い家に部屋を確保できないため仮想背景を使うなど苦労がありました。

徳島県神山町がIT企業のサテライトオフィスを誘致して成功しています。徳島市内から50分ほどかかる過疎の進む山間の町ですが高速回線が揃っていて地代が安い。今まではBCPの観点からの分散がテーマでしたが、在宅勤務の受け皿としても十分。同様に温泉で有名な和歌山県白浜でもサテライトオフィスを誘致しています。一定数、都会から出ていく企業の流れができるでしょう。

■ジョブ制への移行

在宅勤務で洗い出された問題が職能給(メンバーシップ制)と職務給(ジョブ制)です。。メンバーシップ制とは先に人を採用してから仕事を割り振る形で、経験を重ねることで能力が高まることを前提に年功序列や終身雇用になっています。仕事内容が明確に規定されておらず、状況によっては技術職から営業職への異動が行われたりします。責任外の仕事を頼まれることも多く、その報酬はありません。在宅勤務で時間管理が難しい、倫理観が必要だという声が多く上がったのは、働いた時間で管理しようというメンバーシップ制を採用しているかです。

ジョブ制は仕事に対して人が割り当てられる形で仕事内容やゴールが明確で職務定義書(ジョブディスクリプション)で定義します。成果に対する報酬なので短い時間で実現しても時間をかけても社員次第。また同一労働同一賃金が実現できます。管理しなくてもかまいせんから在宅勤務には最適です。富士通など世界に拠点を持つ企業では日本だけで採用していたメンバーシップ制をジョブ制へ移行しています。ただし職務定義書を整備してメンテナンスするのが大変です。

■最後に

ビル・ゲイツの言葉に「成長は一時的に、安定を失うことだ。それは、慣れ親しんでいるが型にはまったやり方や、安定しているが退屈な仕事、時代遅れの価値観、意味のないつき合いを排除することでもある。」があります。

黒船来航が明治維新につながったように大きく時代が動きそうです。我々は、今まで当たり前だった日常という安定を失いましたが、これをチャンスとして成長を目指しましょう!

なぜ同じ店でランチを食べるのか

ランチ
行動経済学の本を読んでいるのですが、「損失回避の傾向」について書かれていました。
たくさんのお店があるのに、新しい開拓せず同じ店に行くのは「失敗したくない」という気持ちが働くから。これが「損失回避の傾向」です。
人間は「得をしたい」よりも「損をしたくない」という気持ちの方が大きくなるそうです。それでランチも同じ店へ行って、同じメニューを頼む傾向があります。「もし違うものを頼んで失敗したらいやだ」という気持ちが心の奥底にあるそうです。
そういえば「ひょうご産業活性化センター」へ行くと、三宮周辺にたくさんの店があるのに、大体、サンパル1階にある金八へ行って日替定食を頼んでいます。もっとも金八のお味噌汁が、でかい椀で出てくるので、それが飲みくて行くのが理由ですね。
大阪府よろず支援拠点ではランチになると裏谷四のカレー屋制覇をしているので、あんまり「損失回避の傾向」は強くなさそうです。
もっとも仕事がなくって王将を見つけると、毎回、餃子3人前と瓶ビールを頼むのは「損失回避の傾向」ではなく「条件反射」なんでしょうねえ。

取次会社が大変

本
先日、ドワンゴと経営統合したKADOKAWA(角川書店や中経出版などの出版社を持ちます)がアマゾンと提携し、4月から書籍・雑誌の直接取引を始めました。
出版業界では出版社は卸である取次会社(日販、東販、大阪屋、粟田出版など)を介して書店に届けるのが基本ですので中抜きになります。アマゾンは取次会社のマージンを減らすことができ、安価で販売できますが、書籍などは再販制度があるので定価販売は変わらないでしょう。
町の小さな書店は取次に頼らざるをえませんので、取次がを落ちると、いろいろ影響が出てきそうです。この取次会社が生まれたのは明治時代。東京堂、北隆館、東海堂、良明堂、上田屋の5社ができました。大戦中は国策で1社に統合され、日配(日本出版配給株式会社)が生まれます。大戦中は紙もないし、本も少ないという状態で返本率は0.1%となり、ある月には返本率がゼロという今ではとても考えられない数字が実現されました。今は大体、40%ほどの返本率になっています。
戦後になって解体され、東版(東京出版販売)、日版(日本出版販売)、中央社、日教販(日本教科書図書)、粟田出版が生まれます。ユニークな取次だったのが鈴木書店。出版社の窓口にいた井狩春男氏が毎日、手書きの情報誌を発行していました。それが「日刊まるすニュース」。出版社にファンが多く、まとめたものが本になっています。この鈴木書店、なくなってしまいました。
また地方・小出版流通センターという取次があり、名前の通り、地方や小さな出版社の本を扱う取次です。ここが神保町のすずらん通りに「書肆アクセス」という直営店を出していて普通の本屋ではお目にかかれない本が並んでいました。地方別に整理されていて、関西の本もありますが、関西の本屋にまず並んでいない本を東京で見つけることができます。神保町に行くと、よく行っていたんですが残念ながら2007年に閉店してしまいました。

