T-Site(枚方 蔦屋書店)

枚方・蔦屋書店

先日、京阪枚方市駅へ行ったついでに、やっとこさT-Siteへ行ってきました。くらわんか舟の伝統がある枚方には似つかわしくないオシャレなお店ですね(笑)。

行くのが遅いって(笑)。

T-Siteはカルチュア・コンビニエンス・クラブが運営する複合商業施設で、代官山・湘南に続く3店舗目になり、中心になるのが蔦谷書店です。 LUCUA osakaにある梅田・蔦屋書店は実に本が探しにくいですが、枚方・蔦屋書店はジャンル分けされていて探しやすいですね。

ご存知の方も多いと思いますがTSUTAYA創業の地が枚方で蔦屋書店という名前でスタートしました。てっきり喜多川歌麿や東洲斎写楽を世に送り出した蔦屋から名前をとったと思っていたら、お爺さんが置屋を営んでいて、その屋号が蔦屋だったそうです。

カルチュア・コンビニエンス・クラブが創業の地である枚方に立派な施設を作ったのとは対照的に、イオン(岡田屋)創業の地である四日市の諏訪商店街には何の店も残っていません。岡田屋の家訓が「大黒柱に柱をつけろ」ですので、創業の地にはなんのこだわりもないようです。

商工会ってどんなところ?

アスト津

三重県中小企業診断協会がアスト津で毎月1回開催しているのが診断研究会。車社会の三重県なので研究会が終わると、そのまま解散ですが12月だけは忘年会がセットになっています。そのためか、いつもよりも参加者が増えます(笑)。

昨夜は三重県商工会連合会・南部経営支援センターの村田裕昭氏(中小企業診断士)に「商工会ってどんなところ?」をテーマにお話いただきました。昔、中小企業施策(中小企業診断士試験の科目の一つ)で都市部が商工会議所、郡部は商工会と習いましたが市町村合併の影響で同じ市に商工会議所と商工会が混在する形になっています。

■三重県の商工会(商工会数 23)
会員数 10,783人 (内45歳以下の青年部 873人、女性部 2,147人)
経営指導員 75人

従業員ゼロの会員が41%で、従業員5人以下の小規模企業が80%となります。街の煙草屋さんが廃業して自動販売機になったりして商工会地区の商工業者は減っており過去20年間で23.9%減少しています。商工会の会員数は38.8%の減少になっています。

商工会独自にいろいろな取り組みをしており多気町商工会が行っているのが「おたコス」事業。コスプレの祭典です。全国から集まったコスプレーヤーが神社、学校などの施設を舞台に撮影を楽しむロケーションコスプレが展開されるそうです。へ~え、そんな面白い企画があったんだあ!

津北、みえ熊野古道商工会では真面目に今話題の外国人技能実習生制度に取り組んでいる内容などを紹介いただきました。研究会が終わったらお待ちかねの忘年会です!

徳政令 なぜ借金を返さなければならないか

正長元年柳生徳政碑

講談社現代新書から「徳政令 なぜ借金を返さなければならないのか」という面白い本が出ています。

■地域金融が崩壊
室町時代には徳政令という借金がチャラになる滅茶滅茶な法令が出されていました。室町時代の金融業は借上や土倉が担っていましたが、本業は荘園の代官請負業で金融は副業でした。地方では代官が荘園経営を担っていて地域の金融機能を支えていましたが税負担の増大と天変地異などの発生で、この地域金融が崩壊していきます。今でいうと信金がつぶれる状況で金融が都市銀行(借上や土倉)に集中する形となります。これで借上や土倉は本業が金融業になっていきます。

また室町幕府は奥向きでいろいろと浪費していてプライマリーバランスなんか考えていませんでした。消費税対策だといってバラマキを考えているどっかの政府と同じ状況ですね。この浪費の費用を京都の借上や土倉が担っていましたが、さすがに苦しくなりだし徴収が難しくなります。

