西国街道をゆく(桂春団治の碑)

桂春団治の碑

弁慶の泉の近く、西国街道沿いにある受楽寺という寺の前に桂春団治の碑がありました。春団治といえば「酒や! 酒や! 酒買うてこい!」という浪花恋しぐれを思い出しますなあ。説明によると上方落語の名跡である桂春団治名継いだ2代目が清荒神に住んでいた頃、よく受楽寺を訪れ、先々代の住職と交流があったそうです。宝塚にある清荒神と池田ではまあまあ離れているんですけど、「池田の猪買い」など上方落語の舞台ではあります。

初代は一心寺に葬られましたが戦争などで墓碑が分からなくなったこともあり、1998(平成10)年、初代と2代目春団治の功績を称えて碑が建てられたそうです。池田市では受楽寺で初代・2代目・3代目 春團治の法要を行い、2000(平成12)年から「いけだ春団治まつり」を行っているそうで、今年は25周年だったそうです。

西国街道をゆく(弁慶の泉)

弁慶の泉

石橋から西国街道を歩いて中国自動車を通りすぎたところにあるのが弁慶の泉。義経は頼朝との対立から九州で体制を立て直すために京から落ちます。目指すのは大物(だいもつ)です。尼崎駅の手前に阪神の普通しか止まらない大物駅がありますが、昔は大物浦があり、ここが海上交通の要衝でした。

京から西国街道で西に向かい、ここらあたりで弁慶が泉で喉の渇きをいやしたと伝わっています。泉は時代とともに埋没していましたが、昭和53年に湧き水があるのが見つかり整備されました。義経一行は猪名川の渡しを渡ったところから南下して大物を目指したのでしょう。河尻に着いたあたりで多田行綱らの襲撃を受け、これを撃退しています。多田行綱は義経と一緒に一ノ谷戦いなどに参戦していますが、頼朝に所領を没収され行綱自身も追放になっていたので、頼朝に取り入ろうと襲撃したようです。

義経一行は大物から船団を組んで九州へ船出しましたが、途中暴風のために難破し、主従散り散りとなって摂津に押し戻されてしまいます。

ファイティングコンサルタンツ ビール工場へ

京都ビール工場

ファイティング・コンサルタンツ研究会。研究会とは名ばかりの歴史探訪&酒飲み集団になっております。JR山崎駅に集合し、雨の中、秀吉と光秀が戦った山崎の合戦の舞台をめぐります。そういえば実際の山崎の合戦も雨でした。

さて、メインイベントはサントリー・天然水のビール工場(京都)のガイドツアーです。事前予約が必要ですが、この予約をとるのが大変でして、9:30に予約サイトにアクセスすると1時間待ちになっていて、ひたすら待って予約をゲットしました。ガイドツアーでは説明を聞きながら仕込、発酵、貯蔵などの製造工程を見て、見学の後は、お楽しみの試飲タイムです。香るエールやマスターズドリームの飲み比べをしてきました。

西国街道をゆく(石橋)

石橋

瀬川宿を抜けると西に向かっていた西国街道は南西へ方向を変えます。阪急・箕面線を超えて歩いていくと大阪大学・豊中キャンパスの横に出て阪急宝塚本線・石橋駅の南へと街道は続きます。石橋駅の南にある踏切近くに石橋村の高札場跡があり、北へ向かう能勢街道と交差していました。ここに石の橋がかかっていたため石橋と呼ばれるようになったそうです。

西国街道沿いには、お屋敷がんこ「がんこ池田石橋苑」がありました。がんこ寿司が文化遺産を守るために、屋敷で料理を楽しめや庭園などを眺めることができる店舗を運営しており、石橋は大正時代に北摂の土木建築で財をなした中井梅太郎の邸宅が使われています。

西国街道をゆく(瀬川・半町)

瀬川・半町宿

阪急電車箕面線の桜井駅前を通っているのが西国街道です。少し西に行くと瀬川・半町(はんじょう)宿になります。山崎宿からだと芥川(高槻)、郡山(茨木)の次の宿場が瀬川・半町宿です。といっても痕跡はなにも残っていません。大勢の軍が移動するには街道を使うしかありませんので、ここらへんで戦いが行われます。

