中盤を過ぎたオンライン授業

大学の講義は前期が全てオンライン授業となり、ちょうど半分を過ぎました。

ビール
ビール

学生もオンライン授業に慣れたようで授業終了後の質問タイムでは、学生が画面を共有して疑問点を聞いてきます。学生の画面を確認しながら回答できるので、これはオンライン授業ならではの利点ですね。

さて京都橘大学で毎年、行っているWOC認定看護師講座ですがコロナの影響で7/1開講とずれこみました。また開講してから、しばらくはオンライン授業で行うことになると連絡がありました。こちらの受講生は現役の看護士さんばかりなので、ウーン、Zoomでの講義が大変そう。だいたい講義が終わってから京都の街に遊びに行けない(笑)。

オンライン授業で教える側も慣れましたが、職住近接どころか自宅そのものなんで、終わるとすぐパソコンやクロマキーを片付けて、冷蔵庫からビールを出して飲んでおります。こりゃずっとオンライン授業でもいいな~あ。

夏越の祓

令和2年も前半がまもなく終了。

夏越の祓
夏越の祓

ということで枚岡神社へ夏越の祓に。例年は6/30の法要が終わってから茅の輪くぐりができるのですが、新型コロナの影響か、もう通れるようになっていました。

枚岡神社はしっかりマーケティングをしており、夏越の祓と大祓(年末)前には案内、人形(ひとがた)、振込用紙などの祓いセット、きっちり届きます。郵送もできるシステムになっていますが、いつも神社へ納めに行っています。

今年は新型コロナの影響もあるので、夏越の祓をする人が増えるかもしれません。

増田長盛が整備した外堀

大和郡山城は信長時代に筒井順慶が筒井城から移って整備します。筒井順慶が死去すると、養子の筒井定次は秀吉の命令で伊賀上野城へ転封となります。その後に入ったのが秀吉の弟である豊臣秀長です。大和、和泉、紀伊をおさめる居城とします。現在の縄張りはこの秀長時代のものが基本になっているようです。

外堀
外堀

秀長が病没した後は増田長盛が入りました。増田長盛といえば秀吉に仕え太閤検地などで活躍しました。秀吉亡き後は五奉行として石田三成とともに家康に対抗しますが、この増田長盛が作ったのが外堀、いわゆる総構です。秀吉の命令だったのでしょうが増田長盛は小田原征伐にも参加していますので後北条氏が作った総構を参考にしたのでしょう。外堀の一部は整備されて公園になっています。

大和郡山城・外堀

近鉄郡山駅から北へ向かうと線路が森を突っ切っていきます。丘のようになっているので、ずっと切通しだと思っていました。ある日、気になって電車が通る時によく窓の外を見ると森の横に水路が見えます。

大和郡山城・外堀
大和郡山城・外堀

まさか堀? 大和郡山城からかなり離れているので外堀?

Googleマップで調べると付近に微妙に池や水路が残っていて外堀で間違いなし。念のために大和郡山の古地図を見ると ピンポンでした。

というわけで出かけてきました。丘に見えたのは総構の土塁跡で木が生繁っていました。堀跡は水路に線路の西側には代官池があったそうですが、こちらも水路に。こんなところに城跡が残っているんですなあ。

黒門市場で歓迎会

土曜日は東京へ転勤したはずが早々と大阪へ舞い戻った御仁がおり黒門市場でファイティング・コンサルタンツの歓迎会。

黒門市場
黒門市場

■黒門市場
宴会前に黒門市場に寄ってみましたが人出は1/5ぐらい。インバウンド客向けに高級なお寿司や神戸肉を提供していたお店は閉まっていました。足をのばして電気街とオタクの街である日本橋に行くと、こっちの人出は戻っていました。

■寿恵廣
宴会場所はいつもの寿恵廣。13時から始まって17時まで飲んでおりました。隣では従業員の皆さんが交代で賄いを食べていて、そっちがおいしそうでした。

生国魂神社・行宮

大阪府よろず支援拠点は堺筋本町の大阪産業創造館にあり、朝は谷四で降りて生国魂神社・行宮にお参りしてから向かっています。行宮といいながら本殿と隣には稲荷神社もある立派な神社です。「商売繁盛」を祈願しています(笑)。

生国魂神社・行宮
生国魂神社・行宮

行宮から、ちょっと歩いた大阪城内には御旅所があります。本殿は上六近くにあり大阪では「いくたまさん」と呼ばれています。祭神は生島神(いくしまのかみ)、足島神(たるしまのかみ)で日本国土の神さんです。

