相撲桟敷

相撲桟敷

竹田城から登山口を降りていくと表米(ひょうまい)神社に着きます。ここには相撲桟敷という珍しいものがあります。

半円形に六段の石積段型桟敷になっていて野外観覧席ですね。奥には舞台もあって能や歌舞伎が上演されていたようです。山口の赤崎神社に同様のものがあるそうです。神社に土俵があるところは多く、特に隠岐は隠岐古典相撲があり、あちこちの神社で土俵を見かけました。山の辺の道沿いに相撲神社があり、ここは野見宿禰と当麻蹴速が戦った相撲発祥の地です。

表米神社は表米宿禰命(ひょうまいすくねのみこと)という飛鳥時代の武人を祀っています。645年(大化元年)に表米宿禰命は但馬国に攻めてきた新羅の軍船を丹後の白糸浜で打ち破りました。ただ神社での伝承で、よく分かっていません。伽耶、百済、新羅、高句麗との動乱の時代で、白村江の戦いで日本が負けた時、唐から郭務悰が2000人の兵を連れて筑紫に上陸してプレッシャーを与えるなど外交が緊張していたので、いろいろとあったんでしょうね。

赤松広秀居館跡

赤松広秀居館跡

竹田城へ登る駅裏登山道近くに法樹寺があり、寺の奥に段丘状の削平地があります。こんなところはGoogleマップでも出てこないし、観光客は誰もいません(笑)。

発掘調査で石垣や石列が確認され、竹田城の一部として史跡に追加指定されています。赤松広秀の居館跡とみられています。赤松広秀は最後の竹田城城主で、もともとは龍野城城主でした。秀吉の中国攻めに従いましたが、龍野城を取り上げられていました。備中高松城の水攻めにも参加しています。小牧・長久手の戦いの後、竹田城へ移されます。

竹田では漆器作りや養蚕業を奨励していました。関ヶ原の戦いでは西軍に味方し細川幽斎の田辺城(舞鶴)攻めに参加しましたが、西軍が敗れたため帰還。説得され東軍となり西軍側の鳥取城を攻めましたが城下を焼き討ちしたことを咎められ、家康から切腹を命じられ、竹田城は廃城となりました。

2026年 正月

猫

2026年、明けましておめでとうございます。

コンピュータが誤動作を起こすと世界中で身構えた2000年から四半世紀が経過してしまいました。月日がたつのは早いですねえ。大学生は2007年生まれが入学していますので、いよいよスマホネィティブ時代も到来しています。(iPhone、アンドロイドの登場が2007年)

さて12月中に作っておいた原稿を忘れないうちに正月早々にメールして仕事はじめ、と言いながらあとは飲んで食べて正月を満喫します。さて年が変わったので、やんないといけないのが会計ソフトの年度繰り越しです。個人事業は12月末で締めて会計年度を変更しなければなりません。ということで一杯やりながらパソコンに向かっています。