楢原城(前城)

楢原城
楢原城

御所(ごせ)の西にあるのが楢原城。駒形大重神社の裏手にある葛城山の支尾根中腹に築かれています。楢原城を造ったのは楢原氏で興福寺別当の大乗院方に属する国民でした。

駒形大重神社から山道を登ると楢原城(前城)に至り、郭が次々と重なる大きな城になっています。駒形大重神社には滋野貞主が祀られていて、楢原氏は滋野(しげの)氏の後裔とされています。駒形大重神社は駒形神社と大重神社が一緒になったもので、大重神社は式内社の葛城大重神社に当たり、地元では「しげのさん」と呼ばれていました。

■楢原氏は真田と同じ滋野氏
そう真田丸でも取り上げられていた真田信繁などと同じ滋野氏です。滋野貞主の曽祖父が楢原造東人(滋野東人)で天平17年(745)、平城京の大安殿で聖武天皇から従五位下を授けられています。奈良の大仏を鋳造している頃で、金を献上した功績でした。住んでいた地域を名字とし楢原造と言っておりました。

ファイティング・コンサルタンツの忘年会

寿恵廣
寿恵廣

中小企業診断士で構成しているファイティング・コンサルタンツという研究会があるのですが、今や研究や事業の話はどっかへいってしまい、飲み会に明け暮れております。

毎年、この時期になると黒門市場にある寿恵廣で恒例の忘年会。今年は都落ちした一人が大阪へ戻ってきたこともあり7名でワイワイ、やっておりました。恒例のブリシャブやお寿司などを堪能。

黒門市場はインバウンドであいかわらず賑わっており、伝統的なお寿司屋さんである寿恵廣へも波が押し寄せています。1階はカウンターのみで2階は座敷&テーブル席が4つあり座敷2つはファイティング・コンサルタンツが占領しているため、テーブル席に次々にインバウンドのお客さんが入って注文しています。店もいろいろ考えているようで入口には寿司の写真などがデカデカと張り出されていました。

年末の黒門市場というと、お節の食材を求める人でごった返すのですが、これだけインバウンドが多いと、どうなるのかなあ。

戦場のメリークリスマス 家原城

家原城
家原城

堺にある家原大池公園のすぐ横に家原城という碑が建っていますが、城の遺構は残っていません。

家原城を築いたのが松永久秀です。松永久秀は三好長慶をよく補佐していましたが長慶が亡くなった後、三好家では跡目争いが起きます。三好義継を擁する三好三人衆と対立ていた松永久秀は家原城に泉州衆をいれていました。泉州衆は家原城を出て、堺を出撃した畠山高政と合流し、上芝(今の上野芝)で三好義継の軍勢1万3千と戦いますが、敗れて岸和田城に逃れます。

■戦場のメリークリスマス
双方が対峙をしていた時、クリスマス近くだったため、堺に滞在していたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスが、両軍のキリシタン武士に対し、ミサをを呼び掛けました。両陣営のキリシタン武士たち約70名が堺に集まり、ミサを行い食事を共にしました。事実上のクリスマス休戦が行われることになります。

永禄11年(1568)織田信長が足利義昭を擁して上洛をはたし、畿内を平定した時、松永久秀は信長につくことになります。その前に三好義継は三好三人衆と対立し松永久秀側となっていました。家原城は三好義継の城となっていましたが京都を取り戻そうとした三好三人衆によって攻められ落城します。

大伴金村の金村神社があった

金村神社
金村神社

新庄の地図を見ていて気になったのが金村神社という文字。まさか大伴金村?

布施城に登った帰りに寄ると小さな社があり、祭っていたのは、まさに大伴金村!ピンポン!しかも式内社です!

でもなんで葛城氏の地に金村神社があるんですかねえ。大伴金村といえば武烈天皇が亡くなった時に応神天皇の玄孫(5世孫)を越前国から迎え、継体天皇とした人物です。なんせ5世孫が皇位を継いだので、この時に王朝が交代したという説もあります。

■任那4県割譲事件
大伴金村が有名なのが任那4県割譲事件。高句麗によって国土の北半分を奪われた百済からの任那4県割譲要請を受けて、大伴金村が割譲を承認します。バーター取引として五経博士を渡来させます。五経博士とは儒家の経典である五経(詩・書・礼・易・春秋)を教学する学者で、当時の最先端知識の導入です。今だと最新のAIや量子コンピュータの導入のようなものでしょう。

ところが、この頃から力をつけた蘇我氏に足元をすくわれます。物部尾輿などから任那4県割譲時に百済側から賄賂を受けとったと糾弾されて失脚してしまいます。本当に賄賂をもらったかどうかは分かりません。

でもなんで大伴金村を祀った神社がこんな所にあるんですかねえ。

大和布施城

大和布施城
大和布施城

山道を登っていくと、「布施城跡まで600m」という立札があり、少し進むと山道の横に尾根沿いに入れる道があり、ここが布施城の入口。ここから延々と600m以上にわたり郭がつながる巨大な山城になっています。途中には大堀切、櫓台があり、極めつけは畝上竪堀群です。最高所が布施城・本丸跡と書かれていますが、どうも櫓台のようで主郭はもう少し下の広い郭になっています。

■国民・布施氏
布施城を造ったのは布施氏で、興福寺一条院方の国民です。常時は山裾の屋敷山古墳にあった城を使っていたので、この布施城は有事の際の詰城でした。同じ一乗院方である筒井氏と行動をともにすることが多く、松永久秀が大和に攻め入ってきた時、筒井順慶は敗走を重ね、多くの国人が筒井氏を見限るなかで、布施氏は筒井氏に協力していました。