丸善ジュンク堂書店

本屋
丸善がジュンク堂書店を吸収合併する形で、ジュンク堂書店は解散することになりました。
報道によるとジュンク堂書店の売上は503億1000万円、営業損益が9500万円の赤字。書店は委託販売制度があるので粗利は2割しかありません。以前の大型書店はワンフロアが主体でしたので商業施設などがビルの上に本屋を誘致していました。本好きはビルの一番上でも本屋に来てくれ、帰りに他の階で買ってもらうシャワー効果が期待できるからです。
ジュンク堂が仕掛けた面が強いのですが、さらに大型店化し今やビル全体が本屋。しかも立地のよい駅前などにあるので賃料はかなり高くなるでしょう。また電車に乗るとスマホでニュース、漫画、FBを見る人が多く、以前のように読書している姿はなかなか見かけなくなりました。そんなことも影響しているんでしょうねえ。
神戸の震災の時、ジュンク堂のいち早い復活が話題になりましたが、なんとか生き残ってほしいですね。誰が買うんだというような仏典全集がずらっと棚をしめているのは、やはりジュンク堂です。山城の品揃えも悪くはないんですが、もうちょいですねえ。

ジュンク堂サンパル方式

サンパル
ジュンク堂といえば天井まで届くような書棚とびっしりと並べられた本の列が特徴ですが、これってサンパル方式と言うんですね。
ひょうご産業活性化センターが入居しているのが三ノ宮にあるサンパル。戦後、国際マーケットという闇市があったところを都市整備公社が再開発し1981年にサンパルを建てました。現在は人通りが多く賑やかですが、当時は三宮から少し入った裏通りということもあり、夜ともなると、周囲に怪しげな女がたつような場所。ジュンク堂工藤社長の友人が都市整備公社に勤めていて、サンパルへジュンク堂が入居してくれないかと泣きついてきました。聞けば紀伊國屋や旭屋には断られての依頼。
■サンパルに大型書店を作る
工藤社長はアムステルダムに行った時、商店街の本屋で高い棚に整然と並べられた本の列を見て、図書館みたいやなと感動したことを思い出します。西宮に1号店を出していましたが、スペースの関係上、専門書をそう置けません。客からの問い合わせに「ありません」と答えると、「じゃあ、紀伊国屋へ行くか」といって去っていくお客を悔しく思っていました。そこで専門店を充実した本屋を目指します。これがジュンク堂で初めての大型書店になります。
サンパルの3フロアに出ますので、大店法の商業調整協議会の審議を受け、書店組合と話をつけなければならなくなりました。書店組合の条件は「フロアーを20坪けずれ」で、けずったところを喫茶店にしました。ジュンク堂に喫茶コーナーが誕生したのは、こんな理由だったんですね。
■ベストセラーに頼らない書店コンセプト
ジュンク堂サンパル店は3001982年坪で3月20日に開店。定番の週刊誌が売れるだろうと置いてみたらサッパリ売れません。週刊誌は駅や通勤途中の町の本屋で買い、わざわざ三宮の奥にあるサンパルで購入しません。そこでベストセラーなどに頼らない書店コンセプトがサンパルで生まれました。仏典コーナーへ行くといったい誰が買うんだという阿含経典や南伝大蔵経などがずらっと並んでいます。
サンパル店は1991年に500坪に増床し、2001年に隣のダイエー7階へ移転。550坪に増床となり現在に続いています。そうかジュンク堂の原点はサンパルだったんですね。

見ていながら見ていない

20代で、もう少しスリムだった頃、阪急芦屋川駅から城山、打越山、六甲山を超えて有馬に降り、金湯・銀湯につかって汗を流してからロープウェイでよく帰ってきていました。いわゆるハイキングです。 

芦屋川駅を降りて川沿いの道を歩いて、まず向かうのは城山なんですが、兵庫県の山城を調べると、この城山が鷹尾城だったことが判明。遺構はだいぶ失われていますが堅堀や土橋は残っているようです。若い時に何十回も登った城山だったのに全然、気がつきませんでした。大体、地名が城山なのに(笑)、20代の頃は山城には興味がなかったですからね。 

