サンジの海賊レストラン

サンジの海賊レストラン

奥さんがレストランの抽選が当たったとかでUSJに出かけてきました。フランス料理ということで行ったのですが、「サンジの海賊レストラン」という完璧に女性をターゲットにしたショー&レストラン。コンセプトはサンジが作った料理を味わう海賊レストランで、司会はバルトロメオがまわしていました。そこにルフィやゾロ、ルッチ、カク、トラファルガー・ロー、ベポまで登場するという騒がしいレストラン。

料理は前菜、メイン(魚か肉)、デザートでドリンクは女性がターゲットなのでカクテルが中心。メニューになかったのですが聞いたらビールもあるということでビールを注文。サンジは役になりきって男性客には不愛想に対応です(笑)。

料理はショー込みで一人7千円。テーブル席が53ですので7千円×2人×53席=848,000円。これが5ステージなんで1日424万円です。これを出演者8人、スタッフ15人、調理x人ほどでまかないます。

後期難波京 内裏正殿

後期難波京 内裏正殿

大阪歴史博物館の対面(大阪城の横)に店舗ができたのは知っていたんですが、その先に内裏跡が整備されていたんですね。大阪歴史博物館の上から難波京跡をみて気がつき、さっそく行ってきました。

飛鳥時代の前期難波宮と奈良時代の後期難波宮の遺跡が混在しており回廊跡が色で分かれていました。中央にあるのが後期難波宮の内裏正殿跡です。内裏とは天皇の私的空間で天皇が住み、儀式や執務を行う宮殿がありました。禁裏(きんり)とも呼ばれています。平城京の副都でしたので聖武天皇がたびたび来ておりました。

蘭奢待の匂い

蘭奢待

正倉院に保管されている香木に蘭奢待(らんじゃたい)があります。足利義満、足利義教、足利義政、織田信長、明治天皇らが切り取ったことでも有名です。今朝のニュースで香木の調査が行われ300種類以上の香りの成分が確かめられたという報道がありました。

もっとも調査が行われたのは去年で、ちょうど大阪歴史博物館で「正倉院 THE SHOW」が開催中です。蘭奢待のレプリカが展示され、匂いを嗅ぐことができます。先日、行ったのですが、ほのかな甘い匂いがしました。展示会出口に正倉院グッズの売店があったのですが蘭奢待クッションが5700円ほどで売られています。しかも切り口に織田信長拝賜之處と付箋がつけられていますが、これも再現されています(笑)。一瞬、気持ちが動きましたが絶対に使わないなあと購入を却下。

蘭奢待という名前は字の中に東大寺を隠した名称で、正倉院に最初から保管されていたと考えられていましたが、もっと後の時代のものと判明、なんで正倉院にあるのかが新たな謎になっています。

下ツ道をゆく(5) 田原本

浄照寺

笠縫から下ツ道を北上すると田原本があります。近鉄橿原線の田原本駅がありますが、すぐ近くに田原本線(新王寺駅行き)の西田原駅があります。

江戸時代は平野家の陣屋がありました。初代は平野長泰で賤ケ岳の戦いで活躍した七本槍の一人です。近江で3000石をもらっていましたが田原本2000石が加増され5000石になりました。平野家は陣屋を建て、代々この地を領地とし明治まで続きました。残念ながら陣屋は残っていません。

田原本駅近くに浄照寺があり田原本御坊と呼ばれていました。浄土真宗の中心地として寺内町の雰囲気がよく残っています。ここの高麗門は伏⾒城の城⾨を移築したものと言われていますが、あんまり特徴がないので太⿎楼がのっている隣の長屋門が有名です。

夜の万博

万博

大阪府よろず支援拠点の相談業務が終わってから中央線で夢洲駅へ

各パビリオンの夜景もきれいなんですが、大屋根リングがけっこう映えますねえ。昨夜は雷雲が近づいてきたこともあり大屋根リングと静けさの森が閉鎖されてしまいました。大屋根リングからの夜景が見たかったのですが残念。

雨も降ってきたので、ほとんど並んでいないチェコ館に退避。螺旋状に登っていくパビリオンなんですが、何かよう分からん展示でした。外観にボヘミアン・クリスタルが使われ回廊状のパビリオン自体がテーマだったんですね。

下ツ道をゆく(4) 秦楽寺

秦楽寺

下ツ道を北上していくと笠縫駅に出ます。このあたりの地名が秦荘です。秦ときいて秦河勝(はたのかわかつ)を思い出したあなた!通ですねえ!

