酷道308号(暗越奈良街道)

暗峠

「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」で酷道博士をやっていたので番組でも紹介されていた国道308号線を登ってきました。ウチの家の近くに東高野街道と暗越奈良街道が交差しているところがあり、ここから登りはじめます。暗越奈良街道が国道308号になっています。近鉄奈良線を超えたところから1車線になり、ずっと登りが続きます。暗越奈良街道は最短距離で大阪と奈良を結びましたので、ほぼ直線になっていて、ひたすら登るしかありません。時たまバイクや車が通り過ぎますが最大排気で登っていますので通るとガソリン臭いこと

酷道らしく途中には斜度37度という坂も待っています。時間がかかってもよいという方は生駒山へのハイキングコースがいくつかあるので、そちらの方がよいでしょう。登るだけでもしんどいのですが、横をトレイルランしていくランナーやサイクリングで登っていくつわものもいます。麓から1時間ほど登ると石畳の暗峠に到達し、奈良の街が拡がっています。

第58回 BLAST研究会

BLAST研究会
  • 2002年に発足した中小企業診断士の研究会。コロナ禍の影響もありリアルな研究会を2019年12月を最後に開催していなかったのですが、ほぼ4年振りの開催です。出し物は2本です。
    ■1本目は秀さんによる「スーパー戦隊によるジェンダー」
    ゴレンジャーなどの昭和時代は男性中心で女性は赤色レンジャーとして参加していましたが、戦うわけではなく後方支援や看護などを担っていました。平成時代となり男女機会均等法などの制定にあわせ女性がリーダーになることも珍しくなくなり、5人のうちの2人が女性というスーパー戦隊もあります。令和時代になるとジェンダーレスとなり、男性ヒーローが赤色なんて当たり前で、えらく変わっているんですね。
  • ■2本目は伊藤さんによる「上場までの道のり」
    お会いした時から「将来、上場するぞ!」と言っておりましたが、まさに有言実行。宣言通り、2021年7月に東京証券取引所マザーズ(現グロース)に上場を果たします。そこに至るまでの苦しさや、一度、上場がうまくいかなかった時に、どうリカバリーしたのかなど、またIPO分野は経営戦略が中心なんで公認会計士ではなく中小企業診断士向きだという話など、興味深かったですね。終わってからは、いつものオフ会!久しぶりでした。

おおさか東線

大阪駅

おおさか東線の終点が新大阪駅だったのですが大阪駅まで延伸したので乗ってきました。新大阪駅を出ると淀川を渡って貨物線に入りますが、途中から地下トンネルに入る形に変わっていました。おおさか東線は特急「はるか」やサンダーバードとは別のホームに到着して折り返し運転をしています。

顔認証ゲートをホーム側から見てきましたが、大阪駅地上ホームに、そのまま乗り継ぎができエスカレータを上がって下がるを2回、繰り返すと大阪駅地上ホームの尼崎側の端に出ます。東京駅の総武線ホームへ向かう感じですね。東大阪だと混雑している御堂筋線に乗らずにバイパスできるので便利ですね。

琵琶湖疎水

琵琶湖疎水

琵琶湖から流れる水は瀬田川しかなく、瀬田川が宇治川、淀川と名前を変えて大阪湾に注ぎます。滋賀県人がよく使う脅し文句が「琵琶湖の水止めたろか!」という言葉。実際に3Dモデルを使ってシミュレーションをした人がいて、瀬田川の堰をとめると滋賀県の沿岸部と水田地帯がことごとく水没してしまいました。滋賀県にとっては経済的に大打撃になり、琵琶湖の水を止めるのは諸刃の剣です。よく似た話は奈良にもあり、大和川が大阪に流れだす亀の瀬で地滑りで起きて、自然ダムができると古代にあった奈良湖が誕生することになります。

シュミレーションでは琵琶湖の水位が30mあがると鉄道トンネルから琵琶湖の水が流れ出しました。瀬田川の堰をとめるのと同時に琵琶湖疎水もとめなくてはなりません。琵琶湖疎水は明治時代に作られ、蹴上発電所の電気で京都市電が走り、日本初の営業用電車となりました。山科駅の北側に琵琶湖疎水が流れていて散策路になっています。

髭茶屋追分

髭茶屋追分

「これやこの 行くも帰るも 別れては...」で有名な逢坂の関を超えて、山科に入ると髭茶屋追分があります。道が二手に分かれていて右に降りて行くと山科駅前を通って蹴上から三条大橋に至る京都への道です。左に坂を降りていくと京街道が始まり、大宅一里塚を通って、いわゆる東海道57次になります。

大津宿から、山科を越えて54次目の伏見となり、淀、枚方、守口の4宿で57次です。東海道が京街道へ延伸して57次として制定されたのは元和5年(1619年)ですので、豊臣家が滅んだ大坂の陣(1615年)から、わずか4年後になります。参勤交代の大名行列は、この髭茶屋追分から左に入るルートを通るように決められました。

