天理ラーメン

天理ラーメン

せっかく天理まで行ったのでお昼は天理ラーメンへ。天理のご当地ラーメンです。

天理駅から天理教協会本部まで続く商店街の途中に天理スタミナラーメンのお店があります。天理ラーメンには天スタと彩華があり、どちらも屋台が発祥です。奈良県民は彩華派と天スタ派で好みが分かれます。天スタは関西一円に店がありますが、圧倒的に奈良県が多く、大阪、兵庫、滋賀は1軒だけ、なぜか三重には4軒あります。

彩華ラーメンも同じで奈良県に集中しています。天理ラーメンは白菜を主体とした野菜の具が特徴のラーメンですが、チャーシュー麵を頼むと野菜は見えませんね。

天理参考館

天理参考館

せっかく天理へ行ったので天理参考館に寄ってきました。正式名称は天理大学・附属天理参考館で、建物は天理教の独特のデザインになっています。入館料500円で誰でも入れます。

エントランスにはでっかいオルメカ石頭像があり、1階・2階が世界各国から集められた民俗・生活資料が展示されています。国立民族学博物館よりもちょっと小ぶりな感じです。

目的は3階で考古学フロアになっています。天理にある日本最大の前方後方墳である西山古墳や布留遺跡の展示が充実しています。一角に中国の古代のでっかい石碑などが並んだところがあり圧巻です。

豊田城

豊田城

天理から飛鳥まで運河が作られました。作ったのは斉明天皇が狂心渠(たぶれごころのみぞ)と酷評されました。天理にある豊田山から石を船で飛鳥まで運んだことが分かっています。

中世になり、この豊田山に造られたのが豊田城です。城主は興福寺衆徒の豊田氏です。筒井氏に属していた永禄11年(1568年)に松永久秀の攻められて豊田城は落城し、その後は松永氏の城となりました。大河ドラマ「麒麟がくる」でも筒井順慶と松永久秀が大和の覇権をめぐってバチバチやってましたね。

石上神宮から奈良方面に山辺の道を歩いていくと途中で豊田城へ行く道標があります。ここから山道に入っていきますが、そんな酔狂なハイキング客は誰もいません。また豊田城は藪が多いので夏はおすすめできません。城に入ると7つほどの郭と土塁、空堀が残っていますが、この空堀が二重になっていて規模も大きく見事です。縄張り図を見ると城から少し離れたところに長大な空堀が2つあるようですが、藪が多く断念しました。

朝から雨

雨

大阪は朝から雨。

ゴールデンウイーク最終日、観光地はどこも混んでいますが、山城なんか酔狂な人間しか行きません。出かけたいのですが天気には勝てません。雨がやんでも土塁や堀切などは泥状になるので少し晴天が続いて乾かないといけない、なかなか微妙なところがあります。

仕方ないので、次にどこへ行くか計画中。あと地球温暖化の影響でシーズンがいつまで続くかですね。

政ケ谷城

政ヶ谷城跡

祝園(ほうその)駅から西に行った山にあるのが政ヶ谷城跡です。有名な山城国一揆に関係する城郭です。

■山城国一揆とは
応仁の乱が終結した後、山城(京都府南部)では畠山義就と畠山政長の跡目争いによる戦が続いていました。頭にきた国人衆や農民らが宇治・平等院に集まり評定を行い、両畠山氏の影響を排除し、南山城の自治を行うことに決め惣国(共和国みたいなもの)となります。これが山城国一揆です。幕府内の内紛やいろいろなことに巻き込まれて、最終的に一揆はつぶされます。

■政ヶ谷城跡
切岸を尾根筋まで登りましたが、帰りにもう少し楽に登れる大手道を見つけました。こんなん気がつきませんでえ。主郭から各尾根沿いに郭がつながり、端に開けたところがあり櫓台跡のようです。土塁や堀切も随所にあり、思っていたよりも大きな山城でした。

山住神社(岩倉の語源?)

山住神社

叡電・岩倉駅近くにあったのが山住神社。拝殿はありますが本殿はなく磐座を拝む形になっています。磐座を拝む神社は日本各地にあり、有名なのが日本最古の神社と呼ばれる熊野の花の窟神社。新宮には火祭りで有名な神倉神社があります。奈良の大神神社も三輪山にある磐座がご神体です。

なんでも桓武天皇が平安遷都のとき京都の東西南北にある4つの岩倉に一切経を埋めて、結界をはったという説があるそうです。その一つが山住神社でなんだそうで。石蔵に経典をおさめたとあるので、これが岩倉の語源になったのかなあ。岩倉上蔵城跡にも蔵の字がはいっていて、上蔵という名前が気になりますね。

超国宝

超国宝

    連休合間の平日ならすいているだろうと夕方、奈良国立博物館へチケット売場もガラガラで正倉院展のオータムレイトよりも、すいていました。入口すぐに法隆寺の百済観音があって360度、眺められるようになっていました。

    この入口近くにあった小さな仏像ですごくって、光背の文字が読めるようになっていて止利仏師が物部大臣(蘇我馬子のこと)に送ったと記載されています。他にも求道僧円珍が持ち帰った物の一覧表もありました。七支刀が目的でしたが思ったよりも小さかったですね。

    岩倉上蔵城

    岩倉上蔵城

    岩倉上蔵城へ。岩倉具視幽棲旧宅と岩倉実相院はついでで目的は山城です。

    岩倉上蔵城は実相院の裏側にある山の頂上にあります。岩倉は近江・佐々木氏の被官だった山本氏の所領でしたので、岩倉上蔵城は山本氏の城だったようです。北山病院の奥から山道があって川沿いに登っていきます。ずっと上にあがっていくと川が細くなって渡れるところがあるので、ここから切岸にとりつきます。一般的には崖と呼びます。この切岸をひたすら登ると主郭に出ることができました。

    郭には土塁などが残っていますが、あまり技巧的な造りではありませんでした。尾根沿いに堀切でもあるのかなと探しましたが見つけられませんでした。主郭から下る道があったので下っていくと、いくつもの郭が階段状に連なっています。ずっと下まで降りると北山病院の裏側に出ます。崖を登らなくても城まで行けますが、この道はなかなか分かりにくいですね。

    メーデー

    メーデー

    今日はメーデーじゃないですかあ!

    京都の専門学校で教員をしていた頃、メーデーといえば二条城に集合でした。京都の学校は昔から革新系が強く、勤めていた関西文理学園も組合が強かったですね。二条城に集合し演説などの後に河原町通りまでデモ行進していました。その後は散開し、打ち上げと称して昼から皆で宴会していました。

    いまやメーデーなんか、すっかり忘れて仕事してます。