旧三井家下鴨別邸

時代劇の定番といえば「お代官様、これを...」「越後屋、お主も悪よのう」で出てくるのが日本橋にあった越後屋(三越)です。時代劇では悪役イメージですが、店頭で現金取引、掛け値なしのビジネスモデルを提供し大成功します。皆さん、よくご存じのように三井といえば松坂商人です。松阪には三井財閥の基礎を築いた三井高利の生家跡地が三井家発祥地として残っています。

旧三井家下鴨別邸
旧三井家下鴨別邸

この三井家には11家あったそうですが、共有の別邸が下鴨神社のすぐ近くにあり、これが旧三井家下鴨別邸です。1階座敷から庭を眺めることができ、よく京都特集の番組でも使われています。3階に望楼があるのが特徴で、明治時代の建物です。下鴨納涼古本まつりに行ったついでにのぞいてきました。

鴨川デルタ

賀茂川と高野川が合流するのが鴨川デルタ。ここから鴨川になって三条や四条に流れていきます。

鴨川デルタ
鴨川デルタ

森見登美彦の四畳半神話大系など色々な作品やドラマに登場する三角州です。明治の頃は三角州はもっと小さくって出町橋も河合橋も一本の長い橋だった時代でした。国立国会図書館に応仁元年から信長が活躍した天正期までの約120年間の京都の状況を考証し、作成された中昔京師地図があります。これをみると2つの川が合流していますが三角州はとっても小さいですね。
相国寺から南に流れる川があり東に90度曲がって、また南に90度曲がって流れているのは東京極川です。現在も今出川という地名で残っています。

下鴨納涼古本まつり

下鴨神社の糺の森(ただすのもり)へ。

下鴨納涼古本まつり
下鴨納涼古本まつり

目的はもちろん京都古書研究会主催の下鴨納涼古本まつりです。糺の森は紀元前3世紀ごろの原生林と同じ植生が今に伝えられていて、都会の貴重なオアシスです。今日は雨が降ったりやんだりの天気で、そのたびに本にシーツをかけたりはずしたりと運営側は大変です。あいにくの天気でも集まるのが古書マニア。そうそう今年はいないだろうと思っていましたが、こんな天気でも浴衣姿で本を探している女性がいて、さすがに京都の古書市は違いますね。

■「夜は短し歩けよ乙女」の舞台
下鴨納涼古本まつりといえば「夜は短し歩けよ乙女」(森見登美彦)の舞台になっていて第二章に出てきます。気になる女性をおっかけて古書まつりに、主人公が出会うのが古本市の神さん、姿は小学校年なんですが、めちゃくちゃ本に詳しいいやなガキです。この古書市の奥底で変な古書を取りあうゲーム(暑い中、火鍋を食べる)が行われており、ひょんなことから主人公も参戦します。そんなゲームをしなくても、今日は湿気も多く、めちゃくちゃ暑かったです。

大阪歴史博物館

久しぶりに谷四にある大阪歴史博物館へ

大阪歴史博物館
大阪歴史博物館

一番上の展示場が難波京大極殿をモチーフにしていて朱塗りの柱が原寸大に復元され、官人が整列しています。以前は暗いなか、上のスクリーンに長安から新羅、難波京への旅が映し出され、難波京大極殿前に整列した官人の前で左大臣である橘諸兄が聖武天皇による遷都の詔を読み上げるシーンで終わります。大極殿を俯瞰する映像に変わって現代の姿にだんだんと変貌すると、前方の窓が全部開きます。そして現在の難波京跡が俯瞰できるという粋な演出になっていました。

とってもダイナミックだったんですが、開閉動作を続けるのは保守が大変ということもあり、現在は開けっ放しになっていて映像を流しています。

東六甲砕石場

■太閤さんの城
大坂の陣で豊臣を滅ぼした徳川は秀吉が築いた大坂城を徹底的に破壊しようとします。石垣ごと土に埋めて、新たに石垣を造り直します。ところが宣伝としてはうまくいってなかったようで、昭和の初めまで大阪人は城の土台を『太閤さん』が造ったものと信じ込んでいました。

東六甲砕石場
東六甲砕石場

昭和34年に秀吉時代の石垣が地中から発見され、現存している石垣は徳川時代にものと分かりました。この時に大阪市からしばらく発表しないように要請があったそうで、理由は石垣が徳川製と分かると大阪市民がショックで倒れるからということでした。

■東六甲採石場
新しい大坂城を造るには大量の石垣が必要です。小豆島や石切にも砕石場がありますが、甲山近くにもあります。甲山森林公園に東六甲採石場があり、古墳時代から石切場だったようで石丁場の跡や、現地に放置された石材(残石)が数多く残っています。

仏性ケ原の頂上付近の斜面にも矢穴が残された石がたくさんありました。近くに仁川が流れていますが、高い山から石を降ろすのは大変だったでしょうね。仁川からは武庫川を通じて大坂城へ運んだのでしょう。

経営情報システム 難しくなっている

日曜日に実施された中小企業診断士試験・経営情報システムの問題が届きました。

中小企業診断士試験
中小企業診断士試験試験

ウーン、難しくなっていますね。2020年の科目合格率が29%、2021年が11%と落ちましたが、2022年も低くなりそうです。

SQLが1問復活しましたが最近は運営管理で出題されていた統計・検定問題がまた経営情報システムに戻ってきました。しかも2問も!!統計・検定はややこしいので運営管理で勉強してねと逃げていたんですが、また講義でやんないといけなくなりそうです。

