五條駅から西に登った尾根の上に岡西山城があります。周囲は住宅団地として開発されていますが奇跡的に山城が残っています。
けっこう技巧的な山城になっていますので筒井順慶と松永久秀が戦った永禄期に築城されたのでしょう。城主は在地の国人である大岡氏のようで麓に館跡があり、岡西山城は詰城でした。
写真は堀切と土橋で、郭内に入っていくと大きな堀切などが残っていました。
五條駅から西に登った尾根の上に岡西山城があります。周囲は住宅団地として開発されていますが奇跡的に山城が残っています。
けっこう技巧的な山城になっていますので筒井順慶と松永久秀が戦った永禄期に築城されたのでしょう。城主は在地の国人である大岡氏のようで麓に館跡があり、岡西山城は詰城でした。
写真は堀切と土橋で、郭内に入っていくと大きな堀切などが残っていました。
歓喜寺城は一城別郭(一つの城として運用しながら隣の山にも城がある)になっていて、もう一つ城があります。
歓喜寺城へ向かう途中に「佛の穴50m」という手書き看板があり、この看板の裏側にある山道を登ると歓喜寺城の隣山に登ることができます。頂上付近に郭がありますが、歓喜寺城がけっこう技巧的な城なのに対して、あんまり手は入れていない感じです。
堀切はありますが切岸などは甘いですね。眺めがよいので監視用の城だったのかなあ。
織田信長が浅井長政と対峙していた時に、浅井長政側の高島郡の攻略をすすめます。そのために明智光秀に作らせたのが歓喜寺城。天台系寺院である歓喜寺があった所で僧坊跡に三カ所、思い切り深い堀切を使って城郭化されています。
高島に攻め込むための兵員の駐屯地と圧倒的な最新の築城技術を国衆に見せて信長側になびかせるためでした。大手道に沿って石垣の壁になっていて、近江の国衆は驚いたでしょうね。すごいのは堀切で、ようこんなに掘りましたなあ、というぐらいの土木量です。
今日は大阪府よろず支援拠点の御用納めです。官公庁では「御用納め」を使い、会社関係では「仕事納め」という言い方をします。
昭和の時代、御用納めといえば納会がセットでした。午前中は年末の事務処理と取引先などへ挨拶周りなどをして、午後から大掃除。15時頃になると、おつまみ・乾きものを用意してビール片手に納会がはじまります。
20年ぐらい前までは、どっぷりこの環境に染まっていましたが独立してからは皆無ですねえ。民間では、まだ納会をやっているところも多いでしょう。ウチは一人会社なんで、ほぼ毎日、納会しています(笑)、って単に家で飲んでいるだけです。
もっとも、いくつか年明けに締切がある原稿があるんで、本当の仕事納めは、いつになることやら。
今日は大阪産業創造館にある大阪府よろず支援拠点で土曜日の相談当番。
大阪産業創造館の最寄り駅は堺筋本町駅なんですが駅のすぐ横に以前は帝人本社がありました。地下鉄からそのまま帝人ビルのエスカレータで地上まで上がれて便利だったんですが、今は階段しかありません。
帝人本社は移転してしまい跡地には高層マンションができることになり、だいぶ出来上がってきました。地上37階建てで眺望抜群とありますが、高所恐怖症にとっては何の魅力もないですなあ。4階を超えると御免こうむりたいです。
これが山城になると高い切岸(崖)の上にいても平気でして、ここらへんの感覚は不思議ですねえ。
2020年もあっという間に終わりですね。年内最後の土曜日は大阪産業創造館2Fにある大阪府よろず支援拠点で相談業務です。
今年はコロナ禍でたくさんの相談があった一年でした。相談対応のために土日も交代で相談するようになりましたが、さすがに落ち着いてきたので日祝はなしで土曜だけ相談という体制になっています。
クリスマスです。
今年もあと1時間ほどでNORADによるサンタ追跡がはじまります。ノーラッド(NORAD)の正式名称は北アメリカ航空宇宙防衛司令部でアメリカ合衆国とカナダが共同で運営する統合防衛組織です。
■サンタ追跡プロジェクト
サンタ追跡プロジェクトが始まったのはアメリカとソ連との間で冷戦まっさかりだった1955年。そもそもはノーラッド司令部があるコロラド州の大手スーパーが配ったチラシに問題がありました。チラシには子供向けサンタクロース・ホットラインの電話番号が掲載されていましたが、これが間違った電話番号を記載。よりにもよってノーラッドの司令長官用ホットラインの番号でした。
さっそく子供から司令長官に電話がかかってきます。「サンタさんはどこにいるの?」という子供の問い合わせに対し、シャレのきいた司令長官だったようで「レーダーで調べた結果、サンタさんが北極から南に向かった形跡がある」と子供に回答。それ以来、クリスマス・イヴになるとノーラッドが全勢力をあげてサンタを追跡する伝統が始まり、現在まで続いています。
大阪中心部にあるのが堺筋本町。いわゆる船場ですが繊維街はだいぶ衰退してしまって帝人本社跡地はタワーマンションに生まれ変わっています。
堺筋本町にあるのが大阪国際ビル。1階には紀伊国屋書店が入っていて、よく利用していますというか、けっこうな金額を使っているはずです。近くに本屋があるのがいいですねえ。
この大阪国際ビルから大阪の町が一望できますが、写真は東側、生駒山の方角です。生駒山のずっと左側の山の上にあったのが飯盛山城。
大阪城はビルの陰で見えませんが左の方にはランサムウェアの攻撃を受けたカプコン本社のビルが見えています。
茨木で仕事でしたので、ついでに茨木神社へ寄ってきました。神社には茨木城の搦手門が移築されています。茨木城は摂津にあったお城ですが、現在は住宅地になってしまい殿町といった城にまつわる地名が残っています。遺構として残っているのは搦手門だけです。
茨木城の城主はいろいろと変わりましたが、信長・秀吉の時代に城主だったのが中川清秀。茨木の隣が高槻で高槻城の高山右近が従兄弟となり、山崎の合戦では最前線で高山右近とともに活躍しました。秀吉と勝家が激突した賤ヶ岳の戦いでは二番手で大岩山砦を守っていた時、勝家軍の佐久間盛政が大きく迂回して攻撃してきたため奮戦しましたが討死します。
早いもので、もう師走です。
師走といえば忘年会ですがコロナ禍の影響で中止の連絡ばかり。結局、1回も開催せずに年を越しそうです。忘年会無しなんて、たぶん社会人になって初めてじゃないかなあ。
飲食店は忘年会の自粛や時短営業のため、いつもの年のようにお酒の量が出ませんので、日本酒の蔵元や酒造メーカーにも影響を与えています。
忘年会がなくなったので酒代がその分、浮くはずなんですが、結局、家で飲んでいるのでいつもと同じです。世間一般の人は忘年会では飲むけど家で飲まないんですなあ。