福寿丸

小谷城シリーズです(笑)。山頂の大嶽城から2つの大きな尾根が伸びており、一方の尾根に造られたのが巨大山城・小谷城です。もう一方の尾根には砦が2つ造られました。大嶽城からずっと下ったところにあるのが福寿丸。それにしても、こんな尾根道を歩いている酔狂な人間は皆無ですねえ。

福寿丸
福寿丸

福寿丸は元亀争乱となった元亀3年(1572年)に朝倉氏が築いたと伝わっています。守将が木村福寿庵で、そこから福寿丸の名が付けられました。虎口は食い違いになっていて、なかなか高度な造りになっています。信長の大嶽城攻めの時に同時に攻められたでしょう。

小谷城を見下ろせる大嶽城

織田軍が小谷山山頂にある大嶽城を手に入れたことで小谷城を見下ろすことができ、相手の動きがよく分かるようになります。写真に映っている山の尾根にあったのが小谷城です。

小谷城
小谷城

相手の動きが分かるので小丸と本丸の間を分断すれば各個撃破できると作戦を立てられたのでしょう。秀吉が清水谷から攻めあがるのにあわせて金吾丸から、また大嶽城から六坊を通って山王丸方面へ出撃し、三方面から攻撃したのでしょう。浅井軍としては守り切りようがなかったですね。姉川の合戦で浅井・朝倉軍が勝てる局面もあったのですが、戦いが勝敗を分けました。

北大阪商工会議所・出張相談

朝、大阪府よろず支援拠点へ行くと昼から出張になっていました。”北大阪商工会議所へ出張相談に行ってきて!”ということで、枚方へ。

北大阪商工会議所
北大阪商工会議所

駅から商工会議所まで遠いなと思ったら、枚方市駅前にある枚方ビオルネ5階に入っているんですね。と言いながら1階のジャスコから上がって5階の雑貨店で迷子に(笑)。一角にオフィス街になってなっているところがあり、そちらにありました。午後から3件の相談にのっております。

信長が駆け上がった大嶽城

織田信長が嵐のなか、自ら手勢を引き連れて攻めあがった大嶽城です。大嶽城は小谷山の最高地点にあり姉川の合戦の後、小谷城の救援に入った朝倉勢が拠点にしました。いくつもの郭があり、けっこう大きな山城です。

大嶽城
大嶽城

ところが天正元年(1573年)8月に小谷城と共に北国街道を抑えていた山本山城が信長側に寝返ります。さっそく織田軍は北国街道を封鎖し朝倉氏の本拠地である一乗谷との連絡を断ち切ります。

■朝倉氏が滅亡
すぐに織田信長が馬廻り衆を率いて自ら嵐の中を大嶽城目指して攻め上ったと「信長公記」に記載されています。大嶽城には朝倉兵500が籠っていましたが陥落し、降服しました。信長は兵を生かしたまま田神山の朝倉義景本陣へ送り返したところ、これ以上は無理と思ったのか朝倉軍は撤兵を開始。

織田軍は追撃をかけ、そのまま越前の一乗谷まで攻め込んで朝倉義景は滅びました。大河ドラマ「麒麟がくる」ではユースケ・サンタマリアが朝倉義景を演じていました。

月所丸

香川元太郎氏という城郭イラストを書いているイラストレータがいます。雑誌「歴史群像」に「戦国の城」シリーズを書いていて、昔、小谷城の月所丸が載っていました。これがなかなか鄙びた絵で、尾根筋を二重堀切で断ち切った監視所が、なんとも儚げでした。

月所丸
月所丸

ということで小谷城に登ったなら月所丸まで行かなければ!
ハイキング客のほとんどは本丸でリターンして帰ります。小谷城の大堀切を超えて京極丸、小丸、山王丸まで足をのばすのは、歴史好きですね。さらに山王丸から崖道を降りて、一番北側にある月所丸まで巡る人間はまずいません。山王丸のまだ向こうに六坊があり、この六坊からは崖沿いの細い山道しかありません。

城を防御するための道なので仕方ないですね。人が行き違いするのが、けっこう難しい道で、この山道を進んでいくと一番北側にある尾根筋を守る月所丸にたどり着きます。写真では分かりにくいですが、尾根道を見事な二重堀切で切っています。

小丸

京極丸のすぐ上にあるのが小丸。浅井久政が自決した所です。

小丸
小丸

浅井久政は信長モノの映画やドラマなどに浅井長政の父親として登場し、けっこう年配の俳優が演じていますが亡くなったのは48歳。浅井長政が29歳ですので、そんなものでしょう。京極丸を落とした秀吉軍は浅井長政軍と浅井久政軍との分断に成功。そのまま浅井久政が籠る小丸を攻撃します。久政は最後を悟り、部下が侵入をくい止める中、自決します。

浅井家は朝倉家と織田家の両方と同盟していましたが信長が朝倉と戦うようになった時、朝倉との同盟を守ったのが浅井久政です。浅井・朝倉が信長に勝ったら徳川家康のように同盟を守った律儀者と評価されていたでしょうね。元亀争乱では信長もけっこう危ない時が何回もありました。

京極丸

小谷城にある京極丸です。京極という名前でピーンときた、あなたは偉い!そうです、守護の京極氏です。

京極丸
京極丸

京極丸とは京極氏を小谷城に住まわせていたことに由来します。近江源氏の佐々木氏は京極氏と六角氏に分かれます。バサラ(婆沙羅)として有名な佐々木道誉は京極氏でした。京極氏は守護として近江の北半分を支配していましたが、力を落とし浅井氏が台頭してきます。しかし家柄の面で皆が納得がえられないので浅井亮政(浅井長政の祖父)は京極氏を名目上の守護と仰いでいました。

大河ドラマ「麒麟がくる」で齋藤道三が土岐氏を当初は表向きはたてていましたが、あんな感じです。織田家の清州城でも守護の斯波氏を迎える間がありました。この京極丸は大堀切のすぐ横で、秀吉がここを抑えて本丸と小丸を分断したのが小谷城攻めの決定打となりました。

京極氏は没落していましたが浅井三姉妹・初の旦那だった京極高次が関ケ原の戦いの前哨戦となる大津城の戦いで立花宗茂を釘付けにしたことから国持大名に返り咲きます。

超スマート社会とこれからの企業経営

昨日は天王寺の都ホテルでセミナー。久しぶりにオンラインではなく人が集まってのリアル・セミナーでした。

タイトルは「超スマート社会とこれからの企業経営」で主催は大阪商工会議所・南支部です。いやあマイクを使ったセミナーは久しぶりでした。

小谷城 大堀切

小谷城の本丸北側には深さ10m×幅15m×長さ40mからなる大堀切があり。ここから上部と下部を明確に分断しています。ようこんな堀切を造りましたね。すごい土木量です。

大堀切
大堀切

本丸を中心に活躍していたのが浅井長政で上部にいたのが父親の浅井久政です。まあ2世代住宅みたいなものなので大堀切で区分けしていたのでしょう。

織田信長の小谷城攻めでは、秀吉が夜半に清水谷からこの中心部に攻め込み、浅井久政が籠る小丸と、浅井長政が籠城する本丸を分断し、落城に追い込むことになります。