迷鉄・津島駅

津島駅

名鉄・佐屋駅からは須ケ口、吉良吉田、豊明行きが出ていますが、津島駅を出ると路線が2つに分かれており、佐屋駅からの出発便は津島線を通って名古屋駅方面を目指します。津島駅からは尾西線という名鉄一宮駅とを結ぶ線もあり、こちらは津島駅からしか出ていないようです。路線が2つもあるのにホーム一つだけで運用しているのは名鉄らしいですねえ!

名鉄・佐屋駅

名鉄・佐屋駅

名鉄は路線がたくさんあって行先を見ても愛知県人でなければ目的地に行けるかどうか、よう分かりません。カオスな迷鉄・名古屋駅は別にして佐屋駅もかなり複雑です。ホームが2つあって線路が3本あり、佐屋駅の時刻表をみると須ケ口、吉良吉田、豊明行きなどいろいろな方面に行けます。須ケ口って、どこなんだと調べると名古屋本線と合流する駅なんですね。

名古屋に行きたければ本線に乗り換えろということでしょう。とりあえず須ケ口、吉良吉田、豊明行きに乗れば名古屋駅には行けそうです。反対の弥冨駅に向かうには1時間に2本しかありません。佐屋駅を出たところで複線だった線路が単線になってしまいJR弥冨駅(共用駅になっています)につながっています。

佐屋宿

佐屋宿

東海道の難所の一つが木曽三川。揖斐川、長良川、木曾川の3つの流れを越えなければなりません。江戸幕府は基本、橋をかけませんし技術的にも難しかったので宮宿(熱田神宮)から桑名宿まで海路で結ばれ、これが七里の渡しと呼ばれました。七里の渡しの船賃は、時期により変動しますが現在の数千円から1万数千円です。

これを節約する方法がありました。熱田宿から船に乗らずに佐屋街道をすすみ、佐屋宿から船に乗って桑名宿を目指せば、三里の渡しですみました。東海道のバイバスです。当然、船賃も安くなります。この佐屋宿と船着き場ですが、今は住宅街になっていて、往時の雰囲気はどこにもありません。

源氏ゆかりの芝ケ森

柴ケ森

弥富を歩いていると柴ケ森という場所がありました。源氏に縁がある場所です。平治元年(1159 年)に平治の乱で平清盛と戦い、敗れた源義朝が逃亡する時に立ち寄った場所です。今は住宅地ですが当時は水運の地でした。舟に積んだ柴の下に隠れて当地に来た義朝は、もう大丈夫だと柴を川辺に下ろします。この柴から芽が出て、森となり柴ケ森と呼ばれるようになりました。今は武家の神である八幡神社になっています。

■源頼朝の助命
平治の乱で勝利した清盛を中心に平氏一門が中央政界を席捲することになります。尾張までたどりついた源義朝は知多郡野間の長田忠致を頼りますが、裏切られて殺されます。平治の乱では13歳の源頼朝も戦っていますが、清盛の継母である池禅尼が頼朝の助命を願い、伊豆へ流されることになします。これが平氏にとっては誤算となりました。

頼朝の母の実家は熱田大宮司家で。上西門院統子(後白河上皇の姉)に奉仕しており、かっては頼朝も奉仕をしていた。池禅尼も上西門院と関係があり、頼朝の母方の縁者から働きかけがあったようです。

西保城

西保城

残念ながら遺構は残っていませんが善定坊付近に城跡がありました。城之内という地名が残っています。織田氏が築き、守っていたのは織田信長の弟である織田信包です。佐屋川をはさんで信長の息子である織田信興が守る小木江城があり、服部党や長島一向一揆に対する城でした。

織田信包は永禄11年(1568年)に信長のM&A戦略で北伊勢の豪族・長野氏の養子となり伊勢上野城主になりましたので、この時までに西保城の城主は交代しているはずですが、誰かは分かりません。小木江城は元亀元年(1570年)に長島勢に攻められ落城し、織田信興は討ち死にしています。

