滝野氏居館跡

滝野氏居館跡

柏原城の隣に滝野氏居館跡があります。鎌倉時代、名張には黒田荘という荘園があり、ここの荘官だったのが大江氏で末裔が百地氏、滝野氏になったと伝わっています。第二次天正伊賀の乱では百地氏、滝野氏などの伊賀衆が柏原城に集結し、織田信長に対して最後の戦いを挑みました。

■土塁は仕寄りだった
柏原城の戦いはけっこう調査が進んでいるようで、滝野氏居館跡は何もない敷地跡になっていますが柏原城の方角にだけ土塁が築かれています。織田軍が攻めるために作った仕寄り跡と案内には出ていました。仕寄りとは竹を束にした防御壁を置き、被害を抑えながら前進するなど攻城戦での基本です。真田丸の戦いでは徳川方は塹壕を掘り、高台を作って真田丸に向かって銃を撃っていました。織田軍は柏原城の周りに仕寄りの土塁を築き、かなり肉薄した戦いを展開していました。

柏原城

柏原城

柏原城 天正伊賀の乱 最後の激戦の舞台

織田信長が最初の頃に行っていたのがM&Aによる乗っ取り工作。伊勢国司の北畠家には息子の織田信雄をいれ支配下にします。当時の伊賀や甲賀は惣国と呼ばれる自治組織で盟主はおらず、皆で話し合って運営していました。堺の会合衆のようなものです。織田信雄が伊勢の隣の伊賀にちょっかいをだして散々な目にあいます。これが第一次天正伊賀の乱で信雄は信長から親子の縁を切るとまで言われます。

信長は伊賀の掃討を考え、四方から軍勢を攻め込ませます。これが第二次天正伊賀の乱で伊賀勢はゲリラ戦などで対抗しましたが大軍にはかなわず伊賀の南西隅へと追い詰められます。最後は柏原城に集結し、激戦になります。久しぶりに柏原城を訪れましたが、よく整備され、高い土塁で囲んだ郭がよく見えるようになっています。

冠木門のオプション販売開始

冠木門のオプション販売   2024年4月1日

各位
2020年に発売した「一国一城の主」セットですが、おかげさまで初回セット(障子堀付)、破格値の9億4800万円ということもあり完売いたしました。お申込みいただいた方々、あつく御礼を申し上げます。そこで日頃のご愛顧に感謝し新たなオプションとして冠木門を発売します。

■冠木門
二本の柱の上部に冠木をかけたものです。簡素な作りながら、防御を固めることができます。今回はなんと、この冠木門を50門、用意いたしました。お値段はたったの298万円(税込み)です。このクオリティーで300万円を切る価格を実現するのは実に大変で、おそれいりますが4月だけの限定販売となります。

冠木門

さあ皆さん、期間限定、しかも50門限りですよ。今しかございません。商品に限りがございます。お早めにお電話をお願いいたします。もちろん振込手数料は当社が負担します!

■いつかは唐門
この冠木門だけでなく。もちろん追加料金をいただければ薬医門、高麗門、櫓門への変更もできます。特注となりますが唐門も作れます。一国一城の主となったからには、いつかは勅使をむかえることも考えておきましょう。勅使門はいろいろありますが、やはり最上級は唐門です。もちろん門扉には菊花紋章がつきます。ただし受注生産となるため、価格は10億円となります、

唐門

こちらもオペレーターにご注文いただけます。電話し、アナウンスに沿って操作してください。オペレーターにお繋ぎいたします。

花見

花見

ファイティング・コンサルタンツ研究会 花見

毎年、恒例の花見です。天満橋駅に集合してお酒などを買い出し大川沿いに。例年ですと、この時期は満開なんですが、ちょうど開花するタイミング。つぼみばかりで一本だけ咲いていました。屋台も出ていましたが、花見客は少なかったですね。

まあ、とりあえず桜は単なる口実なので飲めればOKです(笑)。結局、5時間ほど花見をしておりました。

ADSLサービスがいよいよ終了

ADSL

「モデム無料ですので、お持ち帰り下さーい!!」。今から22年ほど前、全国の駅前でヤフーBBと書かれたジャンパーを着た一団が紙袋を配っていました。紙袋に入っていたのがADSLモデム。一世を風靡したADSLサービスです。NTTのフレッツADSLサービスが2023年1月末で終了し、Yahoo!BBのADSLも3月末で終了します。

■ADSLがスタートした2000年
フレッツADSLがスタートしたのは、ちょうど21世紀を迎えた2000年。この年に森首相が唱えたのがe-Japan戦略です。日本型IT社会の実現を目指す国家戦略ですが音頭をとる森首相がITを「イット」と呼んで話題になりました。予算がつき各地の中央公民館や役場で無料のパソコン教室が開催されます。シニア層の参加が多かったですがパソコンの電源の入れ方からホームページの検索方法まで教えてもらい、家庭内にパソコンが普及します。

■電話でインターネットに接続する
パソコン業界ではスティーブ・ジョブズがアップルのCEOに戻り、業績悪化で身売り寸前だったアップルを奇跡的に復活させます。インターネットにつなぎたいと考えるユーザーが増えましたが、当時は電話回線しか、つなぐ手段がありません。そんななか登場したのがフレッツ・ADSLです。完全定額(月4600円程度)で常時接続できるサービスが登場します。

ADSLは電話回線を使い、コンピュータのデジタル情報をアナログに変更して電話回線で送り、着いた先でデジタルに戻す仕組みです。ADSLの「A」は非同期という意味で、パソコンからインターネットにアップする上りの情報に比べ、下り(ダウンロード)の情報が多い仕組みになっています。パソコンからURLを送って、ホームページの情報をダウンロードするには最適な仕組みでした。