秦河勝は聖徳太子の国作りをサポートした秦氏(渡来人)の族長です。聖徳太子から譲り受けた木造弥勒菩薩半跏思惟像を本尊に広隆寺を建てました。能のもとになった大和猿楽四座は秦氏の子孫で、世阿弥の風姿花伝には猿楽の開祖が秦河勝と書かれています。

この秦河勝が創建したのが秦楽寺です。本堂前には大きな池があり、空海が梵字の「阿」の形の池を作ったとされ阿字池と呼ばれています。池の周りになぜか土塁があり秦楽寺城として松永久秀の大和攻めなどで使われてようです。

下ツ道をゆく(3) 下ツ道運河

寺川

近鉄八木駅近くの踏切を超えて下ツ道を北上すると、東から寺川が近づいてきて下ツ道に沿ってまっすぐ北に並走します。道の横に不自然なほどまっすぐな川が続きますので、どう考えても人工的です。この寺川が斉明天皇が作った狂心溝(たぶれごころのみぞ)の一部とみられています。天理市の豊田山から飛鳥を結ぶ大運河で天理周辺の流路は往時と変わっているようです。

京都嵐山から和歌山港に至る約180kmの京奈和自転車道が整備され、この下ツ道がサイクリングロードになっています。とぼとぼ歩いている横を自転車が通り過ぎていきます。

下ツ道をゆく(2) 大和八木

下ツ道

札ノ辻から下ツ道を北上すると、すぐに近鉄大阪線の踏切があります。八木駅は1階が橿原線で大阪線は2階にあります。伊勢から八木駅に向かう時、下ツ道の踏切を過ぎると電車は上にあがり2階ホームに到着します。

近鉄大阪線は横大路と並行して走っていますので桜井駅を過ぎてすぐの戒重で上ツ道と交差、大福駅横の踏切で中ツ道と交差します。古代の古道と交差するのを車窓から楽しめます。

下ツ道をゆく(1) 札ノ辻

札ノ辻

下ツ道とは藤原京の西四坊大路からまっすぐ北に進んで平城京の朱雀大路に至る古代の官道です。日本書紀の壬申の乱に名前がでてきますので飛鳥時代後半には整備されていたようです。下ツ道に平行して中ツ道、上ツ道がまっすぐ北に続いていました。

近鉄八木駅の近くに札ノ辻があり旧旅籠を改装した交流館があります。東西には横大路(伊勢街道)が走り、下ツ道と交差していました。江戸時代、伊勢参りや吉野・大峰山への参詣巡礼で賑わっていた辻で昔の交通ジャンクションですね。ここから下ツ道を北上していきます。

太子道

太子道

多神社のちかくを歩いていると太子道の案内がありました。

太子道とは、聖徳太子が斑鳩宮と飛鳥を行ききした古道で、筋違道とも呼ばれています。南北に対して斜めになった道が奈良盆地を通っていたんですが、市街地化でだいぶなくなりました。有名なのが田原本の宮古から近鉄田原本線・黒田駅の脇を通って伸びる道で、ほんまに斜めになっていろいろな道と交差しています。

太子道は20度傾いていて、発掘された法隆寺の若草伽藍も20度傾いており、蘇我馬子の嶋宮から、聖徳太子の斑鳩までがまっすぐ結ばれている仮説もあります。大陸からの使者が難波から大和川を遡って、まず出迎えるところが斑鳩宮でした。