■徳政令を求めて一揆がおきる
そこで幕府はいろいろな所から税金をとろうとしますが、これで一般庶民が苦しむことになり徳政令を求める動き(一揆)になり、実力行使で徳政令が出されます。一揆というと江戸時代の百姓一揆を想起しがちですが、そんななまやさしいものではなく、この当時の一揆は戦です。

結局は信用できない社会となり社会全体が疲弊していきます。そら戦国時代になるわけです。

この本にも出てきますが柳生の里の入口に疱瘡地蔵があり、この地蔵に正長の土一揆によって徳政令を勝ち取った郷民の文が書かれています。ただし山の中にあり観光客は誰もいません(笑)。正長元年柳生徳政碑として国の史跡になっています。

言志四録

言志四録

一灯を掲げて暗夜を行く 暗夜を憂うことなかれ ただ一灯を頼め

ご存知、言志四録の一節です。

角館の武家屋敷にいくつかの書籍が展示されていて論語や大学などと並んで言志四録がありました。言志四録は美濃国岩村藩出身の儒学者・佐藤一斎が後半生の四十余年にわたって書いた語録です。冒頭以外にもたくさんの言葉を残しリーダーのためのバイブルとして注目を集めました。現在でいうとドラッカーのようなものでしょうか。

言志録、言志後録、言志晩録、言志耋(てつ)録の四冊から構成されているため言志四録と呼ばれています。佐藤一斎の門下生には山田方谷、佐久間象山、渡辺崋山、横井小楠らがおり幕末に活躍した人物ばかり、”西郷どん”も生涯、この言志四録を愛読していました。今は言志四録を講談社学術文庫で読むことができます。

ファイティング・コンサルタンツ研究会 忘年会

黒門市場

インバウンドのお客さんであふれていて、歩くのも大変な黒門市場へ。だんだんすごくなっていますね。

1パックに4貫の大トロのお寿司が入っていて値段はなんと2,000円!1貫500円じゃないですか~あ。回転寿司なら5皿食べられる!

なんて庶民感覚とは違っていてバンバン売れ、皆さんほうばっています。景気いいですね~え。

さて年末恒例のファイティング・コンサルタンツ研究会の忘年会。黒門市場にあるいつもの寿恵廣で例のごとくブリしゃぶです。これがなかなかの絶品です。15年ほど前にはコンサルティングファームを作るんだと熱く燃えていた研究会もいまや単なる街歩きと飲み会集団へと変貌しております。忘年会と言いながら夕方から飲むか、昼から飲むかの違いだけです(笑)。

秋田蘭画(角館)

小田野家

小田野直武って角館出身だったんだあ!

武家屋敷なら角館より松坂城の御城番屋敷の方が風情あるなと思いながら、三千坪の敷地があるという青柳家に入ると邸内に小田野直武の銅像が!!小田野直武は秋田藩士なんで、てっきり秋田出身と思っていたら角館出身だったんですね。観光バスでは小田野直武や秋田蘭画の説明が一切なかったぞ(笑)。

小田野直武って、とっても変わった人で天才・平賀源内が東北地域で鉱山開発の山師のようなことをしていた時に出会い、遠近法、陰影法などの西洋絵画の技法を教えてもらいます。その後、江戸に出てさらに平賀源内に学び、日本画と西洋画を融合した独特の秋田蘭画を作り上げます。作り上げただけではなく単なる藩士が藩主にも手ほどきするという江戸時代には考えられないこととなり秋田蘭画を大成させることになります。

平賀源内の友達だったのが前野良沢や杉田玄白で、その縁で小田野直武は解体新書(ターヘル・アナトミア)の図版を担当しています。昔、日本史で習いましたね~え。

秋田蘭画の名品は美術館にありますが、ここ角館にもいくつか展示されていました。そうか小田野直武って角館出身だったんだあ!と思い、角館を歩いていたら端の方に小田野家がありました。残念ながら火事で再建された建物だそうです。