書寫山圓教寺

書寫山圓教寺

姫路・書寫山にある古刹です。室町時代の大講堂、食堂、常行堂が残っていて重要文化財になっています。食堂の建立は1174年(承安四年)ですので保元・平治の乱(源平合戦)の前ですね。雰囲気抜群なので多くのドラマや映画のロケ地になっています。特に有名なのがトム・クルーズ、渡辺謙、真田広之、小雪らが出演した映画「ラストサムライ」です。

■ラストサムライのモデル
幕末に私人として幕府軍に協力していたフランス軍人がいました。30年ぐらい前に読んだ本の巻頭に写真が掲載されていて、函館戦争の前に洋服の軍服を来た日本人に交じってフランス人士官4名映っている写真です。本はこの写真を元にフランス人士官を捜索する物語です。歴史が掘り起こされて、詳細が分かるようになりましたが幕府軍の指導にきていたブリュネ砲兵中尉です。

戊辰戦争となりフランス公使らが帰国するなか、ナポレオン3世あてに辞表を提出し、榎本武揚など幕府軍とともに転戦し、五稜郭の戦いにも参加しています。幕府軍が陥落する前に箱館港に停泊中していたフランス軍艦で脱出、フランスに連れ戻されます。軍事裁判ものでしたが騎士道をつらぬいたブリュネへのフランス国民の後押しがあり最終的には軍に戻れます。

■南北戦争で日本人が参戦していた!
戦いにはいろいろな側面があるんですね。「南北戦争を戦った日本人」(筑摩書房)も面白かったですよ。吉田松陰がアメリカに密航しようとして捕まった事件が有名ですが、実際に密航したケースや遭難で海外にわたっているケースがありました。また咸臨丸からも3名が行方不明になっています。水夫クラスで西欧の進んだ姿をみたのが原因かもしれません。

■屋根瓦の落書き
天文24年(1555)瓦職人が落書きしたもので甚六なる男の成仏祈願をしたもので、どうも同性愛のようです。

稲田騒動(淡路島が兵庫県になったわけ)

御城番屋敷

淡路島といえばパソナではなく稲田騒動が有名です。明治3年(庚午の年)に起きたので庚午事変とも呼ばれています。

■全員解雇
昔、日本史で習いましたが明治2年に版籍奉還が行われます。藩が、所有していた土地【版】と人民【籍】を朝廷に返還させました。地方分権から中央集権国家にする流れでもありますし、古代のように大王が土地と民を支配する世の中に戻すともいえます。藩主はそのまま県知事に移行しますので、まだソフトランディングでした。

続けて禄制改革が行われます。武士への給与支払いを辞めて、その代わり公債を与えるので自分たちで何とかしろということですね。今でいえば県庁職員で安泰だと思っていたら、いきなり退職金を出すかわりに全員、失業ということです。公債をもとに慣れない商売に手を出して失敗する「武士の商法」が続出しました。

■淡路独立運動
稲田家はもともと蜂須賀小六の客分で、蜂須賀家の阿波入府にあわせて筆頭家老として淡路に入ります。家臣の意識は蜂須賀家と同格でしたが時代が過ぎるにあわせて蜂須賀家が主という振る舞いに変わっていきます。幕末、徳島藩は佐幕派なのに稲田家は尊王派という確執もあり、引き金となったのが禄制改革です。

徳島藩家臣は士族ですが、稲田家は卒族(下級武士扱い)となり、納得いかない稲田家では淡路を徳島藩から独立させる動きになります。徳島藩の一部過激派が淡路に乗り込んで戦いとなります。これが稲田騒動です。この騒動によって淡路は本来の徳島県ではなく、兵庫県に属することになり本日に至っています。

■松阪の御城番屋敷もお家騒動から
江戸時代、松阪は紀州藩の土地で、幕末に騒動が起きました。紀伊田辺に住んでいた紀州藩主直属の家臣に対して直臣(藩主直属)から陪臣(藩主の家来の家臣)になるように命じられます。本社のエリート街道を歩いていたのが、子会社へ転籍しろと命じられたのと同じですので抗議しましたがダメで、武士の誇りを選んで浪人しました。

浪人生活は6年にもなりましたが、あきらめずに伝手を頼って徳川慶喜などに嘆願。ようやく復帰がかない、新しい赴任先となったのが松阪城の御城番。騒動を起こしたので、紀州から離れたところへ行けということでしょう。ところが今度は明治維新が起きてしまいました。苦労して勝ち取った武家屋敷を守っていくため合資会社苗秀社を設立。皆で団結して時代を乗り切り、苗秀社は今も続いています。

幕末から明治にかけて、武士は失業というハードランディングを乗り越えるのに必死でした。

多田さんの故郷

多田神社

阪急宝塚線の川西能勢口駅で能勢電鉄で北に向かう途中に多田駅があります。駅から西に歩くと高台の上に多田神社があります。昔は摂津国川辺郡多田でした。平安時代、二度にわたって摂津の国司を務めた源満仲が土着し、この地で武士団を形成していきます。拠点となったのが川を堀とした多田神社がある場所です。地名をとって多田満仲と名乗るようになることで多田氏の祖となります。

満仲の長男が源頼光で、酒呑童子を討ち取ったことで有名で、摂津の地盤を継承したことから摂津源氏の祖となり、三男が源頼信で河内源氏の祖となり、頼朝へつながっていきます。多田神社は清和源氏発祥の地となり室町幕府や徳川幕府などが自分たちの祖廟として庇護します。

五色塚古墳

明石海峡大橋のすぐ近くにあるのが五色塚古墳。高台に築かれた前方後円墳で、今は明石海峡大橋がランドマークですが、古代はこの五色塚古墳がダントツのランドマークでした。航行していた船からよく見えたでしょうね。後円からの眺めは抜群で明石海峡や四国がよく見えます。

