水間観音

水間観音

興蔵寺城に登った帰りに水間観音にお参りに

聖武天皇の勅願で行基が開創したと伝わっています。戦国時代は秀吉と敵対する根来寺側についたため天正13年(1585年)に堀秀政に攻められて焼失します。江戸時代となり岸和田藩主である岡部氏が保護するようになり再建されます。

水間観音は「利生の銭」の逸話を井原西鶴が日本永代蔵に記載したことから全国的に有名になりました。一貫の銭を借りて帰った江戸の廻船問屋が、13年後に八千百九十二貫として返済奉納し廻船問屋はその功徳で末永く栄えたことから、仏から与えられた銭(利生)を翌年の初詣で倍額にして返し、商売繁盛などを祈る習わしとなります。

興蔵寺城

興蔵寺城

石仏城と同様に情報が少な貝塚にあるい興蔵寺城

麓にある興蔵寺の南にある池から山道を行くと興蔵寺城に登城できるという資料を見つけました。2つ目の池を進んでいくと山道が分岐していて左手の山に入っていけそうで、これが登城口だろうと分け入ります。資料にある通り、途中で山道がなくなり、あとは尾根を直登するだけです。笹藪だらけですので冬しか登れません。

興蔵寺城は一城別郭になっていて2つの尾根に郭が作られています。けっこう大きな山城で見ごたえはありますが、藪や倒木をかき分けるのが大変です。根来寺側の防衛ラインに位置する山城ですので、根来寺側として整備されたのでしょう。帰りに郭がある尾根の谷筋から下に降りられる道を見つけましたが、途中でなくなってしまい、結局は無理やり降りることに。一つ目の池の近くに出ましたが、こちらの道を探すのは難しいですね。

夢洲駅開業

夢洲

新石切駅へ行くと行先表示がコスモスクエアではなく夢洲(ゆめしま)になっていました。本日(1/19)夢洲駅が開業し、関西万博の会場となる夢洲へのアクセスとなります。路線図、アナウンスともに変わっていました。昨夜は入れ替え作業などで大変だったでしょう。

2009年に近鉄と阪神が相互運転を開始し、奈良駅で難波行ではなく三宮行という行先表示を見て驚きましたが、あれ以来ですね。

石仏城

石仏城

河内長野の先に南海電車・美加の台駅があり、この近くにあるのが石仏城です。事前に城への行き方を調べましたが情報が少なく、2つほどのピークを越えてたどりつけたという情報を見つけ正月明けにトライしました。

新池ちかくの細い道から山に入れる山道があるという情報でしたが発見できず、仕方ないのでピークに向けて直登です。なんとかピークにたどりついて今度は城の方向へ下っていくと途中で山道を発見。これをたどっていきましたが、保全用の路だったようで、結局は鉄塔が建っている山頂にたどりつき城跡を探しましたが、どこにもなし。1時間以上もさまよったのでこの日は断念して下山しました。後で調べると北にずれていました。

再度、調べなおすと新池からの細い道を通って、途中から城に登れる山道があるという情報を発見。新池の北東角から細い道に入って右手に棚田をみながら進んでいきます。だんだん登り道になり山に入るところで道が二手に分かれています。あれま!

とりあえず城にちかい左の道を選びましたが下り道になり、どうも違うようです。仕方ないので道が二手に分かれる付近に戻って尾根を直登することにします。冬なので藪も突破しやすく、ひたすら登りますと郭跡に出ました。藪が多いのが主郭や土塁などが確認できました。

石仏城は東高野街道沿いにあり紀伊との国境に最も近い山城で楠木正成が紀州からの来襲を防ぐ目的で築城したと言われています。戦国時代は畠山氏の合戦で使われたようです。

教場の風

教場の風

大阪よろず支援拠点に週2回ほど行っているのですが、場所が大阪産業創造館2Fで、よろず支援拠点以外にもいろいろな部署が入っています。私の席の後ろが安孫子さんでインターネット(事業引継ぎ支援)プロジェクトを担当しています。この安孫子さんの旦那さんが上梓した本が「教場の風」(安孫子正浩 徳間書店)。別所書店 津駅前店の新刊コーナーにありましたので、買ってきました。

