吉田城

岡村本家

目加田城の近くにあるのが吉田城。豊郷町マップに掲載されていたので、ついでに寄ってきました。吉田城の遺構はなく碑しか残っていませんでしたが、岩倉川と子増川を外堀としていたようです。吉田城跡は岡村本家という酒造メーカーになっています。

鎌倉時代、佐々木秀義の子である厳秀を祖とする吉田氏の居城です。室町時代、将軍・足利義尚が近江国守護・佐々木六角氏と戦ったとき、吉田城主が将軍側についた記録が残っています。鈎の陣で甲賀忍者が活躍した戦いですねえ。時代がすすんで1571年(元亀2年)比叡山焼討の年に織田信長が吉田城を攻撃し、落城するとそのまま廃城になったようです。吉田氏は浅井方だったんですかねえ。

吉田氏の子孫が京都へ移住し、高瀬川などを開いた角倉了以が子孫にあたるそうです。角倉家の本姓は吉田氏で佐々木氏の子孫を名乗っていました。江戸時代、吉田は井伊家の所領となり、安政元年(1854年)彦根藩主・井伊直弼に命じられて酒造りをはじめ岡村本家がスタート。金亀というお酒を造っています。

結婚記念日

結婚記念日

SNSで時たま流れてくるのが結婚記念日の報告。世の男性はしっかり覚えているんですねえ。

5月か6月ぐらいに結婚式をあげた記憶があるんですが、奥さんに聞くと「結婚記念日も覚えてないの!」と言われそうで自力で解決するしかありません。確認する方法は一つあり、結婚指輪の裏側に日付が彫られているんですが、問題は、これが指から抜けない!

昔、知り合いの花屋に2週間前にリマインダー・メールしてもらったら花買うでと言ったのに、面倒だからやだーと断られてしまいました。ということで思い出すことを諦めていたんですがあ、そういやこの間、戸籍謄本をとったなと見てみると5/28が結婚記念日ということが判明。おお!1日遅れですが、素知らぬ顔でケーキを買って帰りました。奥さんは「フーン」という顔をしておりました。

皆さん、来年になったら絶対に忘れていますのでゴールディンウィークが終わったら、ぜひリマインダーをよろしくお願いします。

目加田城

目加田城

JR河瀬駅から90分ほど歩くと目加田城にたどりつきます。住宅街の中に高さ3mの土塁などが残っており、現在は公園として整備されています。堀跡などもあり、よく住宅地の中に残りましたね。

目加田氏は愛知郡八木庄、蒲生郡豊浦庄など藤原氏の荘園を管理する荘官からスタートし、鎌倉時代は佐々木六角氏に仕えていました。織田信長が近江に侵攻して、上洛すると信長に降伏して従うようになります。目加田氏は観音寺城の支尾根の一つに目加田城を築いていましたが、この場所が目加田山(今の安土山)でした。信長が安土城を築くにあたり場所を譲って本貫の地に戻ります。これが現在の目加田城です。

本能寺の変で目賀田氏は明智光秀方についたため、羽柴方に捕らえられ切腹は免れるものの浪人となり目加田城は廃城となりました。城の近くにはメカタ姓発祥の地という看板があり、目方、目堅などのメカタ姓は目加田が本貫になります。

那須城(豊郷町)

那須与一

那須与一と言っても知らない人が多いでしょう。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」では屋島の戦いはナレーションで終了、いきなり壇ノ浦の戦いになってしまいました。ネットでは「ナレ屋島で香川県民、涙目」などの声があふれました。屋島の戦いとは屋島に集結した平家を義経が破った戦いで、逃げる平家の船から扇が出され、それを見事に矢で射抜いたのが那須与一です。源氏方、平家方のどちらからも賞賛をあびます。

■那須城
那須与一の次男である那須(石畑)宗信が佐々木氏の旗頭として石畑と木部(野洲郡)の領地をおさめ、豊郷町小学校のすぐ近くに那須城を築きました。城跡は現在は八幡神社になっています。

■江州音頭
盆踊りで有名な江州音頭の発祥地の一つが豊郷町です。本屋大賞をとった「成瀬は天下を取りにいく」では最終章が「ときめき江州音頭」になっています。

アニメ「ケイオン」豊郷町

アニメ「ケイオン」豊郷町

山城登りがシーズンオフになり、最近は平城巡りをしております。今回は豊郷町周辺の平城を狙います。以前、JR河瀬駅でレンターサイクルを借りて山崎山城や荒神山城を巡ったので再度、レンターサイクルを借りようと行ってみたら3月末でがなくなっていました。ガビーン、それなら豊郷町により近い一つ手前の稲枝駅で降りたのに!

