千利休屋敷跡

千利休屋敷跡
昨日、遠里小野の環濠を見た後、すぐ近くを走っているチンチン電車(阪堺電車)に乗って堺へ。
宿院ちかくに新しく「さかい利晶の社」という施設が出来ていました。利晶って、なんのこっちゃいなと思っていたら千利休と与謝野晶子なんですね。なかなか贅沢な施設で隣にはスターバックスもありました。「さかい利晶の社」のすぐ隣にあるのが千利休屋敷跡。ここは昔と変っていなく井戸などが健在でした。
新しく碑ができていて、碑によると千利休の祖父は千阿弥といい、足利義政の同朋衆と書いてありました。同朋衆というのは将軍のそばで雑務や芸能にあたった人々で、猿楽能の観阿弥も同朋衆です。茶道は利休からなんで、なんの芸能で仕えたのかなあ。
千家はもともとは田中家だったんですね。この田中家は新田里見氏の一族といわれています。

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