中ツ道をゆく(14) 東九条

中ツ道

中ツ道をゆくシリーズもいよいよ終了です。

五徳池を超えてすぐの所に南永井町の信号があり、ここが平城京の九条大路で西に行くと羅城門跡があります。実際の中ツ道は残っておらず、754号線は斜め北に向かう道なので、中ツ道は左にずれていて畑などを通り現在の五徳池を突っ切っています。中ツ道は平城京の東南の端に至り、南北を結ぶ東四坊大路に接続しています。

九条大路で羅城門が見つかったので平城京の南は九条までと考えられていましたが、2018年に九条大路の南側で十条大路の遺構が発見されます。ところが、わずか二十年以内で埋め戻されていたようで、いまもよう分かっていません。

隠岐の島(1)

隠岐

奥さんと隠岐の島へ 

なんでも離島巡りにはまっていて、旦那をおいて、いろいろな離島へ行っています。「隠岐の島なら行く」ということで隠岐へ。

■隠岐の島ウルトラマラソン
大阪府中小企業診断協会に「走る診断士」という青いTシャツを着た謎の集団があります。「走るためなら死んでもいい」というストイックな団体で、この団体が押し寄せる大会の一つが隠岐の島ウルトラマラソンです。なんで参加費まで払って100kmも走らないといけないのか、よう分かりませんが、まあ人にはいろいろな趣味がありますので強いことは言えません。

前泊、後泊しないといけないし終わった後に宴会をしますので隠岐の島の経済効果には大いに貢献しています。

隠岐の島との空の定期便は伊丹空港と出雲空港の2路線だけですが秋などはチャータ便が各地から出るようです。船はジェット船で1時間半ほどで本土と結んでいます。

大阪府中小企業診断協会・木曜日交流会

大阪府中小企業診断協会・木曜日交流会

月1回集まり、持ち回りで発表しています。昨日は2つのコンテンツでした。
1.趣味でやっているYoutubeのお話。バイクに関するチャンネルですが登録者が1万人を超えて、そこそこの収益が発生するようになったところ、奥さんからお小遣いを減らされたそうです(笑)
2.鉄道事業の概要。働く人の減少もあり鉄道収入はどこの会社も右肩下がりです。鉄道保守など固定費がかかりますので需要にあわせたダイヤ編成や編成車両の減少に取り組んでいます。ただ阪神だけは甲子園の影響で好調です。

交流会が終わってからは、いつもの中華「晴華」へ。珍しく1組だけでした。

経営情報システム

猛暑

猛暑が続いています。涼しくなるのはいつのことやら。

中業企業診断士試験・経営情報システムの問題が届きました。予想どおりAIに関する問題が2問出ていましたが、1問はAIへの攻撃問題。そんな方面から出題するんですかいなあ!難問になりやすい統計の問題は出ず、SQLが2問出ていました。ブロックチェーンの問題も出ていましたが、ちょっと難問ですね。あとはオーソドックスな問題でした。

夜の万博

万博

大阪府よろず支援拠点の相談業務が終わってから中央線で夢洲駅へ

各パビリオンの夜景もきれいなんですが、大屋根リングがけっこう映えますねえ。昨夜は雷雲が近づいてきたこともあり大屋根リングと静けさの森が閉鎖されてしまいました。大屋根リングからの夜景が見たかったのですが残念。

雨も降ってきたので、ほとんど並んでいないチェコ館に退避。螺旋状に登っていくパビリオンなんですが、何かよう分からん展示でした。外観にボヘミアン・クリスタルが使われ回廊状のパビリオン自体がテーマだったんですね。

守山城

守山城

守山駅近くにある守山城。といっても住宅街やお寺の中に埋もれてしまい遺構は残っていません。ただ、まっすぐに流れてもよい水路が奇妙に湾曲しており堀跡のようです。この湾曲した中に城がありました。

築城したのは宇野氏で、承久の乱の恩賞で関津(瀬田川を遡ったところ)の地を幕府から与えられます。本拠は関津城で守山城は支城の一つだったようです。その後は佐々木六角氏の種村氏が城主になりましたが、信長が足利義昭を奉じて上洛する時に木下藤吉郎、池田恒興が攻め寄せ落城させました。守山城は中山道・守山宿をおさえる拠点でしたので修築して稲葉一鉄(頑固一徹の語源になった武将)を守将とします。近くにあった一向宗の金森御坊を牽制する位置でもありました。