■モデムを無料で配りだす
翌年の2001年、ソフトバンクがヤフーBBサービスの名前でADSL事業をスタート。一気にユーザーを獲得しようと始めたのが「モデムのばらまき作戦」です。パラソル部隊を組成して、冬の寒風のなか、各地の駅前で、ヤフーBBのジャンバーを身にまとった一団が声かけをはじめます。ADSLモデムの入った紙袋を手に、「無料ですのでお持ち帰り下さーい」と道行く人に片っ端から声をかけていました。これによって驚異的な勢いで加入者を伸ばします。なかなか強引なやり方でしが、日本のブロードバンドを一気に広げる要因となりました。

ADSL時代が続きましたが、やがて光回線が充実してくることによってADSLから光へユーザーが移行するようになり、ADSLも終焉を迎えることになります。

大阪府よろず支援拠点 送別会

大阪府よろず支援拠点 送別会

山城ばかり登っているわけではなく、ふだんは仕事をしています(笑)。その一つが大阪府よろず支援拠点での窓口相談です。

2014年、各都道府県によろず支援拠点が設置されましたが、大阪の北口チーフは設立当初から10年間、チーフコーディネータを勤められ3月末で退任されることになりました。10年間、本当にお疲れ様でした。

昨夜は大阪商工会議所6階にあるニューコクサイで送別会。数多くのコーディネータや関係者が集まりました。送別会の最後は久しぶりに大阪締めでした。

城山城(見張台)

城山城(見張台)

城山城から尾根沿いに下っていくと見張台というところがあります。見張台の先は崖になっていて、現在は木々が多く何も見えません(笑)。ここから見張っていたのは初瀬街道から竜口に入る道になります。

城山城は百地三太夫(百地丹波)の城跡と言われていますので、忍者の城ですね。忍者といっても猿飛佐助などのような活躍はなく、島原の乱で一揆軍が籠っている城に忍者を忍ばせようとしましたが土地の方言が分からない、キリシタンが使う用語もわからないとあって全然ダメでした。他でも忍者を使ってみましたが、全然役立たず細川家では全員クビにしています。

■忍者の互助組織があった!?
細川家の分析では、どうも忍者互助組織みたいなものがあり敵味方双方に入っている忍者が情報交換して忍び込んだ証拠の武具を交換したりしていたようです。ところが島原の乱では相手側にそんな忍者はいませんので実力がばれてしまったというのが真相のようです。

起業家がみたソマリア

起業家がみたソマリア

大阪府中小企業診断協会・土曜セミナー
「起業家がみたソマリア~支援の限界とビジネスの可能性~」に参加。

講師は20代前半から起業家として活躍している株式会社プレート代表の野口社長。波乱万丈という言葉ではあらわされない、すさまじい人生の話も面白かったのですが、印象的だったのは元ソマリア海賊の話。

貧困生活をおくる若者が金儲けの話があるという話についていったら、2隻の船に6人が乗せられ紅海へ。3日海を走って大きなタンカーに近づいたら、攻撃してこいと言われます。つまり闇バイトでした。逃げることもできないので覚悟を決めて甲板に登ったら、船長たち乗員は既にシェルターに待避済み。船は操縦できないし乗ってきた船ははるか向こうだしで何もできず。やがて連絡を受けた軍隊がかけつけて、あえなく逮捕されます。

■日本の船は日本の刑務所へ
たまたま攻撃したタンカーが日本船籍だったので、服役は自動的に日本の刑務所になるシステムになっているそうです。へ~え。というわけで府中刑務所に5年入っている間に日本語を勉強し、現在は日本のNGO団体アクセプト・インターナショナルで現地スタッフとして働いているそうです。

終わった後は有志による懇親会。いつもの晴華でした(笑)。

城山城

城山城

竜口にある城山城です。竜口(龍口)という地名は室生にある龍穴神社への入口からついたようです。

竜口城は東側のピークに造られており、竜口城から尾根を進んでいくと西側のピークに城山城があります。城山城は竜口城に比べると少し小ぶりの郭で土塁に囲まれています。竜口城とともに運用した一城別郭だったのでしょう。こちらも百地三太夫の城と伝わっています。百地三太夫は石川五右衛門や霧隠才蔵に忍術を教えたという伝説があり、架空の人物ともいわれています。ただ百地氏は存在ししたので、その一族の城でしょう。

城山城は伊賀と大和の境にあり、天正伊賀の乱では初瀬口より織田軍の浅野長政が攻めましたので最前線の城になります。伊賀衆は赤目口にある柏原城に集結して織田信長軍と戦ったので竜口城と城山城は放棄したのでしょう。柏原城の戦いでは伊賀衆を率いていた百地丹波という人物の名前が残っています。大河ドラマ「どうする家康」では、神君伊賀越で嶋田久作が老人の百地丹波を演じていました。

竜口城

竜口城

近鉄・赤目口駅から1時間ほど歩くと竜口という山間の集落に着きます。さらに坂を登っていくと切通しになっているところがあり、ここが竜口城(百地丹波城)入口です。ハシゴを登ると急斜面がまっていますが山道が整備されていてピークまで登ることができます。伊賀と大和の境に築かれています。

地元では伊賀忍者の開祖である百地三太夫の城と伝わっています。平時は竜口の屋敷に住み、何かあった時のための詰城でした。主郭は土塁と帯郭に囲まれ、きれいに整備されていてベンチまでおいてありました。山城には珍しく至れり尽くせりです。郭には白菊稲荷が祀られていて登山口にあった鳥居は参道でしょう。気軽にお参りというより、なかなか過酷な参詣道です。