隠岐の島(4) フェリー事情

別府港

島後の西郷港と島前の3島はフェリーで結ばれています。島前では中ノ島の菱浦港、西ノ島の別府港、知夫里島の寄居港を巡ります。このフェリーですが6月17日から繁忙期を除いて1日3便から2便になりました。運行している隠岐汽船によると船員不足が減便の理由のようです。

島後は空港がありますが島前はないのでフェリーで本土にでるか島後に行くしかありません。時刻表をみると本土へ渡ると、帰れるのは翌日になってしまうんですね。問題は食料品で、本土(七類港)を9時半に出て別府港に12時に着くフェリーがなくなってしまい、本土(境港)を14時に出て別府港に17時に着くフェリーに食料品を積み込みことになります。この時間になると夕方の買い物時間に間に合わなくなります。

万博

ネパール館

万博に行く予定はなかったのですが、諸事情から行くことに

台風通過でキャンセルが多く、すいているのではないかというのは甘い期待で、昼から行ったら東口は長蛇の列でした。9月になったことで駆け込みが多いですね。

最後まで開館が遅れていたネパールパビリオンにも入ってきましたがクーラーがよく効いていました(笑)。面白かったのはコモンズ館Aの誘導で、UAE(アラブ首長国連邦)と同じでフリーパスで行列をどんどん入れて出しています。ちょうど雨あがりで虹が出ていて、「どんどん進んでください。虹の写真なんか撮ってないで、とにかく前へ進んで」とか「間隔をあけていると割り込みする悪い人が出てきますよ、さあ間隔をつめて進んで、進んで」とアナウンスしてました。

隠岐の島(3)スーパーマーケット事情

スーパーマーケットひまり

隠岐のスーパーマーケット事情

■島前と島後
隠岐諸島は島後(どうご)と島前(どうぜん)から成り立っています。都にちかいほうが島前になりますが、越前、越後と同じです。昔は道後、道前だったんですが江戸時代の役人が「島」と書き間違えて以来、島後になったとか、隠岐の人に聞きましたが、ほんまかいな。でも島と書いて確かに「どう」とは読みませんなあ。

■スーパーマーケット
道後は平野が少なく空港やフェリー乗場などがある西郷湾のあたりが中心地になります。道後にあるスーパーマーケットは2軒だけですが、この平野にあります。現在、ショッピングセンターひまり(Himari)が改装中で、なんでも平の前ショッピングモールができるそうです。もう一軒のスーパーマーケット「ショッピングプラザ サンテラス」が車で5分ぐらいのところにあり、人口減のところ、なかなか熾烈な戦いですね。

紀田順一郎さん  亡くなる

MACの達人―紀田&松田のFAX交遊録

あれまあ、紀田順一郎さんが亡くなったんですね。

ワープロの時代からデジタル化をすすめていた御仁です。MacSEを使っていた頃、「MACの達人―紀田&松田のFAX交遊録」という松田純一氏とFAXを使った対談集を出しており、面白かったですね。Apple2のヘビーユーザでもある両氏が1985年~1987年にやりとりしたFaxをまとめたもので、ちょうどMac Plusが出た頃でした。本には漢字Talkは期待はずれだが一太郎はいいと言った話題がでてきます。演算星組の書道シュミレータやHyperCardなど懐かしいなあ。

また神保町など古書の造詣も深く、「古本屋探偵の事件簿」などは古い本なんですが新刊にリメイクされて出ています。本屋で見かけカバーから帯から全部変わっているので思わず買いそうになりました、危なかった
(笑)。本には稀覯本(きこうぼん)を巡る騒動「殺意の収集」などが収録されています。この分野は「ビブリア古書堂の事件手帖」に引き継がれています。

隠岐騒動

隠岐騒動

幕末の動乱期、天誅組など各地で小競り合いが起きましたが、隠岐でもあったんですね。隠岐は天領でしたが、松江藩が実効支配をしていました。隠岐にも外国船があらわれ上陸するようなことが発生します。ロシア軍艦のよる対馬占領事件も起きる時代だったので騒然としていたのでしょう。

慶応4年(1868年)に隠岐島民が隠岐島民が松江藩の郡代を追放し、80日間にわたる自治を行ったのが隠岐騒動です。騒動を起こしたのが私塾・膺懲館で学んでいた若者です。隠岐出身で中沼了三という人物がいて、この中沼了三が京都で作った塾で学んだ若者が隠岐に戻って作った塾でした。騒動は鎮圧されましたが明治新政府になったことから島民、松江藩ともども処分を受けました。

津では藤堂監物による監物騒動もあり、各地でこんな騒ぎが起きていたのですね。

隠岐の島(1)

隠岐

奥さんと隠岐の島へ 

なんでも離島巡りにはまっていて、旦那をおいて、いろいろな離島へ行っています。「隠岐の島なら行く」ということで隠岐へ。

■隠岐の島ウルトラマラソン
大阪府中小企業診断協会に「走る診断士」という青いTシャツを着た謎の集団があります。「走るためなら死んでもいい」というストイックな団体で、この団体が押し寄せる大会の一つが隠岐の島ウルトラマラソンです。なんで参加費まで払って100kmも走らないといけないのか、よう分かりませんが、まあ人にはいろいろな趣味がありますので強いことは言えません。

前泊、後泊しないといけないし終わった後に宴会をしますので隠岐の島の経済効果には大いに貢献しています。

隠岐の島との空の定期便は伊丹空港と出雲空港の2路線だけですが秋などはチャータ便が各地から出るようです。船はジェット船で1時間半ほどで本土と結んでいます。