五色塚古墳
五色塚古墳

五色塚古墳は全長194mで兵庫県最大の前方後円墳になります。古墳時代中期の4世紀末~5世紀初頭に造られたようですが被葬者は分かっていません。明石海峡一帯を支配した豪族の首長でしょうが、大和政権の大王墓に匹敵する規模ですので、大和との関りがあった人物になります。五色塚古墳からは大和政権の領域になると明示する効果もあったようです。山陽電鉄・霞ヶ丘駅から歩いてすぐです。

大中遺跡

五重塔がある圓満寺のすぐ近くにあるのが大中遺跡。台地の上にある弥生末期から古墳時代初頭にかけての集落跡で、ちょうど邪馬台国の時代とかぶります。1962年、考古学に興味をもっていた近くの中学生3人が土器を掘り出したことから発見されました。

大中遺跡
大中遺跡

まだ全体の20%しか調査されていませんが、73軒の竪穴住居跡が見つかっています。遺跡内には少なくとも250軒くらいの住居が建てられていたようで、こうなると邪馬台国のクニの一つですね。竪穴住居跡は一部復元して公開されています。

■野添城
遺跡があるのは大中という地名で、あとで地図を見てみると、すぐ隣に野添城の地名が残っています。城東公園やら城の宮公園など気になる名前が多いのですが、現在は住宅地で城らしい痕跡は皆無。地名として残っているので城郭か何かあったんでしょうね。

播磨 五重塔

JRに乗って姫路訪問へ向かうと加古川駅手前で瀬戸内海側に五重塔が見えます。なかなか風情があり前から気になっていたので地図で調べて行ってきました。最寄り駅はJR土山駅です。

円満寺 五重塔
円満寺 五重塔

圓満寺という高野山真言宗のお寺で、お目当ての五重塔は木造ではなく、塔の外には階段がついていて各階に登れるようになっています。中にはエレベータもあるそうです。舎利宝塔という名前で平成5年に建てられ、高さは42メートルもあります。こういうものは変に調べず、遠くから眺めるのが一番ですなあ。

寺の歴史を見ると弘法大師の開祖といいながら昭和まで歴史が飛んでいて霊園の話が出てくるので、けっこう新しい寺のようです。

関西学院構内古墳

関西学院大学です。関西は「くわんせい」と読みますので「かんさいがくいん」と言うと怒られます。

関西学院構内古墳
関西学院構内古墳

関西学院大学は創立40周年の1929年(昭和4年)に神戸から甲東村(西宮市)へ移転。移転した上ケ原校地は東六甲石丁場など遺跡が多い所でした。社会学部の裏手には古墳もあり、関西学院構内古墳と呼ばれています。古墳時代後期に造られたもので、このあたりに古墳群がありましたが多くが消失しました。

上ケ原では江戸時代に用水を整備し新田が作られます。江戸時代に建てられた道標や、用水を分配する石の分水樋がそこかしこに残っています。

サンパルがいよいよ建て替え

神戸・三宮にあるサンパルが、いよいよ建替工事に入るということで、神戸に行ったついでに見てきました。ほとんどのテナントが撤去していました。

サンパル
サンパル

2013年~2016年の3年間、サンパル6Fにあった「ひょうご産業活性化センター」で経営相談をやっていましたので毎週、行っておりました。阪神電車で行くと東口からミントや地下スーパーを通って雨の日に濡れずに行くことができました。もっとも朝はスーパーが閉まっているので濡れないといけないのですが(笑)

ランチはサンパル1Fにあった金魚で日替わりランチを食べていました。古書店もあったし、隣のダイエーにはジュンク堂(ダイエーはなくなりました今もジュンク堂はあります)もあり、めちゃくちゃ環境がよかったですね。1Fには大きくて安い事務用品専門店もありました。そうかサンパルがなくなるのかと、しみじみ。

尼崎

阪神尼崎駅すぐ近くにある商店街は日本一早いマジック点灯で有名です。もちろん阪神タイガースの優勝マジックで、商店街は阪神タイガースカラーになっています。

尼崎
尼崎

尼崎の略称はアマで、かっては、ひったくり件数・兵庫ナンバーワンと散々な街だったんですが、近年は関西住みやすい街、第1位になったりしています。ほんまかいな~あ。尼崎は大阪から淀川を渡ればすぐですし、市外局番は大阪と同じ「06」。三宮へ行くより梅田へ行く方が近く兵庫県という意識が希薄です。

尼崎は北から阪急、JR、阪神と並行して走っていて阪急沿線といえば塚口、武庫之荘と高級イメージですが、南になればなるほど庶民的ですね。阪急、阪神は経営統合しましたが、やっぱり阪神の雰囲気は阪急のマリンブルーとは全然ちゃいますなあ。

廣徳寺(尼崎)

城下町には大概、寺町があります。

廣徳寺
廣徳寺

京都の寺町通りは秀吉が京都の大改造をした時に80以上の寺院を集めた名残です。寺院は兵が駐屯できる土地と塀があるので寺をずらっと並べると防備するのに最適でした。伊賀上野の寺町通りなど各地にあります。大坂では江戸時代に上町台地に四天王寺にかけて寺町が作られました。

尼崎にも戸田氏鉄が尼崎城築城時に寺院ばかりを集めて作った寺町があり阪神・尼崎駅を電車が出ると南側にずらっと並んだ寺を見ることができます。この寺町にあるのが廣徳寺、もともとは大物にありましたが寺町を作る時に移されました。

廣徳寺が大物にあった時、大物崩れで負けた管領・細川高国は敵対した細川晴元と三好元長にこの寺で自害に追い込まれます。秀吉が中国大返しで山崎に行く途中に立ち寄って休息した寺とも言われています。