志貴県主神社

志貴県主神社

東高野街道から少し離れたところにあるのが志貴県主神社。県主(あがたぬし)って日本史で習いましたね。県主という言葉に反応して東高野街道からはずれて訪れました。

ヤマト朝廷が任じた地方官で国(国司)の下が県(県主)になります。一帯には志貴県が置かれ、志貴県主が管理していました。実際は地域の実力者を追認するイメージでしたので、けっこう羽振りがよかったようです。古事記には、いい家に住んでるんじゃないかと雄略天皇にいちゃもんをつけられる志貴県主が登場します。

■タイパ重視で総社となる
志貴県主神社近くに石器時代から続く国府遺跡があります。奈良時代になると河内国の国府が置かれ、国府遺跡は有力候補ですが、まだ見つかっていません。国府が置かれたことで志貴県主神社は総社になりました。国司が赴任すると一宮から順番に任地の神社を挨拶回りするのが慣例でした。

タイパ重視なのは昔も変わりません。全部回るのは面倒くさいと始まったのが総社です。これは国内の神社を国府の近くの1ケ所に集めることで、総社神社や六所神社という名前で全国に残っています。岡山県の総社市には美作国の総社神社があります。そら1つの神社を回っただけで全部OKなんでお得ですね。今も四万六千日(しまんろくせんにち)なるもんがあって1日のお参りだけで46,000日分の功徳があるというラッキーデーです。

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