![逢坂関](https://mizutani-its.sakura.ne.jp/it/wp-content/uploads/2025/02/ousaka.jpg)
大津から山科に向かう坂が逢坂です。坂の名前の由来は日本書紀で、仲哀天皇の皇子だった忍熊皇子(おしくまのみこ)が武内宿禰と出合ったので逢坂なんだそうです。ほんまかいなあ、なんか会津の話とよく似ていますね。
仲哀天皇の奥さんだった神功皇后が筑紫で応神天皇を出産し、瀬戸内海から紀伊に向かいます。これを阻んだのが応神天皇の異母兄になる麛坂皇子と忍熊皇子で、結局は皇后軍の武内宿禰に敗れました。敗れたのが逢坂です。なんか神武天皇の東征のような話ですね。
この逢坂につくられたのが逢坂の関です。東海道、東山道(中山道)、北陸道が一つになって関を越えていました。古代は不破関(関ヶ原)、鈴鹿関、愛発関が三関でしたが、平安遷都にともなう防衛線再構築で逢坂関が設けられます。残念ながら遺構は残っていません。