スクールバス

山科

先日、山科へ行った時に懐かしい建物を見つけました。山科駅から南に歩いて外環三条の信号を渡って少し行ったところに郵便局がありました。今も建物はあるんですが、郵便局はなくなっていますね。1995年頃なんで、今から30年ほど前に、この郵便局前から橘女子大学へ向かうスクールバスが出ていました。この後に橘女子大工から京都橘女子大学になり、現在の京都橘大学となります。井上章一の「京都ぎらい」なら「山科は東山が西に見えるので京都やおへんで」と言われそうですが、京都という名前をつけたことで全国から学生が集まるようになりました(笑)。

このスクールバスですが最終は大宅甲ノ辻のバス停です。山の下でバス停から名神の高架下を超えて、坂をひたすら登らないと校門にたどりつけませんでした。その後、地下鉄の延伸と山科駅の再開発でバスロータリーができたために山科駅前から乗って大学の正門まで行けるようになり、便利になりました。梅雨時など雨が降ると郵便局前から住宅地まで学生の傘の列ができ、これが延々と続き、何台目のスクールバスに乗れるんだとヤキモキしていましたね。

府民税・市民税の納税

特別徴収

一人で会社をやっていると本業以外に経理も総務もやらなければなりません。慣れればなんてことはないのですが、やはり面倒ですね。

役員報酬から府民税・市民税を源泉徴収していますが、半年分をまとめて年2回支払います。地方税ポータルシステム(eLTAX)対応ソフトであるPCdeskを立ち上げて申告データを作成し、電子申告します。申告はすぐに受領されペイジーでの支払いができるのでネットバンキングから支払います。役所にいかなくても、ネットで完結するのでいいのですがelTAXの稼働時間が平日8:30-24:00までで、繁忙期をのぞいて土日は動いていません。

来月は所得税の特別徴収分を納税しなくてはならず、法人ですといろいろと細かな作業があります。

山科本願寺から石山本願寺へ

山科本願寺跡

イスラム教のスンニ派とシーア派との対立、またキリスト教でもカトリックとプロテスタントの対立があり世界中で宗教戦争があります。日本もかっては同様でした。特に一向宗と法華宗が争っており、政治的な話もからんでグチャグチャの状況です。

■大谷本願寺
本願寺が京都の大谷にあった頃、蓮如がやり手で、御文(おふみ)・御文章(ごぶんしょう)という、庶民が分かる書簡を使った教化を行い全国に信者を増やしていきます。近江に力をいれて布教しており、怖れをいだいた比叡山が京都に僧兵を送りこんで大谷本願寺を壊してしまいます。

■山科から大坂へ
そこで新しく造られたのが山科本願寺。寺と言いながら、二重の土塁と堀で囲まれた、ふつうの城です。ところが、ここも細川春元が率いる法華宗、近江守護六角氏の連合軍により焼き討ちにあいます。鉄壁の守りですが油断をついて攻め込まれました。次に移ったのが石山本願寺。いままでの経験をいかし徹底的に防備を固め、出城をいくつも作ったため、さしもの信長も攻めあぐね10年戦争(石山合戦)になりました。

最後は和睦して大阪を立ち退き紀州(鷺森本願寺)へ移ります。信長亡き後、秀吉と和睦して天満へ移り、その後に京都へ移ります。信長、秀吉、家康が宗教を非武装化したことにより、世界でも珍しく日本では宗教戦争がなくなっていきます。

山科本願寺公園

山科本願寺公園

先週のブラタモリを見ていたら山科が舞台で、山科本願寺の土塁跡が取り上げられていました。山科中央公園の一角に土塁跡が残っていて、そちらが紹介されていましたが、その後に出てきたのが本願寺跡にあった風呂設備の遺構です。

当時のお風呂は湯船タイプではなく、いわゆる蒸し風呂、つまりサウナです。そういえば先週の「どうする家康」でも蒸し風呂に入っている家康のシーンが出ていました。湯船タイプは江戸時代からになります。山科中央公園の土塁跡は昔、行ったのですが、風

呂設備についてははじめてで、さっそく山科本願寺公園へ出かけてきました。史跡公園として、できたのは2021年、つい最近なんですね。公園は山科本願寺の中枢である宗主空間があったところで、建物跡や堀跡が示されています。すぐ近くを新幹線が走っていますので、新幹線の窓からも見えます。山科の街を通り過ぎる北側になります。

日本ローマ字会 解散

京都にあった日本ローマ字会が3月に解散したんですね。昔ちょっとからんでいまして、理事をやっていた時もあります。日本ローマ字会はメチャクチャ古い会で100年以上の歴史があります。もともとは明治時代に地球物理学者である田中舘愛橘が始めた会で寺田寅彦なども会員でした。

紆余曲折があって京都に本部が移り、梅棹忠夫先生がローマ字論者でもあり知的生産の技術研究会の特別顧問でもあった関係で、私も日本ローマ字会に出入りしていました。ヘボン式でも訓令式でもない99式ローマ字を制定していた頃ですね。その後、また紆余曲折があって東京に本部が移る頃に離れました。

インバウンドや外国からの移民を真剣に考えるのなら漢字をどう扱うかがテーマですね。ある程度はローマ字で代用していかないといけない時代ですが、同音異義語をいかに減らしていくかが課題になります。