IoT、AI活用入門セミナー

カリヨンプラザ

昨日は三重県産業支援センター、本日は松阪にあるカリヨンプラザで「IoT、AI入門セミナー」を開催。

本日の会場であるカリヨンプラザは商店街のど真ん中の日野町にあり、ほとんどがガラス張りになっています。セミナーなどをやっていると、よく目立つので歩いている人が皆、”何をやっているんだ”とのぞき込んでいきます(笑)。

本日は入門編ということで、IoT、AIの概要やビッグデータの怖い話、どうやって勉強すればよいかということでラズパイの紹介やIBMのワトソンを使った事例などを紹介しました。

8月28日は一太郎の日

本日は「一太郎の日」だそうです。

ワープロソフト「一太郎」が1985年8月28日に発売されたことを記念にしています。

ジャストシステムがワープロソフトの開発を始めたのが1983年で、NECから出ていたPC-100対応のワープロソフト『JS-WORD』がまず開発されます。1985年にはNECから出ていたPC-9800対応のワープロソフト『jX-WORD太郎』が発売され、太郎という名前がつきます。この発売日が1985年8月28日です。

本当は『太郎』と名付けたかったのですが、当時、東芝から『太郎』という名前の電気掃除機が発売されており、仕方なく頭に『jx-WORD』とつけました。『jx-WORD太郎』は発売と同時にベストセラーになります。『太郎』とは、何とも日本的な名前ですが、実は浮川社長が家庭教師をしていた子供の名前から名付けられました。

→ 第3章 一太郎は家庭教師先の子供の名前だった 1985年 をご覧ください。

パンドラの匣(太宰治)

パンドラの匣

太宰治といえば「人間失格」や「斜陽」など暗いイメージがあるんですが、二編ほど青春快活物を書いています。

その一作が「パンドラの匣」。ちょうど太平洋戦争が終わった頃、結核患者向け療養所に入った青年の周りで巻き起こる小さな日常のドタバタを描いた作品です。この療養所が変わっていて健康道場という名前で、院長は場長、看護師さんは助手、入院患者は塾生と呼ばれ、場長の闘病法である屈伸鍛錬などを行うのが日課になっています。助手のマア坊や、竹さんとのやり取りや個性的な療養患者がなかなか面白い作品で2009年には映画化もされているんですね。(出演は染谷将太、ふかわりょう等)

■「パンドラの匣」の舞台は日下
もともと太宰ファンだった青年が療養生活の内容を日誌に残しており、亡くなってから太宰治に送られ「パンドラの匣」となりました。物語の舞台となった健康道場は東大阪市の日下にあり孔舎衙健康道場という名前です。高台にあって今は跡地だけが残っていまが、案内板もあり、石切駅から離れていて、けっこう不便な場所ですが熱心な太宰ファンが通っているようです。

「パンドラの匣」には”枕元の大きい硝子窓の下には、十坪くらいの「乙女ヶ池」とかいう(この名は、あまり感心しないが)いつも涼しく澄んでいる池があって”とありますが、健康道場跡にある高台から見えるこの池のことですかねえ。

合同会社の市民税・府民税

毎年、合同会社の市民税・府民税を支払わないといけないんですが設立したばかりの前期が赤字だったので今期の納付額は0円でした。来期は支払いができるようにがんばろっと!
 
そうそう留守の間に帝国データバンクが調査に来たようで名刺が入っていました。文章も入っていて企業概要データベース COSMOS2に登録したいと記載されていました。新設法人をローラで回っているんですねえ。

岩瀬文庫

真田丸

愛知県西尾市にあるのが岩瀬文庫。西尾市は岡崎の近くにあります。

この西尾出身の実業家・岩瀬弥助が創設した私立図書館が岩瀬文庫です。このほど所蔵する絵図や地図をネット上で閲覧できるデータベースの運用を始めました。無料でしかも事前登録などもいらず、そのまま見ることができます。全国の古地図もあり、大阪のを見ていると大坂の陣の絵図も出てきました。

→ 岩瀬文庫

大坂城の配置を見ていると真田左衛門とあり、これが真田丸ですね。真田丸の正面には加賀の前田利常が陣をはり、井伊掃部は彦根の井伊直孝ですね。伏見城や聚楽第の絵図もあり、なかなか楽しめます。

死語となってしまったベ平連

小田実

日本経済新聞・夕刊の「こころの玉手箱」コーナーにノンフィクション作家である吉岡忍さんが連載しているんですが、8/14付夕刊にベ平連で作ったバッジの話が載っていました。ベ平連といっても今や死語になってしまいましたね。「ベトナムに平和を!市民連合」の略です。