瀬川合戦
護良親王による倒幕の令旨に従って播磨の赤松則村(円心)軍が六波羅探題軍と対峙します。猪名川付近の戦いで赤松側が敗退しますが、兵を率いて瀬川宿に陣をかまえていた六波羅探題軍に夜襲をかけ、打ち破りました。

豊島河原合戦
倒幕後、南北朝の時代となり足利尊氏と新田義貞・北畠顕家が戦ったのが瀬川宿から少し西に行った箕面川のあたりです。豊島河原合戦で足利尊氏は敗れ九州に落ちていきます。

西国街道をゆく(牧落)

牧落

西国街道を西に行くと阪急・箕面線の牧落(まきおち)駅近くに出ます。牧落駅は箕面商工会議所へ行く最寄り駅なんですが、まあまあ距離があり昔、夜のセミナーで行った時に真っ暗な住宅街を通っていかなければならず、ほんまに着くんかいなと思った記憶があります。

近くに西国街道があり、牧落の集落がありました。箕面大阪道と西国街道が交わるところに高札場があり道標がありました。昔は交通の要衝でしたが、今は単なる四つ辻です。お婆さんが「今日も暑いですなあ」と言いながら通り過ぎていきました。古代は牧草地だったようで摂津国・豊島(てしま)牧でした。各地から貢上された牛馬を一時的保管するための牧だったようです。

西国街道をゆく(萱野三平)

萱野三平宅

箕面萱野駅は萱野にあります。そうです!萱野といえば萱野三平です!

まもなく忠臣蔵シーズンですが萱野三平は浅野長矩に中小姓として仕え、浅野長矩が松之大廊下で吉良義央に刃傷におよんだ時に早駕籠で江戸から事件の第一報を赤穂へ伝えました。萱野三平は討入メンバーに加わりましたが父親から別の家へ士官せよろ言われ、父への孝行との間で板ばさみとなり自刃します。28歳でした。仮名手本忠臣蔵のお軽/勘平のモデルになっています。

西国街道を西に向かうと萱野三平の屋敷跡があります。屋敷跡と長屋門があり自刃した部屋も公開されています。

西国街道をゆく(箕面萱野駅)

箕面萱野駅

楠水龍王から西に西国街道を歩くと箕面萱野駅の高架下に着きます。地下鉄御堂筋線が江坂から北大阪急行になり、以前は千里中央駅が終点でしたが2024年3月に箕面萱野駅まで延伸されました。真新しい駅で北改札口からは、みのおキューズモールと直結しています。なかなかでかい施設ですがキューズモール自体は2003年に開業しているそうです。無印良品やMont bellなど、おシャレなお店が並んでいて、縁なき衆生であります。

以前は千里中央駅が始発だったので、のんびり本町駅まで座っていけましたが延伸されたため、もうムリですねえ。

枚岡神社 秋郷祭り2024

太鼓台

枚岡神社、秋郷祭りは毎年、14日・15日の日程固定でしたが大阪で働いている人も多くなり、土日でないと担ぎ手を確保できないことから宮入は土日開催になりました。ただし本祭りは14日に行われます。地元の会社は基本、休みです。学校は一応、やってますけど「先生、太鼓台かつぐんで休みね」と先生も黙認しています。

10月に入ると太鼓台の練習で町中に太鼓の音が流れるのも風物詩ですね。

一の鳥居から坂を登り、近鉄奈良線の踏切前でいったんストップ。近鉄電車の合間を通って枚岡駅の横の踏切越えをしていきます。踏切を超えたところから最後の急坂がまっています。

船場総研26周年 近江八幡ツアー

ヴォーリズ

船場総研という高齢化がすすんでいる団体があり、話題といえば病気の話になっています(笑)。これでも中小企業診断士の集まりですので、格調高くガイドに案内してもらい近江八幡に残るヴォーリズ建築をめぐってきました。ヴォーリズといえば大丸心斎橋店本館や関西学院大学、神戸女学院の建築などで有名ですが初期の建物などが近江八幡にたくさん残っています。特に煙突に特徴があり、横に穴があいています。

太平洋戦線が終わった時、天皇の戦犯扱いが問題になった時にマッカーサーと日本との間の交渉にヴォーリズが活躍していた話、「あさが来た」の広岡浅子との交流、「たねや」がなぜクラブハリエを始めるようになったのかなど、いろいろな秘話も聞けました。