織田有楽斎の近くにいた片桐且元

茨木
織田有楽斎の領地だった摂津・味舌を通っていたのが亀岡街道。亀岡街道は、大阪から北摂を経由して丹波の亀岡に向かう街道です。亀岡街道は味舌から5kmほど北に行った茨木城の近くも通っていました。
織田有楽斎が味舌を領していた頃の茨木城・城主は片桐且元と弟の片桐貞隆です。方広寺鐘銘事件の処理などで大坂方から疑われ、結局、徳川方についたあの片桐且元です。
片桐且元、織田有楽斎ともに大坂城につめていたので領地では会わなかったかもしれませんが、けっこう近接した場所でした。茨木城から京都寄りにある高槻城は大坂の陣の頃、徳川氏の直轄地になっており、大坂の陣で高槻城は補給基地となります。南の兵站基地は堺で、こちらは大坂方に焼きうちされます。

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