ダイエー創業地

ダイエー創業地

価格破壊で松下電器産業の松下幸之助と戦ったダイエーの中内功。ダイエー・松下戦争と呼ばれましたが、今では知らない人も多いでしょうね。ダイエーは1957年で神戸市に大栄薬品工業株式会社という名前で設立されます。同じ歳に千林商店街に1号店「主婦の店・大栄(ダイエー)薬局店」をオープンします。千林商店街に行ったついでに創業の地に寄ってきましたが今はドラッグストアになっています。ちゃんとGoogleマップに出てきます。

この千林からダイエーの快進撃が始まりますが、今はイオンの傘下になっています。ひょうご産業活性化センターが三宮のサンパルにあった時、隣にダイエーとジュンク堂があったので、よく昼休みに利用していました。ダイエーのマークだったのが途中でイオンフードスタイルのマークに変わってしまいました。

大阪城天守閣

大阪城
  • 大阪城天守閣へ前回、行った時は長蛇の列で早々に退散。ということで土曜日はゴールデンウィークの終わりだし、雨が降りそうな天気、きっと観光客は少ないはずだと行ってみたら同じように長蛇の列でした。
  • 短そうに見えますが、実は右に折れて金蔵の方まで列は続いています。確かに日本人観光客は少ないのですが、周りはインバウンドの観光客ばかり、フランス語や韓国語やよく分からない言葉など、まず日本語が聞こえません。海外の博物館に並んでいるのと同じですね。
  • ■豊臣大坂城史
    さて目的は「豊臣大坂城史」というテーマ展です。エレベータも長蛇の列ですので、階段をひたすら登ります。テーマ展では秀吉などの朱印状や大坂冬の陣配陣図などがありました。屏風には有名な真田丸が二階建てで描かれ、寄せる徳川側も仕寄攻めのための竹束、塹壕、築山などが描かれています。堀には夜討ち防止のための提灯があります。大阪府よろす支援拠点のすぐ近くにある本町橋の戦いも載っていました。

小阪城

小阪城

近鉄・八戸ノ里駅近くに城のイラストが描いてあるビルがあり、なかなかいい趣味だなと近くに行った時に写真に撮っておいたのですが、これが天下の名城である小阪城だったんですね。

小阪城というのは小阪駅近くの理容店の上にあったお城です。理髪店店主が手作りで作ったもので地元では有名なお城でした。ところが2018年9月に台風21号によって落城してしまいました。天守閣がぶっとんでしまったのです。落城してからも見に行きました。

ところがNHKのBSプレミアムの番組「まいど!修繕屋です」(ダイアン主演)で復活プロジェクトがスタートしたそうで、再建はもういいという店主の声から城の絵を描くことに。あの城は小阪城だったんですね。けっこうでかいです。

商売繁盛で笹もってこい

額田戎神社
額田戎神社

個人事業は1月から第22期目に突入。法人は2月期末で現在、第6期目を推移中です。というわけで、えべっさんへ家の近く額田戎神社へ。西宮戎から勧請したので西宮までわざわざ行かなくてすみます。大体、すいていますし(笑)。ということで商売繁盛よろしゅうお願いします!

朝ドラ「舞い上がれ」ロケ地

朝ドラ「舞い上がれ」、舞台が東大阪ということもあり家の近所がよく出てきます。例えば主人公が浪速大学に入学するシーンで桜咲く川の横を通学で歩くシーンがありますが、これは花園ラグビー場近くの恩地川。隣には東花園駅に出る近鉄の車両基地があります。この道を歩いても近鉄電車で遮断されていて、「そんなとこ歩いても、どこへも行けまへんで」と朝ドラを見ながらつっこんでいます(笑)。

枚岡公園
枚岡公園

人力飛行機編では坂道を自転車で登る自主練習するシーンが出てきますが、これは枚岡公園への上り坂。私の散歩コースですがなあ。坂の近くに「森のおもちゃ箱」という滑り台などの遊具もあり週末は家族連れでにぎわっています。

立売堀

大阪の難読地名である立売堀(いたちぼり)の近辺で最近、仕事をしています。

立売堀川
立売堀川

名前の由来は諸説ありますが、その一つが大坂の陣。この地域を陣地にしていたのが伊達政宗。大坂夏の陣では、「道明寺の戦い」で後藤又兵衛らと戦います。遅れて到着した真田信繁とも交戦しますが、後退を余儀なくされます。

陣地にしたので堀を作っていましたが、堀跡を掘り進んで川としたことから伊達堀(「だてぼり」が「いたちぼり」に変化)と呼ばれるようになります。この川の沿岸で材木の立売(たちうり)が行われるようになり字を立売堀と改めますが、読みは「いたちぼり」のままなので難読地名となりました。

江戸時代の大坂は水運が発達し川だらけで、ここから西に流れていたのが立売堀川です。近くには2つの川が交差し四つの橋がかけられた四ツ橋がありました。

古河大阪ビルディング

今日は久しぶりに都会でお仕事(笑)。

古河大阪ビルディング
古河大阪ビルディング

堺筋本町界隈はオフィス街ですが高層建築というとタワマンばっかり。さすがに中ノ島界隈はオフィスの高層建築がけっこうあり都会の雰囲気です。大阪もようやく涼しくなってきたこともあり、紅葉がすすんでいます。

中之島フェスティバルタワー・ウエストに上がってきました。橋の向こうにサントリービルが見えるのですが古河大阪ビルディングは更地になっていました。SRAでシステム開発していた頃、分室があり徹夜などもよくやっていたのですが、なくなってしまいましたね。

竹内街道の始点

竹内街道の始点
竹内街道の始点

南海・堺東駅の南東にあるのが竹内街道の始点。

大坂・天満橋の渡辺津から熊野三山を結ぶ街道が熊野街道です。堺あたりでは西高野街道と一緒になっています。南に向かう熊野街道(西高野街道)から東に分岐して竹内街道がはじまります。竹内街道ができた古代は、海がかなり入り込んでいたので、このあたりが始点だったのでしょう。大仙陵古墳(仁徳天皇陵古墳)などは海岸沿いに南北に築かれ、海から見えるランドマークでした。

難波大道(竹内街道)

金岡神社
金岡神社

竹内街道は飛鳥と難波京を結ぶ道ですが、難波京からまっすぐ南にのびていた難波大道(朱雀大路)と交差していました。交差していたのが堺の金岡神社あたりで、付近には「大道町」の地名が残っています。この神社が難波大道の南端という説もあります。

難波大道は一部が発掘され幅19mあったようです。摂河泉(摂津、河内、和泉)の境が一部、直線になっていますが難波大道に沿っていたようです。難波大道の東側が河内国、西側が和泉国になります。金岡神社は大和絵を確立した巨勢金岡を祀る神社です。巨勢金岡は平安時代の人物で巨勢氏は武内宿禰の次男である許勢小柄宿禰を始祖とする氏族ですね。

竹内街道

竹内街道
竹内街道

飛鳥京と難波京を結ぶ最初の官道です。つまり国道1号線です。横大路が三輪山の南から葛城市の二上山まで東西にほぼまっすぐに設置され、竹内峠を越えてから難波に入り、古市あたりから、またおおむね東西にまっすぐな道になります。

というわけで古市駅から堺東駅まで竹内街道を歩いてみました。Googleマップが優秀で、ちゃんと道を教えてくれます。大体、3時間半で2万5千歩ほどになりました。古市古墳群から百舌鳥古墳群へ至るコースでもあります。もっとも古墳を見ても単なる森にしか見えませんが、知らんけど。