織田信包は伊勢上野城から津城へ移ります。大河ドラマ「江」で、浅井長政が滅びた時、市と三姉妹が織田信包に預けられ伊勢上野城にいるシーンが出てきますが、最近の研究では信長の叔父である守山城主の織田信次に預けられた模様です。織田信包は家康時代まで生き残り、丹波・柏原藩の藩祖となり織田家が存続します。

古木江城(こきえじょう)

古木江城(こきえじょう)

信長の弟(信興)が討死した城で有名です。築いたのは織田信興で古木江城や鯏浦城を築いて、服部友貞が党首の服部党や長島の一向一揆勢に備えていました。今は横を小さな川が流れていますが当時、このあたりは輪中(洪水から集落や農地を守るために、周囲を堤防で囲った地域)の一でした。元亀元年(1570年)、信長と石山本願寺との戦が始まると長島でも一向宗が蜂起し、古木江城を襲撃。信長や滝川一益らは援軍を出せる状態になく6日後に落城、織田信興は討死にします。

城の遺構は残っておらず蓮池などになっていますが、城にあったと言われる富岡神社が祀られています。城の隣を道の駅「立田ふれあいの里」リニューアルにあわせて都市公園として整備中ですが、ここで死闘が行われたことを示すようなものは、どうもできなさそうですね。

居酒屋「じょうもん」

居酒屋「じょうもん」

大阪府よろず支援拠点の出張相談で日本政策金融公庫・堺支店(堺商工会議所会館)へ。いつもは大阪産業創造館2Fで事業者の相談にのっているんですが、月に2回ほど出張相談があります。それにしても朝の御堂筋線は混むから乗りたくないですね。本町から延々と乗って終点の「なかもず」駅へ。

ランチは近くにある居酒屋「じょうもん」へ行ってきました。ファイティング・コンサルタンツという歴史探訪&飲み会集団が昔、根城にしていた会社が「なかもず駅前」にあった時代、会合が終わると「じょうもん」へ行って延々と飲んでおりました。会合3時間&飲み会3時間が定番でした。お店は今も健在で、ここのゴボウスティックはおいしかったですね。

鯏浦(うぐいうらじょう)城

鯏浦(うぐいうらじょう)城

鯏は「うぐい」「あさり」とよむそうで、なかなかの難読地名ですね。愛知県弥富市鯏浦町にある城跡ですが、遺構は残っておらず現在は薬師寺になっています。織田信長の重要な収入源が津島でしたが、その南側をおさえていたのが服部党で頭領だったのが服部友貞です。桶狭間の戦いでは今川義元に組していました。

この服部党を牽制するために1565年(永禄8年)に織田信長が築いたのが鯏浦城です。城主は信長の弟である織田信興です。今は住宅地ですが城の横が海岸線だったようで、大楠が残っており、樹齢600年以上といわれるので信長時代からあった楠になります。この楠に秀吉が船をつないだと伝わっています。

二所ノ関部屋

ホテルセイリュウ

世の中、3連休だというのに家で仕事。ようやく仕事が終わったので散歩へ。コースはいつもの枚岡神社、石切神社、額田戎神社の三社巡りです。ホテルセイリュウ(高台にあり大阪平野が一望できるホテル)前を通ると「二所ノ関部屋」などのノボリがならんでいます。

3月に大阪場所がはじまりますが、アイ工務店が二所ノ関親方(横綱・稀勢の里)とパートナーシップを結んでいる関係から、ホテルセイリュウ内に宿舎兼稽古場を作ったんだそうです。

船場総研 27周年記念セミナー

船場総研

船場勉強会というパソコン通信時代からある中小企業診断士。勉強会のOB組織が「船場総研」です。高齢化とともに街歩き&飲み会集団に変貌しています。

27周年ということで久しぶりにセミナーをやろうと珍しく勉強会モードでした。出し物は3本です。

・人を動かすビジネスと行動心理学セミナー 鹿野
・診断士は独立しなくても面白かった(では、これからは?) 佐竹
・きっと役にたたない山城の話 水谷

終わってからは、いつもの宴会です。