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日付がまわった頃、トロントから東大阪へたどりつきました。
行きは12時間のフライトでしたが、帰りは偏西風の影響もあるのか13時間のフライト。さすがに疲れますねえ。日本とトロントとの時差は、13時間で、日本の方が、13時間進んでいるため行きは半日得をするのですが、帰りは半日なくなってしまいプラスマイナスゼロになります。
行きも帰りもエア・カナダでしたが客室乗務員は年齢層が高いベテランばかり、あまり若い乗務員はいませんでした。割とおいしかったのが機内食。フライトがはじまって3時間ほどすると夕食。また4間ほどすると夜食が出て、最後は朝食があります。朝食のメニューはオムレツと「おかゆ」からの選択。行きはオムレツで、帰りは「おかゆ」を食べましたが、この「おかゆ」がなかなかいけました。
夜食に出るのがカップヌードル&サンドウィッチ&ビスケット。日清のカップヌードルですが現地工場で作られているので日本のとは味が若干、違います。行きは食べましたが、ボディブローのようにきいてくるので帰りはやめました。
カテゴリー: 日記
トロントの創業事情
トロント ブルージェイズ
交差点に入った順番に発信するFIFO式
カナダのトロントへ
トロントに住んでいる姪の結婚式でトロントへ来ています。
成田から12時間もかかるんですね。航路は太平洋をつっきっていくのかと思っていたら樺太からロシアの上を通ってアラスカを通っていきました。地図ではなく地球儀で見たら、それが最短コース、なるほど。夜食に日新カナダ工場で作ったカップラーメンが出てきました。
さて空港に着いたら5月1日の夕方。5月1日の午後に出て、夕方に着くのも変な気分です。空港へは迎えにきてもらっていたので車でトロント市内へ。こっちの運転は荒っぽく、車線変更も急で名古屋よりも運転が荒いですね。(笑)
飛行機で散々食べたので夕ご飯はホテルの隣にあったハンバーショップへヒーローバーガーというそうでチェーン店になっています。本格的なハンバーガでなかなか美味。
フランシーヌの場合
今日は「三月三十日の日曜日」。
と聞くと思い出すのは「フランシーヌの場合」。日経新聞の「春秋」に載っていて、そういや今日は3月30日の日曜だなと思いだしました。昔、流行った歌です。
“フランシーヌの場合は あまりにもおばかさん
フランシーヌの場合は あまりにもさびしい 三月三十日の日曜日
パリの朝に燃えたいのちひとつ フランシーヌ”
事件が起きたのは1969年3月30日。ベトナム戦争とビアフラ戦争の抗議のためパリで一人の女性・フランシーヌが焼身自殺。この事件から生まれた歌が「フランシーヌの場合」で、歌っていたのは新谷のり子さん。
安保闘争など学園紛争華やかし頃で反戦歌の一つとして歌われました。私は世代的には少し後なんですが、歌はよく知っています。他にもザ・フォーク・クルセダーズの「イムジン河」や森山良子の「さとうきび畑」もよく歌われていました。
ベ平連と言っても、今や死語でしょうね。
▼YouTubeに「フランシーヌの場合」がありました。
http://youtu.be/2dah_5_6gPs
たくさんの名刺
三重県中小企業診断協会が行う「建設業なんでも経営相談会」が近日始まるのですが、事務局から相談者には協会の名刺を渡してくださいと新しい名刺をもらいました。
現在、日常的に使っている名刺はウチの事務所と各支援機関の名刺が3枚で都合4枚。こないだLECからも名刺を送ってきたので、これで6種類になりました。他にもAll Aboutのガイド用名刺があるんですが、こっちはほとんど使っていません。
日常的に使う4種類の名刺を名刺入れに入れているんですが、現場で出すときに毎回、出すのにもたついています(笑)
金生山(きんしょうざん)
新幹線で大阪から名古屋へ向かう時、関ヶ原古戦場跡で笹尾山(石田三成の陣跡)、桃配山(徳川家康の陣跡)を見て、大垣に入る手前、左手(北側)に山が見えますが、これが金生山(きんしょうざん)。
山の半分ぐらいがなくなっていますので、よく目立ちます。この山から良質の石灰岩、大理石がとれるため江戸時代から現代まで採掘され山が半分なくなっています。この石を運ぶためにできたのが美濃赤坂線。東海道本線の支線で大垣駅から美濃赤坂駅を結ぶ5キロの支線です。いつか乗りたいのですが、まだ乗ったことがありません。
この美濃赤坂は中山道・赤坂宿があったところで関ヶ原の戦い前に江戸から着いた徳川家康が陣をしいたところです。近くを流れていた杭瀬川で前哨戦が行われ、島左近の奇襲戦で東軍は負けてしまいました。いつも新幹線から見るだけですが、美濃赤坂、一度行かないと。
八雲立つ
八雲立つ、出雲八重垣 妻籠みに 八重垣作る その八重垣を
というわけで出雲へ来ております。仕事ではなくて旅行です。奥さんが出雲大社に行きたいと言い出して、遷宮だし、まあいいかというわけで出かけてきました。平日だというのに観光客が多いですね。
出雲大社の本殿にお参りしてから裏側にまわって 須賀社へ。スサノオを祭った社なんですが一説の夜とスガはソガに通じ、蘇我氏は出雲族じゃなかったのかと言われています。となると蘇我氏の大元がここになります。
出雲は三輪山に出雲の神様が祭られているほど、ヤマトに貢献しました。紆余曲折があり没落してしまいます。欽明天皇の時代に復活します。そこから「我、蘇り(われ、よみがえり)」と蘇我氏になったという話があります。
方向音痴になりやすい京都人、神戸人
神戸のジュンク堂に置いてあった「神戸ルール」という神戸人に焦点をあてた本を読んでいるんですが、なかなか興味深い神戸人について書かれています。
別の土地に行って、方向音痴になりやすいのはまず京都人。京都と言えば、平安の時代から続く、きれいな碁盤の目。東西南北がはっきりしているのが特徴です。名古屋なんて一見、碁盤の目でありながら飯田街道のように斜めの道はあり、そこらへんに五道の辻があって、こんな所へ行けばよく迷います。
神戸も分かりやすい土地で。海と山に囲まれた狭い土地ですので、方向が分からなければとりあえず山を探せば、そちらが北側。百貨店の中の案内も山側、海側と書かれています。単純な土地で生活しているので神戸人もほかの土地に行くと迷いやすいそうです。大阪も分かりやすいですね。大阪で山と言えば生駒山ですので、山が見える方向が東です。
困るのが名古屋。濃尾平野がけっこう大きく、ビルに隠れて山がよく見えません。結果、どこにいるか分からなくなります。JRセントラルタワーズが見えたら、とりあえず名古屋駅の方向だけは分かります。
あと阪急電車の車体の色ですが、阪急マルーンと言って特に神戸人が愛しているそうです。決して、ヨーカン色と言ってはいけないそうです。言っていますなあ(笑)