ベトナム戦争によるアメリカ軍の北ベトナムに関する爆撃(北爆)で一般市民の死者が増え、マスコミで大きく報道されたのを機会にはじまった反戦運動。けっこうええかげんで、来るもの拒まずの市民運動だったようです。

私はさすがにベ平連世代ではないのですが、京都で教員をしていた時代に近くの出町柳の「ほんやら堂」へ時たまランチに行っていました。この「ほんやら堂」はベ平連の拠点として有名でフォークの殿堂でしたが、おしくも火事で閉店になります。

■小田実さん
知的生産の技術研究会・関西では1995年5月にベ平連で必ず名前があがる作家の小田実さんにセミナーをしてもらいました。セミナータイトルにもなった小田実さんの著作「難死の思想」はなかなか難関でしたが、アジア22ヶ国を貧乏旅行した「何でも見てやろう」は面白かったですね。これが契機となって日本の若者にバックパックが流行します。五木寛之の「青年は荒野をめざす」もバックパッカーのバイブルとして有名でした。

そうそうセミナー前に直接、小田実さんから聞いた話があって、「何でも見てやろう」の旅行前に米フルブライト基金で渡米するんですが、アメリカの図書館で大阪空襲を上空から写した写真を見たそうです。大阪は空襲による雲だらけで”俺はあの時、この雲の下を命がけで走り回っていたんだ”とおしゃていた言葉が印象的でした。

上田秋成(日下)

東大阪

大阪・曽根崎生まれの上田秋成。怪異小説「雨月物語」の作者として有名ですが国学にも造詣が深く本居宣長とも論争しました。

妻を亡くし、両目を患っていた上田秋成は東大阪の日下で4ケ月ほど療養します。日下に正法寺という寺があり、ここの紫蓮(唯心尼)が招いたそうです。近郷の文芸愛好者が集まり、文芸サロンの様な雰囲気になっていました。先日、孔舎衙坂駅へ行ったついでに寄ってみましたが今は正法寺はなく2本の楠と看板だけが残っています。

近くには日下村の庄屋を務めた河澄家があり、こちらにも上田秋成はよく出入りしていたようで、随筆「山霧記」にも河澄家を訪れたことが書かれています。河澄家は修理されて平成23年5月より一般公開されています。

閑話休題

積ん読をせっせと消化しようと読書にいそしんでいますが、閑話休題に「あだしごとはさしおき」とルビがふってありました。

閑話休題とは話を本筋に戻すときに用いる言葉です。そういえばNHKの人形劇「新・八犬伝」で黒子の格好をした坂本九さんが、よくこの言葉を使っていました。

「かんわきゅうだい」以外の読み方があるんだと思って調べてみると、「他し事(あだしごと)はさておき」とも読むそうです。他し事とは余事のことです。「それはさておき」とルビをふることもあるそうで、なかなか奥深いですなあ。

おやぢの会

法善寺横丁

「こいさんが、わてをはじめて法善寺へつれて来てくれはったのは」と「月の法善寺横丁」で有名な法善寺へ。水かけ不動のあたりでは、なんか川柳大会を開催していました。

法善寺横丁すぐ横の「博多廓 法善寺店」というお店へ。3階に個室が2つあり、その一室で「おやぢの会」を開催。毎年、参加者の平均年齢が順調にあがる会です。参加者は6名ですが、いつものように1名が遅刻。待つやさしさはなく時間厳守で会はスタート。要は早く飲みたいだけです(笑)。

入院している病院から脱走して1名がようやく到着。個室でないとしゃべれい話題でずっと盛り上がっていました。

Tsundoku(積ん読)

Tsundoku(積ん読)

積ん読とは書物を読まずに積んでおくことで、『つんでおく』とドク(読)とをかけた洒落になっています。

毎日新聞の夕刊を読んでいたら、このTsundoku(積ん読)がイギリスBBCのウェブサイトに紹介されているそうです。タイトルは「Tsundoku:本を買い、それを決して読まないということ」だそうで(笑)。

海外では本のコレクションをする人は多く、こちらはビブリオマニア(蔵書癖)と呼ばれます。そこで、「コレクションを作る意思があるのがビブリオマニア。本を読もうとして、結果的にコレクションを作ってしまうのがTsundoku」と紹介されています。英語には積ん読にピッタリとした言葉がなく、日本語のTsundokuが国際語になっているそうです。へ~え。

気がつかない間に我が家の積ん読の山がもう1本増えてしまっており、さすがにそろそろなんとかせねば!