■宇野首相のお墓
昭和の中頃まで土塁跡や堀跡が残っていたそうですが、今はほとんどが大光寺境内になっています。ちなみに大光寺には女性スキャンダル問題で短命政権に終わった宇野首相のお墓があります。すぐ近くの町家・うの家が生家で、江戸時代は守山宿の町年寄の家柄でしたから先祖は鎌倉時代の宇野氏につながっているかもしれません。

飯盛山城へ

飯盛山城

飯盛山城へ

石仏山城へ行く予定だったのですが奥さんの付き合いで飯盛山へ。まあ山城へ行けるからいいかと登ってきました。飯盛山城は三好長慶の居城として有名ですが、その前は守護代の木沢長政の居城でした。

木沢長政って、あまり知られていませんが、あっちについたり、こっちについたりと、まあ戦国武将らしいやり方をした武将です。政敵を排除するために一向宗と法華宗の宗教対立まで利用しています。制御がきかなくなって痛い目にもあっています。

信貴山城の城主でもあり河内では絶大な地位を築いていましたが、太平寺の戦いで三好長慶に敗れ討死しました。近鉄安堂駅から山を登っていくと太平寺共同墓地があり、ここに木沢長政の五輪塔があります。昔、龍田道を歩いている時に見つけました。

西国街道をゆく

西国街道

西国街道は東寺から大坂を経ないで西国(下関)へ至る街道ですが、西宮までのルートは別名「山崎通」とも呼ばれていました。

当時は1日あたり40kmほど歩いたので東寺を出て長岡京(向日町)から山崎宿を通り、芥川宿、郡山宿を抜けて瀬川宿(箕面線の桜井駅ちかく)で宿泊すると約40kmです。2日目は昆陽宿(伊丹)・西宮宿(西宮市)から灘五郷を通って神戸にいたり生田神社あたりで40kmほどになります。山崎通りを2日で通り抜けていて、昔の人は健脚ですね。

西国街道は大坂の北の方を通り、大坂をバイパスする街道になっています。大坂ー西宮間には浜街道があり、西宮で合流します。当時の倍にあたる4日ほどかけて歩きましたが、ほとんど途切れることなく東寺から三宮まで街道が続いていました。

西国街道をゆく(東寺)

東寺

寺が西国街道のゴールです。新幹線で五重塔が見えると京都に来たなという感じになりますが、あの五重塔があるのが東寺です。五重塔の高さですが80mほどで北山通りの標高と同じになります。京都で「上がる下がる」といいますが、高低差から理にかなっています。東寺は平安時代に官寺として西寺とセットで建てられ、羅城門を入ると朱雀大路の両側に五重塔がゲートのようにそびえていました。

やがて空海が真言密教の根本道場として東寺を活用します。この時の印象が強く、東寺といえば空海となっていて、毎月21日(弘法大師の月命日)には弘法市が境内で行われています。同時期に最澄が顕教を広めますが、修行者が一つ一つ教えを積み重ねる必要がありますが、これに対して密教は仏の力を借りて、呪文(真言)のような言葉で短期間で悟りに達するため、修行がいやな貴族に歓迎されます。

■どら焼きは東寺が発祥

東寺といえば「どら焼き」は東寺の僧侶が寺でも作れて腹持ちがよいお菓子を命じられ誕生しました。銅鑼で皮を焼いたことから「どら焼」と命名されます。関西では三笠山に似ているところから三笠と呼ばれています。

    ファイティングコンサルタンツ ビール工場へ

    京都ビール工場

    ファイティング・コンサルタンツ研究会。研究会とは名ばかりの歴史探訪&酒飲み集団になっております。JR山崎駅に集合し、雨の中、秀吉と光秀が戦った山崎の合戦の舞台をめぐります。そういえば実際の山崎の合戦も雨でした。

    さて、メインイベントはサントリー・天然水のビール工場(京都)のガイドツアーです。事前予約が必要ですが、この予約をとるのが大変でして、9:30に予約サイトにアクセスすると1時間待ちになっていて、ひたすら待って予約をゲットしました。ガイドツアーでは説明を聞きながら仕込、発酵、貯蔵などの製造工程を見て、見学の後は、お楽しみの試飲タイムです。香るエールやマスターズドリームの飲み比べをしてきました。