桑名三重信用金庫

桑名三重信用金庫
桑名三重信用金庫

三重信用金庫の看板が桑名三重信用金庫に変わっていました。桑名信用金庫と松阪を地盤とする三重信用金庫が2/25に合併しています。以前、北伊勢信用金庫と上野信用金庫が合併して北伊勢上野信用金庫が誕生しており、これで三重県内の信用金庫は・桑名三重信用金庫・北伊勢上野信用金庫・津信用金庫・紀北信用金庫(尾鷲)になっています。


地銀は百五銀行とこれまた三重銀行と第三銀行が合併してできた三十三フィナンシャルグループの二行体制で、北からは大垣共立銀行が西からは南都銀行が県境をまたいで攻め込んでいます。

佐田城

佐田城
佐田城

佐田城の口城から西に道を登っていくと佐田の集落に入り、集落にある春日神社境内には束明神古墳があります。春日神社への道を曲がらずにまっすぐ行くと峠道に入り、与楽の集落に抜けることができます。与楽まで向かわず、峠道のピークあたりから東にある頂上を目指すと佐田城に入れます。「近畿の城郭」の縄張図には南から入れる道が書かれていたのですが、そんな道は見つからず必然的に切岸を登ることになります。 

佐田城は山城では珍しく輪郭式になっていて一段と高い頂上に主郭があり、けっこうな広さがあります。主郭の周りを帯郭が巡り、その下の段にも郭がありました。けっこう広い郭でかなりの軍勢を配置できます。越智氏の貝吹山城のすぐ近くなので越智氏の城だったのでしょうが松永久秀側の附城だった可能性もあります。帰りは南の道を探したのですが、結局、迷ってしまい崖をひたすら降りて峠道にたどりつきました。 

佐田城の口城

佐田城の口城
佐田城の口城

佐田城の口城は「近畿の城郭Ⅳ」に掲載されていた山城で曾羽城の帰りに寄ってきました。

場所は高取国際高校横から束明神古墳へ行く途中にあります。束明神古墳から山を登っていくと佐田城があり、佐田城の口城はこの佐田城の前衛だったようです。

佐田城の口城は越智氏の詰城である貝吹山城の南東に位置するので間違いなく越智氏と関係する城でしょう。東側に大きな堀切があり松永久秀や筒井氏から西側にある越智氏の本拠地を守るための城の一つだったのでしょう。谷を挟んだ向こう側にも城郭跡の遺構が発掘調査で見つかっていますので2つの城で街道をおさえていたようです。

城は主郭を中心に構成された割と小規模の城ですが、後世に畑に改変された部分もあり、もう一つ郭があった可能性もあります。

被保険者月額変更届

被保険者月額変更届
被保険者月額変更届

2019年3月から3期目に入り、これを機会に役員報酬の改定をはかろうと被保険者月額変更届を提出したら6月(5月分支払済み)になったら出してくれと返送されてきました。
ホームページには速やかに提出するようにとありましたが実際に変動月から3か月間支払ってから提出するもんなんですねえ。

曾羽城

曾羽神社
曾羽神社

奈良県・高取町にあるのが曾羽(そわ)城。近鉄・吉野線「市尾駅」から西に600メートルほど行った丘陵上に城跡があり、丘陵の下には高野街道(紀路)が走っています。紀路というのは紀州街道・高野街道・巨勢谷・五条を経て高野・和歌山に通じる古代からある街道です。

曾羽城を造ったのは越智氏の被官だった米田氏だったようで、永禄4年(1561年)に松永久秀方が「ソワノ城」に取り掛かったので、紀伊から越智伊予守家増が帰陣したという記載が残っています。越智氏は結局、松永久秀の侵攻に屈しましたから越智攻めの附城に改修された可能性があります。