路線バスもないし、しょうがないので豊郷町を目指して歩きます。せっかく豊郷町に行ったついでに豊郷小学校旧校舎に寄ってきました。ここはアニメ『けいおん!』の聖地になっていて、アニメファンがそこかしこに。建築はヴォーリズで、オシャレですねえ。レトロな階段などがあり、手すりには「ウサギとカメ」の像があったりします。3階は軽音楽部・部室のモデルになった部屋があり、皆さん写真撮影をしておりました。

草津 追分

草津 追分

草津川跡地公園のすぐ近くにあるのが追分の道標。ここで東海道と中山道に分岐し、東海道は江戸の日本橋と京都の三条大橋を結ぶ53次でした。のちに大坂の高麗橋まで延びて57次になります。中山道も東海道と同じで日本橋と三条大橋を結びますが内陸を通り69次ありました。東海道は大井川の渡しなどが雨で通れなくなるので、道は険しいですが時間がよめる中山道がよく使われました。皇女和宮の江戸下向でも中山道が使われます。

■草津をおさえた信長
足利義昭を奉じて上洛した織田信長が副将軍なんかいらないと断り、代わりに堺、大津、草津を直轄地としてもらっています。武田信玄は鉄砲に着目しており、数を揃えていましたが問題だったのは弾薬。信長が堺を抑えてしまったので、火薬の原料となる硝石が手に入りません。海運拠点の大津、陸運拠点の草津を抑えてしまい琵琶湖を中心に東国への経済封鎖が行われました。

武田信玄が三方ヶ原の戦いで家康を破り、西に軍をすすめますが、信長の経済封鎖でこのままではジリ貧になると考えたという説もあります。

草津川

草津川

京都から草津へ向かうと草津駅の手前にトンネルがあります。トンネルの上を流れていたのが草津川で、いわゆる天井川です。

40年ほど前、まだ初々しい新人の頃、仕事で時たま草津へ出かけておりました。駅から歩いて草津川のトンネルを通って客先に向かいました。あの頃は若かったなあ。城跡へ行くために久しぶりに草津駅で降りると、この天井川がなくなっていて公園になっていました。幅が広く散歩するには最適な公園になっています。

「天井川はどこへいったんだあ」と思ったら2002年に草津川の付け替えが行われて、もっと大津よりを流れるようになったんですね。知らなかった!

第60回 BLAST研究会

第60回BLAST研究会

BLAST研究会、2002年度に中小企業診断士・実務実習を大阪地区で受講した仲間が中心となってスタート。日本経済を吹き抜ける「一吹きの風!(BLAST)」という気持ちで命名されましたが、なんやかかんやか20年以上も続き、60回目を無事に迎えました。実は裏の目標が世界征服になっています(笑)。

毎回、自己紹介タイムがあるのですが、しゃべりたがりが多いので1人1分ルールを守らない人間が続出し時間がおすことに。昨日は珍しく時間内におさまっていました。研究会の後は本町橋横のカーニバルに移動。店を借り切って交流会です。赤ワインがなかなかおいしかったですね。

ITの変遷と今後の世界

日本システム監査人協会近畿支部でセミナーをしてきました。ITに関わることなら何でもOKというリクエストで、年齢層を聞いたら高めでしたので、「ITの変遷と今後の世界」というタイトルにしました。元ネタは「バグは本当に虫だった」(ペンコム社)です(笑)。パソコン通信世代も多いだろうと懐かしいモデムの音やWindow95発売時の秋葉原などを紹介。終わってから「TRONはどうなりました?」なんて質問もありました。

会場はドーンセンターで終わってからスタッフの方々と懇親会。天満橋駅近くにある朝2時までやっている海鮮屋台おくまん天満橋店というお店。21時過ぎでも来店するお客さんが多く、よく回転していました。店内はかなりうるさかったですね。現在は喫煙可のようですが、来年4月からあの広さなら禁煙にしないといけないので客の流れは少し変わるでしょう。

大阪中小企業診断士会・総会

昨日はシティプラザ大阪(マイドーム大阪の隣)で大阪中小企業診断士会の総会。大阪府中小企業診断協会とは別にプロコンで組織された会です。入会した頃は120~130名ぐらいでしたが今や350名ちかくに増加。別に三重県中小企業診断協会にも入っていますが、こっちなんて100名をきっていますから大阪は多いですね。大阪府中小企業診断協会は確か2000名を超えていたと思います。

総会では事業報告の議案や理事の改選などが行われ、次はお待ちかねの懇親会です。懇親会費を以前は会場で現金で集めていましたが今は事前振込に変わったしまいましたので不参加の場合は丸損になります。申しこんだからには万難を排して参加しなければなりません(笑)。なかなか料理はよかったですよ。最後は焼き飯と焼きそばの炭水化物締めでした。