白山社山王社

白山社山王社
奥州藤原氏時代の平泉復元図を見ると壮麗な毛越寺などが描かれているのですが、気になるのが伽羅御所、無量光院の近くにある池に浮かんだ小島の社。周囲を池が囲み、一本の土橋が延びています。ところが、あまり皆さん、気にならないのか平泉の史跡マップなどには掲載されていません。
■平泉の鎮守社だった
調べると白山社山王社という社で、せっかく平泉へ行ったので探して行ってきました。平泉駅から伽羅御所の方へ向かいますが線路を渡らずに線路沿いを行くと住宅地の近くに細い路地があり、白山妙理権現への道と小さく書いてありました。進むと湿地帯みたいなところへ出て、ここがかっての「鈴沢の池」跡。畑をしている人に聞いたら、まっすぐ行くと社へ出られるということで向かうと、今は白山妙理権現という社になっていました。
藤原秀衡の時代から明治はじめまでは白山社山王社で、平泉の鎮守社の一つだったそうです。1570年頃ですので姉川の戦いの頃に消失し、現在の社殿は1763年に建立されたものです。本居宣長が伊勢へ行く途中の賀茂真淵と出会い、古事記研究にすすむことになった松阪の一夜の年ですねえ。

源義経最期の地・高館

高館
柳之御所のすぐ横にあるのが高館。
丘に造られた山城で初代・藤原清衡の時代から要害でした。柳之御所の詰城のような存在だったのでしょう。3代・藤原秀衡が源頼朝と対立した源義経を呼び寄せます。どうも、軍事の天才だった義経を総大将にして鎌倉との一戦を考えていたようです。ところが秀衡が死んだ後、源頼朝の圧力に耐えかねた4代・藤原泰衡が急襲し義経は自刃して果てます。自刃したのは、もう少し北にある衣川館という説もあります。
自刃する時間を稼ぐために弁慶が満身に矢を受けながら薙刀を杖にして亡くなります。これが有名な弁慶の立ち往生。「夏草や 兵どもが 夢の跡」という松尾芭蕉の碑が建っていました。
高館は北上川が眺められる高台にあり、複数の郭から構成されています。なかなか広い郭です。

夏越の祓

夏越の祓

2018年の上半期が終了。近くの枚岡神社へ行くと茅の輪くぐりがあったので、巡ってきました。
 
夏越の祓の風習ですが、関西には多く関東では少ないそうです。先日、行った盛岡城の桜川神社にも茅の輪くぐりがあったので、地域性があるようです。
 
さあ下半期も頑張ろう!