望月支城

望月城を降りて次は望月支城を目指します。支城となっていますが、同じ望月氏の独立した城で、何かあった時は望月城と連携していたのでしょう。望月支城へは谷を越えて高台に登っていきます。

望月支城・入口
望月支城・入口

事前にネットで調べると土塁を直登したなどの記載があり、こりゃ城までの道はないなと覚悟しましたが、道路から藪に入ると土塁の外側にスロープ上の道がありラッキー。なんなく城に入れました。望月支城は虎口が一つの典型的な方形プランです。織田信長が足利義昭を奉じて上洛した時に敗れた六角氏は甲賀に逃げましたが、六角氏は望月氏と連絡をとっていたため、一時期、望月城か望月支城に留まっていたようです。

望月城

甲賀の杉谷にある望月城へ

望月城
望月城

新宮城、寺前城,村雨城などは甲賀郡中惣遺跡群として国指定史跡となっているため看板が設置され分かりやすいのですが、望月城はふつうの山城と同じで何の目印もありません。大体、城があるあたりにあたりをつけ、集落を抜けると細い山道がありました。この山道を登ると神社の祠があり、山道は神社への道でした。この神社がちょうど郭の一つになります。

さらに奥に向かうと土橋があり、虎口を入って望月城の主郭にはいれます。甲賀の典型的な方形の郭で、ぐるりと土塁が巡っています。高さは7mぐらいですね。北東隅の土塁は少し広いので櫓台があったようです。

正倉院展へ

正倉院展へ

奈良国立博物館
奈良国立博物館

コロナ禍で予約購買制になり、面倒だと足が遠のいていましたが、久しぶりにチケットを買って行ってきました。以前は閉館90分前から入れるオータムレイトチケットがありましたが、平日の最終は16:00入場になっています。これをポチッと押して購入。夕方に奈良へ出かけオータムレイトチケットと同じ16:30頃に奈良国立博物館に到着。平日は18時まで開館で入場締切は17時になっています。

16:30に行くと入口には誰も並んでいません。16時から入場できるチケットなので皆さん16時に入場した模様です。ということで混雑なしにゆっくり見てきました。毎回、楽しみにしていた写経生の欠勤願いなんかはなく、その代わり予算書などがありました。興味深かったのが天蓋の残決です。飛鳥時代の布を流用したようで、編み方が全然違う構成になっていました。

寺前城

大谷池
大谷池

村雨城から谷に降りて進み、土塁を登ると寺前城があります。村雨城と寺前城は2つの城が連結したタイプで新宮城・新宮支城と同じです。別の説では一つの城で村雨城が主、寺前城が従で運用していたのではないかとも言われています。

寺前城の前面には大谷池が拡がっていますが、近世に用水池として整備されたもので城が造られた頃は谷だったのでしょう。大谷池側の方は遺構が改変されているので、よく分かりませんが反対側などは虎口に行くまでに喰い違いになっていたり、かなり複雑で技巧的で、楽しめます。

村雨城

村雨城
村雨城

国の史跡になっている甲賀郡中惣遺跡群の村雨城です。丘陵の北端に築かれ、城の入口には忍者がひっついた大きな看板もあり、中も整備されています。ただ文献等には登場せず、城主や歴史など不明です。5つほどの郭で構成され大きな郭が2つあり、主郭のまわりは土塁で囲まれていました。土塁に登ると深い堀切を見ることもできます。虎口は平虎口になっています。織田信長の上洛時に敗れた六角氏が甲賀杉谷へ逃げましたので、その時にも改修されたのでしょう。

昔のファミコンゲームに「謎の村雨城」があり、ゲームは村雨城を乗っ取った敵を倒すため、幕府が送り込んだ青年剣士を操作するゲームでした。一部マニアには、ここが舞台ではないかと言われています(笑)。知らんけど。

新宮支城

新宮支城
新宮支城

新宮城のすぐ隣にあるのが新宮支城。間に谷があるため直接はいけないので新宮城から降りて、もう一回丘を登らないとたどりつけません。新宮支城は単郭ですが高さ10mほどの土塁に囲まれています。虎口は小さく、大手道から一回曲がらせて虎口に入るようになっていました。虎口の近くには堀切もあり、また大手道に沿って別の土塁が続いています。

高さ10mほどある土塁が圧巻です。ただ郭の構造が単純なので新宮城と同時に造られた後に、特に改修は行われなかったようです。新宮城と同様に甲賀郡中惣遺跡群のひとつとして国の史跡になっています。こちらも、新宮城と同様に、よく整備されていました。

新宮城

甲賀にある新宮城です。新宮城は、きちんと整備されていて山城には珍しく看板まであります。6つの郭から構成されていて、郭の途中に枡形虎口になっている入口があり、かなり技巧的です。たぶん最初は主郭しかなかったのが、必要にせまられて副郭を連ねていったのでしょう。主郭の裏側には堀と土橋がありました。

新宮城
新宮城

甲賀は伊賀と同様に中心になるような領主はおらず、一族が同名中惣を構成して、それぞれ城をもっていました。ポリスの連合国家のようなものですね。近江守護であった六角氏が足利将軍から攻められた時に甲賀は六角氏につき、織田信長の上洛時も六角氏に味方しましたので軍事的緊張が高まり、新宮城を改修していったのでしょう。

甲賀忍者

近江といえば飛び出し人形「とび太くん」が有名ですが、同じ近江でも甲賀となると忍者になります。

とび太くん
とび太くん

甲賀と伊賀は山を隔てた近接地ですが知名度からいくと伊賀ですね。赤影は伊賀忍者だし、忍者ハットリくんも伊賀です。ただライバルであるケムマキは甲賀です。甲賀もまけてなく真田十勇士に登場する猿飛佐助は甲賀です。とはいっても、忍者と聞くと伊賀のイメージが強いですね。

同じ忍者の里ですが甲賀と伊賀には因縁があり、甲賀は六角氏とともに信長と戦っていましたが六角氏が没落すると信長の支配下になります。信長が伊賀をせん滅するために起こした天正伊賀の乱では、織田信長軍の進軍道の一つが甲賀になってしまいました。相争っていた時期もありました。