大阪城 石垣の謎の穴

大阪城
大阪府よろず支援拠点からの帰り、大阪城の南外堀横を通って森ノ宮駅へ出ています。大阪城公園は緑が多く、なかなか快適です。
いつも通る二の丸南面側の六番櫓近くの石垣にポッカリ穴が空いています。これが大阪城の謎の一つ。大坂の陣で真田幸村が城内から外へ通じる秘密の抜け穴を掘ったという伝説などが残っていますが、この穴はどの資料にも出てこず、昭和34年に行われた調査まで誰も気づいていませんでした。私なんか通るたびに気になるのですが、当時は埋まっていたんですかね。
石垣から積み石一個分が抜かれており、約90cm四方の穴ですから大人でも入れます。中は2mほど入ったところが崩れて行き止まりになっており、木の柱らしきものがあり人工的に掘られた穴のようです。
誰が穴を開けたのでしょうか。徳川が大阪城を再建した時、この周辺の石垣を担当したものが開けたのか、明治になってから大阪城には帝国陸軍第四師団がおかれましたので陸軍が開けたのか分かりません。
そもそも穴の目的が分からず今も謎になっています。大阪城の周りは散歩やランニングしている人が多いのですが、いろいろと面白いものがころがっています。

LECで経営情報システムの講座

LEC
8月5日(土) 、6日(日)に中小企業診断士・1次試験が行われますので、追い込み時期になっています。LEC梅田校へ行って経営情報システムのアドバンス講座を担当してきました。経営情報システムしか教えられません。(笑)
昼休みに丸善・ジュンク堂梅田店のコンピュータコーナーをのぞくと「バグは本当に虫だった」が残6冊になっていました。手に取って買いたい方はぜひどうぞ!

書類整理(大阪中小企業診断士会)

大阪城
午後、マイドーム大阪7階にある大阪中小企業診断士会へ。
創設以来、いろいろな書類が溜まっており、永久保存するか廃棄するか年限を区切るか仕分け作業が終わったので、今日は一気に整理しようと総務グループメンバーが勢揃いしました。2~3時間はかかりそうだということで午後の予定を空けておいたのですが、やってみたら30分ほどで終了。(笑)
あっという間に終わってしまったので、マイドーム大阪のすぐ近くにある大阪城へ。久しぶりに天守閣に登ってきました。エレベータコースには行列ができていましたので階段コースをせっせと登ります。天守閣の中は観光客で一杯ですが、日本語はまず聞こえません。中国語、韓国語、英語は分かりますがインドネシア語などいろいろな言語が聞こえてきます。
とりあえず今日の予定は終わったので、家へ帰って「ちちんぷいぷい」を見ながらビール飲んでま~す。(笑)

絶対使える!ネットを使った決議と署名

公益・一般法人
全国公益法人協会が月2回発行している機関誌「公益・一般法人」(943号 6月15日号)に原稿を執筆していますので、公益法人や一般法人の会員の方はぜひ、お読みください。
タイトルは「絶対使える!ネットを使った決議と署名」で公益法人など理事会の決議で電子的な仕組みで同意がとれることになっていますので、電子メールやウェブ、電子署名などでどう同意をとるかについて書いています。

ビジネスマッチングフェア

大阪府よろず支援拠点
大阪府内の信用金庫7行(大阪信用金庫、大阪厚生信用金庫、大阪シティ信用金庫、大阪商工信用金庫、永和信用金庫、北おおさか信用金庫、枚方信用金庫)が共同で行うビジネスマッチングフェアで会場はマイドーム大阪です。大阪府よろず支援拠点(7階)と同じ場所ですので、よろず支援拠点もブース出展しています。
大阪府よろず支援拠点ではIT導入補助金の締切がちかいため、相談がたてこんでいる状態なんですが、相談の合間をぬって交代でブース番です。ブースには椅子もあるため知り合いが休憩がてら立ち寄っていきます。(笑)
隣りが日本フルハップさんで血管老化度チェックを行っていました。試しにやってみると実年齢よりも5歳も上!血管点数は44点で。コメントには「食生活を改善して運動を心がけましょう」とあります。そういえば、お昼は眠眠へ行って油淋鶏を食べたな~あ。(笑)