内容は中学受験を目指す大手塾で生徒指導を行う新人講師の物語です。親との対応などなかなか大変なんですが、各スクールを教場といってトップを教場長というなど塾のいろいろな実態が分かります。独立する前、専門学校の教員を10年ほどやっていたのを思い出しました。

    大阪中小企業診断協会・新年互例会2025

    梅田にあるヒルトン大阪35階にスカイバンケット「ウィンドーズ」という場所があり、昨日、行われたのが大阪中小企業診断協会の新年互例会。35階なので眺めがよく生駒から六甲まで三重、梅田の各ビル屋上にあるヘリポートが下に見えます。なかなかオシャレな会場で、参加していたのは120名ほどですかねえ。

    新年互例会、いろいろとイベントがあるのですが、いつものように話に夢中で誰も聞いていない(笑)。座席は入口のクジで決まるのですがステージ前のいわゆる重鎮席を引きあててしまいましたので、おとなしく話を聞いておりました。

    All About新年会2025

    うおまん

    最近、とんとAll Aboutの原稿を書いていないのですが、そんなのに関係なく関西のガイドが集まって新年会です。場所はリンクスウメダ8階にある酒房うおまん。少し早い目に行ってヨドバシカメラを覗きながら行こうとエスカレータを上がっていくと、変なところへ出て迷っていました。そういえば去年も迷っていて学習してませんね。

    All Aboutはサービスが始まって1年後の2002年3月にガイドデビューしたので、もう20年以上になります。昨夜の参加者は「日本の祭り」ガイドの山本さん、「仕事・給与」、「結婚のお金」ガイドの福一さん、「子育て」ガイドの田宮さん、「住みやすい街選び(関西)」ガイドの田中さん、「ドラマガイド」の黒田さん、「介護」、「販促プロモーション」ガイドの横井さん、そして私の7名でした。

    額田戎2025

    額田戎

    ♪商売繁盛で笹もってこい!

    ということで近くにある額田戎神社へ。えべっさんは耳が遠いとキャラ付けされていますので、社殿の裏側にまわり、たたいて「あんじょう、頼んまっせえ!」と念押しをします。

    よく考えたら今年は前期高齢者になり、会社員でいえば定年になる歳です。こりゃ一生懸命働いている場合じゃないので、「ちょびっとの商売繁盛でええんで、よろしゅう頼みまっせえ!」と願い事を変え、縁起物を買ってきました。

    電車トラブル

    津から大阪へ戻ろうと津駅に向かうと近鉄・名古屋線が止まっていました。白塚~白子間で車が侵入したと出ていましたが、今朝の記事を見ると「磯山駅と鼓ヶ浦駅間の線路脇にある駐車場で車が衝突し、1台が線路側にはみ出した」そうです。

    おかげで乗ろうと思っていた特急には乗れず、なんとか伊勢中川駅まで出て伊勢から大阪へ向かう特急に乗れました。おかげで帰り着くのに4時間ほどかかりました。

    今朝は地下鉄中央線で「先行列車で急病人が出ました」ということで遅延。こちらは10分程度ですみましたが2日続けてはやめてほしいなあ。

    大河原城

    2025年初山城は大河原城へ

    大和街道(関宿から伊賀上野を経由して奈良へ至る道)沿いにある山城で、木津川の支流である渋久川がすぐそばを流れています。貞観元年(896)年の記録に出ている古社・国津神社の東側に春光寺があります。寺の前の道を東に進むとグランドの北側に公園があり、この公園を横切ると山裾にお墓があります。このあたりから堀切になっているようで登っていくと土橋らしきものに出て、ここから尾根まで斜めに登れる道があり郭に入れます。

    三日月状の郭になっていて、郭がいくつも連なっています。周りを土塁に囲まれた大きな郭があり、ここが主郭だったようです。南西方向に350mにも延びる連郭式と言われる大きな城で、JR関西線や大和街道などによって城域が途切れています。