造酒司(平城京)

造酒司
平城京跡では今も発掘が続いていますが建物が、どの役所だったかを判明するのは至難の業。そんななか断定できるのが造酒司で、酒造りをしていた役所です。霞が関のど真ん中に造り酒屋があるようなもので、いいですね~え。さすがに立ち飲みはできなかったでしょうね。
甕につけられた木簡などが見つかり造酒司と確定されました。なかには清酒という木簡もありますが、当時は今のような清酒はありませんのでドブロクの上澄みをすくったものでしょう。写真は造酒司で見つかった井戸跡です。
清酒は江戸時代となり酒造業をしていた鴻池の手代が叱責された腹いせに灰を投げ込んだことで、はじめてその製法が発見されたと言われています。
そうそう奈良には菩提もと造りがあります。平安時代頃に奈良菩提山・正暦寺で醸造された菩提泉というお酒がありました。この酒母が菩提もとで、これを復活し奈良の造り酒屋では、菩提もと造りとしてお酒を造っています。

地下の正倉院展

平城京
地下の正倉院展へ出かけてきました。
今年、平城京跡出土木簡が国宝に指定されたそうで、平城京跡資料館では「地下の正倉院展」として11/26(日)まで3期に分けて展示されています。
会場入口にあったのが下ツ道の溝から見つかった長い棒に書かれた木簡。平城京の朱雀大路はもともと飛鳥時代にあった下ツ道を拡張したもので下ツ道の溝から藤原京時代の木簡が発見されています。早い話がゴミです。
内容は手形(パスポート)で近江国蒲生郡で田作人(農業)をしていた伊刀古麻呂、大宅女の2人が藤原京へ戻る際に発給されたものです。かなり大きな木簡で40cm近くあります。行先は左京小治町で、どうも飛鳥の雷丘付近のようで、藤原京の一部です。近江から山城国を超えて大和へ入り、当時は平城京はありませんでしたが関所があったのでしょう。最後の関所を超えたので大きな木簡は邪魔と溝に捨てたと思われます。

何もない花隈城

花隈城
神戸へ行ったついでに花隈城跡へ寄ってきました。元町駅のすぐ近くにあり、城跡はなにも残っていませんが石垣風の駐車場になっています。公園には碑が建っています。
JR線から、すごい急坂になっていて丘陵が突き出した一番先に城がありました。摂津を支配した荒木村重が織田信長に反旗を翻した時に有岡城(伊丹城)の支城となって織田軍の池田恒興などと戦います。荒木村重は毛利への援軍要請のため有岡城を抜け出し、尼崎城を経て花隈城に入りますが、結局、荒木村重は毛利に逃れ花隈城は落城します。
花隈城の北側の諏訪山には池田恒興と嫡男の元助が陣取り、生田の森(生田神社のあるあたり)には池田輝政が陣取っていました。元町周辺は戦場でした。勝った池田恒興は兵庫城を築城し、花隈城は廃城となります。古図が残っていた本丸、二の丸、三の丸まであった大きな城だったようです。

中小企業診断士の日

中小企業診断士の日
11月4日は中小企業診断士の日です。
今年は土曜なので大阪中小企業診断協会では本日、イベントを開催。しかも兵庫県中小企業診断協会、京都府中小企業診断協会と同じです。
さて中小企業診断士の知名度向上のため公的行事では経営の羅針盤をモチーフにした診断士バッチを着用することになっています。それはよいのですが、バッチのありかを朝から探すことに。なんせ3Sができていないので、まず出てきたのが診断士の旧バッチ。さすがに、これをつけていったらまずいだろうと再捜査。30分ほどたってようやく見つけました。めでたし、めでたし。
マイドーム2階でイベントが開催されましたが基調講演の後、5社の事例発表。会場には企業紹介のパネルが用意され、大阪府よろず支援拠点が毎年、行っている事例発表会と同じフォーマットでした(笑)。

正倉院展 糞置村

正倉院展
昨日は神戸から奈良へ移動して、正倉院展へ。
いつもようにオータムレイト(閉館1時間前から発売で割引になる)で入館。この時間帯になると誰も並んでおらず、展示物もゆっくり見られます。
「東大寺開田地図 越前国足羽郡糞置村田図」という麻布に描いた地図が出展されていました。天平神護2年(766)作成の地図だそうです。山などが書かれ、そこに条里制の区画がぎっしり書かれていました。近くに戸籍も展示されていて、これが越前国足羽郡のもので地図で書かれたものと一致しているそうです。
それはよいのですが、なんで糞置村なんて名前をつけたんですかねえ