機械学習とブロックチェーンはテキストにはないけど出るよと講義で言っておいたら、ばっちり出ました。でもちょっと難しい設問ですね。NFTやナンスについては説明したけどPoWやスマートコントラクトは説明したっけ、覚えていないなあ。

さあ解説を作らないと

弥生オンライン

本日は中小企業診断士試験の2日目。

朝から超難関の経営法務、ITが得意じゃない人にとっては難解な経営情報システム、中小企業白書をどこまで読み込んだかで決まる中小企業経営・中小企業政策の3科目が待っています。受験生の皆さん、がんばってください。

弥生オンライン
弥生オンライン

■弥生オンライン
法人会計はFreeeを使っていますが個人事業は20年前に独立してからずっとインストール型の弥生会計を使っています。経費の集計が主なので古い弥生会計を使っていたのですが、あまりに古いと新バージョンにデータ引継ぎできませんよというメールが届いたので、オンライン型へ移行。1月~7月までの仕訳データをオンラインに移し、銀行口座の連携設定、とりあえず移行作業は終了です。仕訳を直接いれるのはFreeeや弥生インストール型の方が楽ですねえ。

弥生会計も古いですね。もともとは1978年設立の日本マイコン販売が弥生会計の基本を開発しました。大番頭を作っていたミルキーウェイとインテュイット(アメリカの会計ソフトメーカー)のノウハウを結集して新会社を設立、これが弥生株式会社になります。ライブドア傘下となりライブドア事件に巻き込まれたりと大変だったんですが、老舗の会計ソフトとして生き残っています。

クラウド会計におされているので弥生会計の最新CMは”カード明細などを自動で取込み、AIが自動で仕訳”とオンライン押しになっています。

龍田社

奈良には龍田神社が2つあります。一つは三郷町にある龍田大社で、風の神様で有名です。近くの斑鳩にも龍田社という神社があります。

龍田社
龍田社

龍田社は聖徳太子が寺地を探し求めていた時に、白髪の老人に化身した龍田大明神があらわれ、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたそうです。そこで法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る龍田社を創建したのが由来だそうです。

龍田社の元々の祭神は龍田比古神・龍田比女神でしたが、龍田大社から天御柱命・国御柱命が勧請され、こちらが主祭神となっています。『大和志』では、龍田大社の本宮に対して龍田新宮となっているので龍田大社の後にできたのでしょう。

■金剛流の発祥地
能の発祥は奈良で観世(結崎座)、金剛(坂戸座)、宝生(外山座)、金春(円満井座)は大和四座と呼ばれています。龍田地域には、金剛流の源流とされる「坂戸座猿楽」が古くからあり秋の祭礼には、村人たちにより猿楽や田楽が演じられてきました。そこで境内には「金剛流発祥の地」の碑が建立されています。

能は代々の政権に保護され、江戸時代には江戸城内に町人5千人が招待され、将軍とともに能を楽しむイベントがありました。この日ばかりは無礼講で、将軍が登場すると「親玉!」や「成田屋!」という声が町人からかかったそうです。

築留(大和川付け替え)

大和川は亀の瀬から大阪に出て、現在はそのまま西に流れ堺市の北側で大阪湾に出ます。古代は、北に流れ河内湖に注いでいました。難波津に着いた隋からの使節は河内湖から大和川に入り南下し、亀の瀬から斑鳩、飛鳥を目指しました。

築留(大和川付け替え)
築留(大和川付け替え)

江戸時代になると、この大和川が天井川になってしまい周囲の田よりも3メートルほど高くなってしまいました。大雨が降ると洪水になってしまいます。ここで中甚兵衛という人物が中心になって大和川の付け替えが計画されますが、新しく流路になる村などは猛反対。抵抗勢力を排除しながら付け替えは成功。鴻池新田などが生まれます。

大和川の付け替えをした場所が「築留(つきどめ)」。土を積み上げて(築いて)、川の流れを止めた(留めた)所です。明治時代には煉瓦造りの単アーチ型樋門も作られました。現在の玉串川、長瀬川になります。

石切神社の夏祭り

お百度参りで有名な石切神社の夏祭り。正式には石切劔箭神社・夏季大祭で金、土、日と開催されています。散歩ついでにのぞいてきました。境内に太鼓台が入るのでお百度参りも中止になっています。今年は屋台も出ていました。

石切神社の夏祭り
石切神社の夏祭り

■饒速日尊とは
石切神社の祭神は饒速日尊(にぎはやひのみこと)と可美真手命(うましまでのみこと:ニギハヤヒの子供)ですので物部の神様です。めちゃくちゃ古い神社で文献では貞観7年(865年)に登場しています。菅原道真が遣唐使を白紙(894年)に戻したちょっと前ですね。

■本当の祭神は長髄彦?
石切神社は本当は長髄彦を祀っているのではという説があります。石切(i-si-kiri)はアイヌ語で「その・長い・彼の足」の意味になるそうで、ほんまですかいなあ。饒速日尊は神武天皇よりも先に大和へ天下った天神で、長髄彦の妹と結婚し、生まれたのが可美真手命で物部氏の先祖になります。饒速日尊は熊野から大和に入った神武天皇に協力し長髄彦を裏切って殺すことになります。

長髄彦は最初の朝敵となるためか正式に祭神にしている神社はなく、富雄にある添御縣坐神社の祭神・武乳速命がそうではないかと言われています。