津城 内堀の石垣

津城
津市の中心市街地に百五銀行・本部棟を建設中。工事はほとんど完成し外観工事は終わっています。
工事中に見つかったのが津城・内堀の石垣。昔、ジャスコが建っていたのですが、石垣は破壊されず地下に残っていました。5メートルだけですが野面積の石垣が地上に復元されています。ちょうど内堀の石垣があったところの地上です。ほかの石垣があった位置は鉄鋲で印されています。
石垣から本丸までは60メートルほど離れており、水堀になっていました。津城を造ったのは織田信長の兄弟である織田信包。関ヶ原の戦いが終わった後、藤堂高虎が現在の縄張りに変更します。
藤堂高虎の縄張の特徴はまず広大な水堀。これは鉄砲の射程距離に対応するためです。あと城の曲輪は複雑な形にして横矢がかかるようにし防衛力を高めますが、藤堂高虎は四角にし、中に建物を建てやすく利用しやすくしました。その代わり枡形虎口を作って防衛力を補います。
これが家康の採用され、戦国末期から江戸時代に造られる城は四角形の曲輪と広大な水堀が標準形となります。

鮮魚列車

鮮魚列車
早朝や夕方、近鉄に乗ると鮮魚列車という3両編成の貸切電車と遭遇します。行商人が伊勢から大阪へ魚を運ぶ専用列車で、日本では近鉄だけになってしまいましたが、この列車をレポートした、その名も「行商列車」(創元社)という本が出ていました。
■一番組
本によると行商人の多くは松阪市の北にある猟師町(猟師漁港)から魚を運んでいます。鮮魚列車以外に5:22に松阪から出る普通電車の始発に乗っている行商人も多く、一番組と呼ばれています。
始発は名張駅行ですので、名張駅で上本町行きの急行に乗り換えますが、一般客に迷惑がかからないよう一番最後の車両に乗るのが慣行となっています。私も三重県産業支援センターへ行く時は始発に乗ることが多いので、行商人みたいなもんですが(笑)、ほぼ毎日続けているのがすごいですねえ。
■鮮魚列車の仕組み
鮮魚列車は貸切で鳥羽から上本町まで運行しています。借主は伊勢志摩魚行商組合連合会。もともとは一般客からクレームが出たため、行商人を分けるために昭和38年から始められました。定期代などを含め1ケ月の経費は3万3千円ほどかかります。平成になった頃の会員数は300人ほどいましたが平成21年で115人に減少。
■伊勢屋という屋号
多くの行商人は大阪の商店街に自分の店を持っており、近所の人に売ります。流通ルートが短いので鮮度がよく、魚の知識も豊富でおいしい食べ方を提案してくれるため固定客がついています。猟師町の会員の店の名前は全て「伊勢屋」になっているそうなので、商店街でこの屋号を見かけたら鮮魚列車に乗っている行商人のお店でしょうね。

飛鳥苑

飛鳥苑
大晦日から正月にかけては津へ帰省。三重県産業支援センターへは実家から行っているので、あんまり新鮮味がないですねえ(笑)
2日、3日は奥さんの親戚が奈良の飛鳥苑(猿沢の池のすぐそば)に集まります。飛鳥苑の露店風呂は目の前に興福寺の五重塔が見えるのが値打ちですね。ちょうど夜明けにあわせて露店風呂に入ると、朝日をあびる五重塔を風呂から見ることができます。
写真は飛鳥苑のロビーにあった鹿の人形。