ビッグデータを活用した『販路開拓』


今日の夜は多気町民文化会館でセミナー。
主催は松阪商工会広域連合で、松阪北部商工会、松阪西部商工会、多気町商工会 明和町商工会 、大台町商工会、大紀町商工会から構成されています。商工会会員だけでなく職員の皆さんも参加され50名を超えていました。
セミナーは「ビッグデータを活用した販路開拓」で政府統計の総合窓口(e-Stat)や地位経済分析システム(RESAS:リーサス)などの紹介のあとは小規模企業でも活用できるビッグデータの話をしてきました。
会場のある多気町は高校生レストランで有名な相可高校の近くにあり、シャープ多気工場も近くで、最寄駅はJR相可駅になります。時間を調べると本数が少ないのでちょうどよい列車がなく、松阪駅から路線バスで行くことに。セミナーは21時までなんですが終わる時間にはJRの列車はなくなり、路線バスもありません。陸の孤島ですね。知り合いに松阪駅まで送ってもらいました。

伊坂城


新名神道路の工事前に発掘調査が行われた山城です。 発売中の「季刊考古学 第139号 特集 戦国城郭の考古学」にも伊坂城が載っていました。
城がある大矢知周辺は大矢知そうめんが有名で、近江とは八風街道で結ばれた交通の要所です。発掘調査では堀底道、郭、高さ6メートル以上の巨大な櫓門跡などが見つかっています。伊坂城は信長の北伊勢攻めで攻め落とされ伊坂氏は滅亡したと言われていますが、織田信雄の家来衆に伊坂氏がいますので、どうも信長に降伏したようです。
新名神の開通で城跡の半分ほどは破壊されましたが、郭や土塁跡は残っているという情報を見つけたので専門家派遣のついでに寄ってきました。
登山道の途中から竹藪に入り帯郭や土塁を見ることができます。一番高い主郭を目指しますが到達できそうな道はなく途中で断念。竹藪だらけでスーツ姿で行くのはオススメしません。
郭と郭の間を歩いていくと新名神のフェンスにぶつかりました。この先にあった郭などは工事で破壊されたようです。500年も残った遺跡なのに破壊はもったいないなあ。

中野城

中野城
三岐鉄道の保々駅近くにあったのが中野城。
土塁跡が一部だけ残っていますが、周りは住宅地で、少し高台になっています。城主は赤堀秀基で赤堀村から中野村へ移り中野氏を称したとありますが、ここらへんは伊勢朝倉氏の支配地でしたので、本当のところは分かりません。
織田信長は美濃攻略とともに北伊勢侵攻をはじめ、この方面は滝川一益が担当していました。保々西城、市場城ともども落城した模様です。
中野氏の元である赤堀氏の本貫は上野国赤堀郷で、祖先は平将門を破った藤原秀郷(俵藤太)です。

市場城

市場城
保々西城の支城だったのが市場城で朝倉氏の城です。朝倉氏といえば信長と戦った越前の朝倉義景が有名ですが伊勢朝倉氏はこの越前朝倉氏の分家だという説もあります。よく分かっていません。
市場城は、朝明川に面した南側が崖となった河岸段丘に築かれている城です。市場地区の公会堂裏手に竹藪が広がっていて、この竹藪の中に市場城があります。なかなか城の入口が分からなかったのですが、ようやく竹藪の中に虎口を見つけました。土橋がかかっていて空堀と高さ8メートルほどはある土塁がめぐっています。主郭は保々西城と同じような縄張になっています。 写真は主郭から見た虎口の様子です。見事な折れですねえ。
保々西城と同様に信長の伊勢攻めで落城した模様です。丘城なのでスーツ姿で大丈夫ですが主郭の中は竹藪だらけですので中に入るにはご注意ください。

保々西城

保々西城
専門家派遣の依頼で最初は断ったのですが支援先が三岐鉄道に乗って行くところでしたので思わず快諾。
というわけで専門家派遣の合間をぬって三岐鉄道に乗り保々西城へ行ってきました。北勢中央公園の一角に城があるのですが現地に着いても案内版も何もなし。公園関係者に聞くと野球場のボードの裏側から城に入る道があることを聞き、いざ潜入。城の碑もありました。
郭の土塁や虎口だけでなく城の前に拡がる屋敷跡の土塁も見事に残っていました。保々西城は丘城ですのでスーツ姿でも大丈夫です。これで雨さえ降ってなければよかったのですが...。
保々西城を造ったのは茂福城主である朝倉備前守。織田信長が伊勢侵攻してきた時に滝川一益の攻撃を受け落城、朝倉氏は滅亡します。