髙野街道から階段を登ると曾羽神社があり、この神社の裏手にある山道をせっせと登ると曾羽城に到達します。堀と土塁で囲まれた主郭などを堪能できます。

合同会社エムアイティエス 2期目の決算が終了

PCdesk
PCDesk

個人の確定申告はE-Taxを使ってすぐに終わりますが、法人はなかなか大変です。合同会社エムアイティエスの期末は2月末なんで朝からせっせと決算をやっておりました。 

クラウド法人会計freeeを使っているのですが勘定科目内訳明細書を出そうとしたら、なぜかエラー。”保存されていない明細があります”というエラーで一年分の取引を見直しても該当するものはありません。 

散々、頭をひねっていたら勘定科目内訳明細書の「預貯金等の内訳書」に転記された銀行名が長すぎるというエラーでした。そんなんfreeeが勝手に転記しているのに自動で何とかしてよ!というわけで修正して決算書&勘定科目内訳書が完成。 

【東大阪市は電子納付に未対応】 
ようやく決算が終わったのでPC-Desk(eLTAX対応ソフトウェア)を起動して法人税の申告です。法人税は東大阪市と中河内府税事務所の2つに申告しないといけないので大変です。 

税務署からプレ申告データ(XMLデータ)が届いているのでダウンロードして内容を記載し、電子証明書をつけて確定申告の報告。これで無事終了です。納税は中河内府税事務所は電子納付に対応しているので依頼し、東大阪市も電子申請しようとしたらPC-Deskから対応していませんというエラーが返ってきます。東大阪市に電話したら電子納付に対応していないということで、しょうがないので銀行へ行って納付してきました。去年も決算したけど銀行へ行ったことは完璧に忘れています。せっかくの電子申告なのにネットで完結しないのは残念ですね。

誰が殺した聖徳太子

中宮寺跡
中宮寺跡

法隆寺の隣にあるのが中宮寺。拝観料は600円ですが、「法隆寺を参拝します!」と受付でいうと500円になり、けっこうアバウトです(笑)。近代的な本堂があり、この中にあるのが弥勒菩薩半跏思惟像で国宝になっています。日本史で勉強した天寿国繍帳のレプリカもあります。 

創建当時の中宮寺は現在の中宮寺から東方約400メートルほど行ったところにあり、江戸時代のはじめに今の場所へ移ってきました。もともとの場所に伽藍はなく国の史跡になっていて行った時もちょうど発掘調査をやっていました。創建当時は四天王寺伽藍形式で金堂と塔が一直線に並んでいて聖徳太子の母である穴穂部間人皇女の宮殿を中宮寺にしたと伝わっています。 

【誰が殺した聖徳太子】 
クックロビンじゃありません(笑)。梅原猛の「隠された十字架」ではありませんが聖徳太子についてはいろいろと不思議な話が残っていて、例えば亡くなったのは推古天皇30年(622年)で、斑鳩宮で倒れ病の床に就きました。それは分かるのですが妃の膳大郎女が、太子が亡くなる前日に亡くなったと記録されています。 

なんとも不可解な話で、聖徳太子の母である穴穂部間人皇女も2ケ月ほど前に亡くなっています。伝染病なのか暗殺なのか謎につつまれていますが蘇我馬子の子である善徳が真の聖徳太子であり、後に中大兄皇子に暗殺された事実を隠蔽したのではという説もあります。斑鳩は古代ミステリーの宝庫ですねえ。

大納言塚

大納言塚
大納言塚

先日、ファイティングコンサルタンツのメンバーと行ったのが大和郡山城の近くにあるのが大納言塚。つまり秀吉の弟である秀長のお墓です。秀長が亡くなった時の官位が大納言だったので大納言塚と呼ばれています。 

【豊臣秀長】 
秀吉は織田家の中途採用から出世しましたので先祖伝来の郎党がいるわけでもなく、家臣団を構成するために親戚やヘッドハンティングするしかありませんでした。そんななか秀吉の右腕となったのが小一郎(秀長)で、農民の出身のはずですが才能に恵まれており、よく秀吉をサポートしました。 

秀長は温厚な性格で、秀吉の欠点を補い、僧兵や国人の争いが多かった大和も大過なく治めており実務能力も高かったようです。先日、亡くなった堺屋太一が「豊臣秀長―ある補佐役の生涯」という本も書いています。秀長は大和郡山城内で病死し大納言塚に葬られます。 

