常時SSLのメリットと費用、シマンテック無効化に注意

Googleがなりすまし防止や暗号化通信を確保するための常時SSLを導入していないサイトの順位を下げると発表したため、常時SSLがウェブサイトの基本になりつつあります。
ところがグーグルがシマンテック系のSSL証明書の無効化を発表しました。企業のセキュリティ対策にどんな影響があるのでしょうか。SSLの基本情報と共にお伝えします。
最新ガイド記事です。
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能勢・吉村城

吉村城
山辺城のすぐ近くにあるのが吉村城。
Googleマップでもバッチリ出てきます。山頂にありますが、山城の常ですが道がない。(笑)必然的に切岸を登ることになります。頂上まで登ると単郭があり、北東背後の尾根を堀切で遮断して土塁がありました。
防御はこれだけですので臨時的な城だったようです。天文年間(1532年~1555年)に吉村備前守盛光がいたと伝わっていますが、本当かどうかは分かりません。ここらあたり山城が多いので能勢街道をおさえるためのネットワークの一つだったのでしょう。

熊野でインターネットセミナー

七里御浜
三重県のはるか南にある熊野市でインターネット・セミナー。夜、開催で到底帰れませんので熊野泊です。
久しぶりに熊野へ来たら駅前に図書館ができていたり、けっこう変わっています。ただ人口は右肩下がりで減っており現在、1万7千人ほどになっています。
熊野でセミナーはよいのですが終わった時間帯に空いているようなレストランはなし。必然的に居酒屋でご飯を食べることとなり、ついでに飲むこととなります。(笑)

写真は和歌山との県境まで続く七里御浜で熊野古道の一つです。

能勢・山辺城

能勢・山辺城
能勢・宿野へ行く途中にあるのが栗栖という土地。コメリやスーパーもある賑やかな一角です。この近くに城山と呼ばれる山があり、これが鷹爪山。能勢富士とも呼ばれ、山上にあるのが能勢で一番大きな山城である山辺城(鷹爪城)です。
能勢一族だった大町氏の城で大町氏は多田院御家人でした。山辺城は1579(天正7)年に織田信忠、信澄らに攻められた記録もあります。
麓に月峯寺というお寺があり、近くに住宅街がありますが、これが急坂が多い住宅街になっています。かなりの傾斜がある坂を登った一番奥の住宅地から直登すると城にたどり着きます。ちょうど郭をつなぐ土橋に出られました。
山辺城は3つの郭からなっていて、郭間はかなりの高低差があります。一番高い所にある主郭は広く、くびれた所に虎口があり、別の郭群に続いています。土橋や堀切もあり、きれいに整備されており、なかなか見ごたえがある山城です。

電子申告(e-Tax)が終了

e-Tax
朝から書類を手元において電子申告(e-Tax)に格闘。
電子申告がはじまった頃はJavaを自分でインストールしたりなど、準備がかなり大変でしたが毎年、改善されています。今年は電子証明書のデフォルトが住基カードではなくマイナンバーカードになっていました。
所得税や確定申告書の計算が終わり、電子証明書をつけて送信し終了。ようやく終わりました。
来年は電子申告をという方は下記のガイド記事をどうぞ。マイナンバーカードの取得から書いています。
【確定申告】電子申告で使うマイナンバーカードの発行 

大坂城築城残石群

大坂城築城残石群
前島(牛窓)の展望台近くにあるのが大坂城築城残石群。
大坂の陣で廃墟となった大坂城を土に埋めて、造り直すために運ばせたのが瀬戸内海の石です。船で輸送しやすいからで江戸城を造る時は伊豆半島から運ばれました。
けっこうな山の上に広大な石切り場がありました。石垣にするには整形しなけらばなりません。石を割る必要があり、目(割れる方向)を見定めて、石に矢穴と呼ばれる穴をあけて石を割り石垣にしていきます。
残石のなかには松江藩堀尾家(国宝・松江城の城主)、鳥取藩池田家(姫路城城主でしたが池田光政の時代に鳥取藩に移ります)の刻印が残っています。

小野ケ城はどこだ?