■籠城戦を耐え抜いた布施城
永禄八年(1565)、布施行国が敗走していた筒井順慶を布施城に迎えます。永禄十一年(1568)、織田信長より大和一国を与えられた松永久秀は、翌年に織田勢と共に布施城を攻めたが落とせず兵糧攻めを行っています。結局、布施城は元亀二年(1571)まで籠城戦に耐え抜きます。

天正八年(1580)、松永久秀が大和信貴山城で滅ぶと、信長の命により大和の諸城は郡山城を除いて全て廃城となり、布施城もこの時に廃城となりました。布施氏は、筒井定次の伊賀移封に従い布施の地を離れます。ところが筒井氏の改易で浪人となります。布施に蟄居した布施春行は、大坂の陣で大坂城に籠城し、布施氏は没落していきました。

大和新庄城

大和新庄城
大和新庄城

■古墳に造られたお城
葛城山の麓にある新庄に屋敷山古墳という名前の前方後円墳があり、古代豪族である葛城氏の王の墓と言われています。戦国時代は布施氏が城に改造して居館を構え、江戸時代には陣屋がおかれたことから屋敷山という古墳名になります。高屋城など城に改造した古墳はたくさんあります。今は屋敷山公園となり古墳の他に中央公民館、市民体育館、運動場などがあります。

■大和新庄藩
関ケ原の戦いが終わり桑山一晴が和歌山から当地に移封して布施藩を立藩します。布施氏の居城を陣屋に作り替え、城下町を整備して新城村としたため、藩名は大和新庄藩となります。桑山氏は4代続きましたが4代目桑山一尹の時、徳川家綱(4代将軍)の法会時、院使饗応役を命ぜられていたが、勅使に対して不敬があったとして改易となります。

■忠臣蔵?
話は変わって丹後宮津藩主だった永井尚長は、増上寺での将軍家綱の法要で、共に警備担当を命じられながら以前から不仲だった志摩鳥羽藩主・内藤忠勝に突如斬りつけられ絶命。内藤家は御家断絶で、斬られた永井家も士道不覚悟ということで改易されます。喧嘩両成敗でした。忠臣蔵では、これが片手落ちとなり討ち入りとなりました。ただし永井家は情状酌量され、弟の永井直圓に大和新庄1万石として存続が許されます。まだまだ戦国の気風が残っている時代でもありました。

永井尚長に斬りつけた内藤忠勝は、忠臣蔵で知られる浅野内匠頭の伯父にあたります。

大津皇子の本当のお墓? 鳥谷口古墳

鳥谷口古墳
鳥谷口古墳

「うつそみの人にある我れや 明日よりは二上山を弟背と我が見む」(大伯皇女)

鵜野讃良皇后(後の持統天皇)は草壁皇子の即位を考えおり、邪魔となった大津皇子に謀反の疑いをかけて24歳で自害させたというのが通説ですが、よく分かっておりません。二上山の雄岳頂上付近に大津皇子二上山墓がありますが、謀反人の墓を都からよく見える山の頂上に造るのはどう考えてもおかしく、麓にある鳥谷口古墳が実際のお墓ではと言われています。

発掘調査の結果、墳丘規模が当時の墓制では最低レベルで、しかも急ごしらえな古墳だということが分かっています。古墳は高台にあり大和平野を見ることができます。

創業計画策定セミナー

創業セミナー
創業セミナー

日本政策金融公庫が全国で創業セミナーを開催しており、12/6(金)夜はマイドーム大阪を会場に開催されました。女性×若者向け創業相談ウィークの一環です。

大阪府よろず支援拠点との共催で創業計画策定セミナーというタイトルでセミナーと個別相談を行いました。既に起業している方もいましたが、ほとんどはこれから創業という方でした。2人1組で事業をする方も2組おりました。

足のトラブルに立体インソール「らくじき」

らくじき
らくじき

三重県よろず支援拠点の支援先の一つが有限会社福和。津新町駅商店街にあります。

もともと商店街で靴小売店をしていましたが、商店街の衰退とともに客足が減っていきます。すごいのがセミナーでオリジナル商品の大切さを知って、実際に開発したこと。これが「らくじき」で足のアーチを保持する世界初の立体インソール(中敷き)です。人の足は右と左で大きさが違っていて、自分に本当にあった靴は寸法を測って作るしかありません。市販の靴は靴に足をあわせている状況で、これが足の病気につながります。

そこでインソール(中敷き)で補正するんですが、普通の平らなインソールではなく立体になっているため足のアーチを保持できます。この「らくじき」が開発できたので、ある日、お店に行くと靴の在庫一掃セールを行っていました。今は、この「らくじき」専門店になっています。

「らくじき」は東急ハンズでも扱っており、店主がいろいろなお店へ出張販売にも行っています。 → らくじき

ものぐさな家庭菜園にピッタリのハラポット

種から芽が出てきたところ
種から芽が出てきたところ

大阪府よろず支援拠点の支援先の一つが原スイコー社。もともとは大阪府農林技術センターで花卉研究室長されていたご主人が開発された溶液栽培キットで、亡くられた後に奥さんが引き継いでおられます。

バジルなどをセットして後はタンクの水が無くならないように注意すればよいだけ。3日ほどの出張であれば大丈夫です。プランターで家庭菜園しようと思っても水のやりすぎなどで、すぐにダメにしてしまいますが、ハラポットはタンクから水が勝手に流れるので、ほったらかしですみます。現在はトンガラシを植えていて、採れるといっても1、2本だけですが、自分で収穫すると、やはりおいしく感じます。

水を切らさなければ、こんな状態に
水を切らさなければ、こんな状態に

家庭菜園したいけど、水やりなんか、よく分からない男性向け商品です。もちろん花も育てられます。 → ハラポット