見ているはずなのに見ていないことってよくありますね。 

創業相談をたくさん受けるようになると、ランチを食べに入った店でお客さんの数、席の数をざっと見て、メニューから平均単価を割りだし、回転率から日の売上を計算するようになっちゃいますねえ。20代の時はお店に入っても何を食べようかしか考えてなかったのですが、同じものを見ているはずなのに見ていないことは多いです。まだまだ気がついていない見方がたくさんあるのでしょう。 

大名行列屋の経営革新

江戸時代、各藩で大名行列が行われていましたが藩から全て移動するわけではなく、必要最低限の人間が江戸まで旅をしていました。
江戸の手前で人足を雇って大名行列を仕立てます。つまりアルバイトですね、京都の時代祭で学生アルバイトを雇っていますが、あれとよく似たものです。人足を派遣する口入屋がありました。ところが明治維新になってしまい、廃藩置県が行われて大名行列がなくなってしまいました。
外部市場がいきなり、なくなってしまったわけです。これは色々な商売で起きていて、例えば暦を作っていた業者がいましたが、いきなり太陽暦に変わってしまい、太陽暦しか売ったらダメだと言われて日しか書いていない味気ない暦が売れなくなってしまいました。
そこで考えたのが六曜。結婚式は大安吉日がよいとか葬式は友引を避けるとか現在でも使っているものです。単なる迷信でしたが、新暦にあてはめるとけっこう不思議な感じがして、庶民に流行してしまいました。今も上棟式を大安にするようなことになったのは、この暦業者が苦肉の策で掲載した販売促進が元凶です。
さて大名行列の口入屋ですが、市場がなくなってしまったので新規事業で考えたのが葬式行列(葬列)。それまでしめやかに行われていた葬送を、たくさんの行列でショー化することに成功。皆が、葬列を出すようになりました。大名行列でつちかった能力があるので先頭には奴の行列まであったそうです。昭和の初めころまであったようです。
朝日文庫から「増補新版 霊柩車の誕生」(井上章一著)という本が新しく出ていて、この葬列の経営革新の話が出ていました。この井上先生には「人形の誘惑--カーネルサンダースからの知的調査術」というタイトルで、話をしてもらったのは1999年。阪神タイガースが優勝できないのは道頓堀川に沈んだカーネルサンダースの呪いだとまことしやかにささやかれていた頃です。

スターバックスが都心に小型店展開を強化

コンビニカフェに対抗するためスターバックスが都心に小型店展開を強化していくと報道がありました。
■コーヒーは牛丼と同じでブランド・スイッチされやすい
コンビニ各社がテイクアウト・コーヒーに力を入れており、対抗するためスターバックスでは低コスト運営できる小型店を増やしています。背景としてコーヒーはブランド・スイッチされやすい点があります。例えば私の場合、新大阪駅のスターバックスが賑わっていると、「行列に並んでまで買いたくないな」と思い、新幹線ホームに上がってキヨスクでテイクアウト・コーヒーを買っています。もっと時間がないと車内販売のコーヒーを飲んでいます。
私のようなお客はキヨスクのコーヒでもドトールコーヒでも、なんでもよくテイクアウトでコーヒーが飲めればよいと思っています。コーヒーの味にすごい差があれば別ですが、スターバックス・ファンでない限り、簡単にブランドスイッチしてしまいます。これは牛丼の世界と同じで、吉野家の牛丼でないとダメというお客もいますが、松屋、すき家、吉野家のどこでもよいと考えるお客も多くいます。こうなると、お店が目に入るかどうかが勝負で、価格はあまり関係がありません。
■コンビニカフェの周りに店を出す
コンビニの場合、店舗をまわるトラックの配送効率を考えドミナント戦略で出店しています。ドミナント戦略とは集中戦略のことで、ある地域に集中的に店舗をつくって面で地域をおさえてしまうことです。スターバックスの場合、主な原材料はコーヒーで、コンビニに比べ少品種になり、配送頻度も少なくてすみます。またコンビニよりも狭い商圏で成り立ちますので、コンビニカフェをつぶそうと思えばコンビニのすぐ近くにサンドウィッチする形で複数店を出せばOK。
また弁当を買おうとコンビニにお客があふれかえっている中、殺気立っている店員にテイクアウト・コーヒーを頼むのは至難の業。自分の後ろの列からは「なに時間がかかるものを頼んでいるんだ」ときつい視線がつきささります。近くにテイクアウトコーヒー店があれば、そっちでコーヒーを買おうになってしまいます。テイクアウト店で買うのが習慣化すると、コンビニがすいていても店員にテイクアウト・コーヒーを頼まなくなります。
スターバックスとしては、なるべく行列を作らさず、すぐにコーヒーが買えるオペレーション勝負になります。店に入って、買ってから店を出るまでの動線設計も重要です。プロモーション用の変な看板を動線上に置いてしまったらアウト。待ち時間が増えた途端、お客が離れていきます。
さてコンビニカフェとスターバックスとの戦い、どうなりますことやら。