倉敷
倉敷の街を見下ろす鶴形山にあるのが阿智神社。応神天皇の時代に渡来した阿知使主(あちのおみ)が住み着いた場所として伝わっています。阿知使主は古代氏族・東漢氏(やまとのあやうじ)の祖となります。東漢氏といえば乙巳の変で蘇我蝦夷、入鹿の蘇我本家が滅ぶ時に最後まで付き従って戦いました。この東漢氏が後に長尾氏となり、戦国時代に生まれたのが長尾景虎。そう、あの上杉謙信です。
■小野ガ城はどこだ?
さて阿智神社で見つけたのが城山稲荷。また倉敷代官所があった倉敷アイビースクエアで見つけたのも同じ城山稲荷です。倉敷アイビースクエアの説明版には戦国時代に小野ケ城という砦があったと記載されていましたが、どうも怪しい。城山稲荷となっているので城山にもともとあったのだろうと登ったのが倉敷アイビースクエアの隣にある向山。お墓や住宅地として開発されており山城の遺構はありませんでした。
となると阿智神社がある鶴形山が戦国時代の砦跡なのかなあ。同じく城山稲荷はあるし、神社境内になっていますが削平地なんで大きな砦を作ることができます。写真は倉敷アイビースクエアで右手に見えるのが阿智神社のある鶴形山です。

倉敷代官所跡

倉敷代官所跡
クラボウ(倉敷紡績)の跡地にできたのが倉敷アイビースクエア。ホテル、レストラン、倉紡記念館などがあります。ここには江戸時代、倉敷代官所がありました。はたまた、その前の戦国時代には「小野ケ城」という名前の城があったそうです。
関ケ原合戦の後、宇喜多秀家が敗れたため、倉敷は徳川幕府の直轄地となり、備中国代官として派遣されたのが茶道や庭園で有名な小堀遠州。陣屋を作り、陣屋を拠点に倉敷湊から大阪冬の陣で使う兵糧米を輸送しました。小堀遠州は豊臣秀長(秀吉の弟)→秀保(秀長の養子)→秀吉→徳川家康と仕えていますので藤堂高虎と重なります。その関係から奥さんは藤堂高虎養女として藤堂家からもらっています。
陣屋は、やがて倉敷代官所となり江戸時代を通じて天領を支配する拠点となりました。倉敷代官所は周りを環濠で囲まれていましたが、一部だけが敷地内に残っていました。代官所時代、倉紡時代を通じて敷地内に稲荷社があったのですが、倉敷アイビースクエアの中を探しても何もありません。稲荷社は道路を隔てた目立たないことに移設されていました。ひょっとすると、この稲荷社は戦国時代の小野ケ城時代からあったかもしれません。

船場総研20周年で岡山へ

牛窓
船場総研の20周年記念旅行で倉敷、牛窓、岡山と巡ってきました。船場総研はパソコン通信Nifty-ServeのFlicフォーラムから生まれた船場勉強会のOB組織です。中小企業診断士試験の勉強会で最新の「企業実務」(同友館)に船場勉強会が紹介されているそうです。
もともとは船場勉強会に参加するOBが受験生の邪魔ばかりするので隔離の意味で20年前に生まれた組織だそうです(笑)私は15年前に合格したので、それ以降に参加しました。
倉敷見学の後、牛窓の先にある前島へ。道中にコンビニやお店があれば買い出し予定でしたが、結局、フェリー乗場までお店がなく、フェリー売場の売店でもお酒は売っていませんでした。フェリーで渡った前島にはコンビニはおろかお店もなく、宿で宴会した後はおとなしく部屋でお酒なしでだべっておりました。健全な夜でした。(笑)

浄土寺城

浄土寺城
安濃は城が密集している城塞群になっていますが、その一つである浄土寺城。 

小高い丘の上に築かれ主郭跡には郷社稲荷神社があります。北畠氏の木造城を攻める為、築城されたとあり。城主は1584年、秀吉の家臣守岡氏が在城したと記録にあります。この時は小牧・長久手合戦の影響で戸木城(現在の久居にあり木造氏の本拠)攻めの包囲網の一つふだったようですが、本当かどうかは分かりません。 

稲荷神社の階段を上がったところが主郭で階段の右側に一段高くなった土塁があり横矢がかかるようになっています。3つの郭がある割と大きな城で、保存状態もよく土塁や堀跡も残っています。高台なので眺めがいいですねえ