【藤堂高虎】 
この秀長の右腕だったのが藤堂高虎。主を7回変えたといいますが、それは若い頃の話で21歳で秀長に仕官してからは秀長が亡くなるまで15年にわたり仕えました。秀長亡き後は継いだ養子の豊臣秀保をサポートし、名代として文禄の役にも出兵しています。ところがこの秀保が17歳で早世してしまい大和豊臣家は断絶。藤堂高虎は出家して高野山に上ってしまいますます。才を惜しんだ豊臣秀吉が生駒親正に説得し還俗させました。 

WWW誕生から30周年

WWW30周年
WWW30周年

30年前の1989年3月12日にジュネーブにある欧州原子核研究機構(CERN)にいたティム・バーナーズ・リー氏がWebの基本構想をまとめた「Information Management:A Proposal」を提出しました。ということでGoogleロゴがWWW30周年になっています。

文書や画像のリンクをクリックすると次々と情報をたどれる仕組みがワールド・ワイド・ウェブですが1960年代に既に考えている人物がいて、それがテッド・ネルソン。ザナドゥ計画と名づけました。 ザナドゥの起源はモンゴル帝国のクビライ・ハンが、モンゴル高原南部につくった夏の都からきています。英国の詩人コールリッジが幻想詩「クーブラカーン」で都「ザナドゥ」を登場させて以来、ザナドゥはシャングリラと同じように幻想的な楽園の代名詞として広く使われるようになりました。

ですがザナドゥと聞くと思い出すのは1980年に公開された映画「ザナドゥ(Xanadu)」。建築会社の経営で成功を収めた老人(ジーン・ケリー)が「音楽の殿堂」実現を夢みています。画家志望の若者ソニー(マイケル・ベック)と女神キラ(オリヴィア・ニュートン・ジョン)が老人に力を貸すことになり、この二人が惹かれあっていきます。音楽の殿堂作りのなか、キラが暗誦する英国の詩人コールリッジの幻想詩「クーブラカーン」のなかに出てくるザナドゥから音楽の殿堂は「ザナドゥ」と名づけられます。

 いよいよオープンの日、オリヴィア・ニュートン・ジョンが歌うのがザナドゥ。ただキラは女神(ゼウスの娘)ですので神の世界に帰らなくてはいけません。光の中に姿を消すキラを見送るソニー。そんな失意のソニーにウェイトレスが近寄ってくると、それは笑みを浮かべたキラで、映画は終了。ザナドゥの音楽はエレクトリック・ライト・オーケストラが担当しました。アルバムは大ヒットしましたが映画は酷評され、商業的には失敗します。

ファイティングコンサルタンツ 斑鳩へ

大和郡山城 天守閣跡
大和郡山城 天守閣跡

中小企業診断士の研究会であるファイティング・コンサルタンツ。いつもは堺の深井で定例会を開催していますが、昨日は春の遠足ということで斑鳩へ。 

本当は飯盛山城へ登ろうと提案していたのですが、あえなく却下。行先は斑鳩となりました。梅原猛さんが先日亡くなられ、名著「隠された十字架」の舞台となった法隆寺です。

久しぶりに玉虫厨子や百済観音を見てきました。世界最古の印刷物である百万塔陀羅尼も展示されていました。百万塔陀羅尼は時たま古書市やオークションにでますが、ちょうどヤフオクを見たら傷や汚れありで35万円で出ていました。 

斑鳩の後、大和郡山へ出る話になってバスで行くか、歩くかの話となり一応、バスを提案したんですが天気がよいので大多数の意見は歩くことに決定。三重塔で有名な法起寺の横を延々と歩いて大和郡山を目指しますが、途中で疲れた!とブーブー言い始めます。だからバスを提案したんじゃないですかあ! 

ようやく豊臣秀長の大和郡山城天守閣跡に到着。最後は西大寺の居酒屋さんで、結局3時間以上、居座って散会しました。