ビールが売れなくなったのは若者が飲まなくなったせいじゃない

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コンビニエンスストア大手がビール、ワインなど酒類販売を強化しています。
私もよくコンビニに寄り、ビールと一緒に「おつまみ」を買っています。不況の影響で外食が減り、その分、家飲みが増えています。そこでコンビニに寄ってお酒を買ってもらおうとギネスや銀河高原ビールを取り揃えているコンビニや、地酒コーナーを作っているコンビニもあります。実際、セブンイレブンではお酒を買った人の34%が惣菜を買っていて、客単価をあげています。
もう少しマクロ的にみるとビール全体の売上は伸びておらず、売上の奪い合いをしているゼロサムゲームになっています。
■ビール全体の売上が減少
ビール出荷量(売上)は1994年をピークに右肩下がりで減少しています。今やビールはピーク時の35%までの落ち込み。もっとも1980年代から発泡酒が発売され、やがて第三のビールが出たので、価格が安い発泡酒などにブランドスイッチしたこともありますが、「ビール+発泡酒+第三のビール」を足しても売上はピーク時の70%しかありません。
なぜビールが飲まれなくなったのでしょうか。
よく聞くのが若者がビールを飲まなくなった話。確かに宴会での「とりあえずビール」がなくなりました。乾杯ではビール&ウーロン茶が定番でしたが、最近は乾杯前に酎ハイレモン、ソーダ割り、冷酒などと様々な声が上がり、乾杯が始まる時間がどんどん遅くなる傾向にあります。また生理的にお酒を飲めない男性が目立つようになってきました。
■生産者年齢人口の減少が影響
ビールが売れなくなったのは若者のビール離れなどの影響ももちろんありますが、一番大きいのが生産者年齢人口の減少。日本の総人口が減少しだしたということはよく聞きますが、その前に減少しはじめているのが生産者年齢人口です。生産者年齢人口とは15~64歳の人口で、いわゆる働いている人の数を差しています。
総人口の減少前に生産者年齢人口がピークアウトしています。ピークアウトの時期が1995年頃。見事にビール出荷量と合致しています。ですのでビールが飲まれなくなった主な原因は働き盛り世代の減少、つまり生産者年齢人口の減少です。
■きょうの料理は5人前だった
もう一つは単身世帯の増加。日本全国の1世帯当たりの人員は2.42人ですが、東京では2人をとうとう切りそうな数字になっており単身世帯が全体の45%を占めています。
50年前、NHK「きょうの料理」がスタートした時、材料は5人前でした。核家族化が進むとともにどんどん減り、今や2人前を前提に放送しています。早晩、1人前になる日がくるでしょう。
単身世帯は若者だけでなく中高齢者もいます。ですのでビールを安いスーパーでまとめ買いするという買い方から、コンビニに寄って必要な 分だけ買おうに購買パターンに変化しています。料理をしないので家に冷蔵庫がない、あっても買い置きできないほど小さな冷蔵庫しかない単身世帯もあります。
コンビニとしては酒類を充実して、スーパーなどからビールの売上を奪おうということでしょう。
■ビール会社はどう考えている
ドラッカーの言葉に「すでに起こった未来」というのがあります。これは「結果の中に見出されるものは、既に原因の中に芽生えている」ということで未来を予想することは難しいのですが人口構造の変化など、ある程度は予想できます。結局、話は頓挫してしまいましたがキリンとサントリーが経営統合に向け交渉に入ったのも縮小する国内市場で規模の経済を追わないと生き残れないと考えたからでしょう。
現在、ビール各社は海外のビール会社のM&Aなどを積極的に展開し、海外市場へ視点を移しています。またサッポロビールはセブン&アイ・ホールディングスと共同開発でPB(プライベートブランド)ビールを発売。サッポロはブランドを捨て、とうとうルビコン川を渡ってしまったと業界で話題になりました。

適度な競争は必要ですなあ。焼肉屋の事例

今日は梅田でお仕事、夕方に家へ戻ると焼肉が食べたいということで家族で近くの焼肉屋へ
東大阪に15年ほど住んでおりますが、入ったのは始めてのお店です。18時に行くと、暖簾も出ていないので、「やっていますか」と声を掛けると、「まだご飯が炊けないのですが大丈夫です」という返事。
夫婦でやっている店ですが、店で配膳している親父の愛想がよくない。せめて注文の復唱ぐらいしないと。
肉の味はまあまあで、松坂あたりの焼肉の倍の値段ですが、まあ大阪なんで仕方ありません。この近くに焼肉屋は1軒しかありませんが、松坂のように20軒以上の店がしのぎをけずっている中では確実につぶれています。
適度な競争はやはり必要ですね。