なんで谷町周辺に行宮と御旅所があるのか不思議だったのですが行宮は明治始めに氏子が土地を奉納して行宮が作られたようです。御旅所は昭和の初めに大阪城公園を整備する時に造られました。今は碑だけが残っています。「いくたまさん」は元々、御旅所があった所にありましたが秀吉が大坂城を造る時、上六近くの現在の場所に移しました。

Zoomでセミナー

Zoomでウェブセミナー。

Zoom
Zoom

JETRO主催の「初めての越境EC活用」セミナーで第一部「越境ECの基礎知識と活用のポイント」を担当。第二部の講師は東京のJETROから参加してJAPAN MALL事業について紹介していました。離れた地の講師をセットしてセミナーができるえらい時代になっちゃいました。

使ったツールはZoomウェビナーというセミナー用のツール。基本はZoomと同じですが、主催者と講師2人がパネラーとして参加しますので画面には3人しか出てきません。スピーカービューにしておくと講師だけがどーんとアップで表示されます。ZoomウェビナーにはQ&A機能があるので参加者が書きこんだ質問に講座後に回答していきます。参加者も職場からセミナーに参加できるので楽ですねえ。

セミナーがこんな形でウェブに置き換わっていくと、セミナー後においしいものを食べたり飲んだりする楽しみがなくなちゃうじゃないですかあ。冬なら山城に行けなくなる!!由々しき事態ですなあ。はやくワクチン開発されないかなあ。

フェークニュース

フェークニュースに引っ掛かってしまいました。

津田城
津田城

■津田城
と言っても江戸時代の話で伊能忠敬が日本全国で測量していた頃の話のフェークニュースです。大和と摂津の境に国見山があり、ここにあったのが津田城。昔、登った山城ですが変わったお城で大坂側には防御施設はなく大和側にしか土橋や土塁がありません。しかも郭が山頂にありません。本当に城跡かいなと思っていましたが立札もしっかりたっていました。

■偽文書-椿井文書
最近、出た「椿井文書ー日本最大級の偽文書」(中公新書)に、とんでもない話が載っていました。椿井正隆という人物がいて地域の富農などに頼まれて、もともとは武士だったという系図を作成していました。整合性をあわせるためにいろいろな古文書も捏造。しかも別の地域でも行っており離れた地域でも相互に関連していてダブルチェックしても大丈夫なようになっています。

これが近畿一円に流布していて地域の町おこしなどでも使われ市のホームページや神社の由緒書きに使われるまでになってしまいました。というわけで津田城もフェークニュース。本来は山岳寺院の跡で、ただ三好三人衆と松永久秀との戦いでは陣城として使われ、この時に土塁が作られたんでしょう。

100匹目の猿現象

水曜にAll About経由でテレビ朝日から文書の確認をしてほしいと電話がありました。「マツコ&有吉 かりそめ天国」番組収録中にマツコ&有吉のトークで100匹目の猿現象の話が出てテロップをいれたいので確認してほしいという内容でした。そういえば昔、All Aboutで100匹目の猿現象に関するガイド記事を書いていて、これを見たとのこと。

猿

■100匹目の猿現象
100匹目の猿現象とは猿の一頭がイモを洗って食べる事を覚え、同じ行動をする猿の数が閾値(例えば100匹)を超えた時、場所を隔てた別の猿の群れでも突然この行動が見られるようになったという話ですが、提唱者の作り話と判明しています。ただクリティカルマスについて説明する時に分かりやすいので題材としてよく使われています。マーケティングでよく使われるオムツと缶ビールに相関関係がある都市伝説と同じですね。

■マツコ&有吉 かりそめ天国
ということでディレクターから届いたのが”100 匹目の猿現象=「ある行動」や「考え」などが、ある一定数を超えると「接触のない同類の仲間に伝播する」超常現象の仮説”という文章でした。

まあ仮説だからOKですと返事。さてどんな番組かなと、ちょうど昨夜にやっていたので見ていたら有吉さんが100匹目の猿現象の話をはじめ、アレアレと思っていたらこのテロップが出て「情報監修:水谷哲也」と名前が出ていました。メールを見直したら放映日が昨夜になってました(笑)。そんなに早いんですかいなあ。でも、こんな水谷哲也という名前だけでOKなんかいな、とテレビにつっこんでおりました。

新しい取り組みはいいんだけど

最近、LEC岡山の仕事で年に3回ぐらい岡山へ行っているんですが今回はリモートになってしまいました。

リモート
リモート

仕事のついでに現地のおいしいものを食べて山城へ行くのが楽しみだったんですが、消えてしまいました(泣)。今回は岡山名物の「えびめし」を目指していたのに!!新しい取り組みはいいのですが現地での出張がなくなるのは考えものですなあ。

LEC梅田へ行ってリモートでやりましたがINPIT(知財総合支援窓口)ができていました。そういえば大阪はLECが受託したとか言っていましたねえ。