和歌山紀行シリーズです。(笑) 太田城の次は和歌山城へ。
和歌山城天守は国宝指定されていましたが、空襲で焼失してしまいます。石垣や土塁以外で当時のまま城内に残っているのは岡口門と追廻門だけとなりました。和歌山城では復旧を進めていて、2006年には西の丸庭園の御橋廊下が当時の図面を元に再現され、実際に通ることができます。他の城では見られない建造物で、かなり傾斜していて床がすべらない構造で歩くと痛いです。
久しぶりの和歌山城でしたが、敷地内にある和歌山市役所南別館2階に和歌山城歴史資料館ができていました。天守閣と同じチケットで入場できます。12分間にわたり江戸時代の和歌山城をCGで再現したビデオが放映されていて、見応えがありますね。また和歌山城が出来る前の雑賀衆の歴史資料も展示されていました。もちろん太田城の展示もありました。
城内の門以外に城から道をはさんだ岡山の上に時鐘堂が現存しています。作ったのは、あの徳川吉宗。鐘で時刻を知らせていました。この岡山には戦国時代に岡山城という山城がありましたが残念ながら遺構は残っていません。
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日本三大水攻めの太田城
日曜日、ACT2020(パソコン通信時代からの中小企業診断士の集まり)は10時スタートでしたので、朝から太田城へ出かけてきました。
和歌山と言えば紀州藩の和歌山城が有名ですが、もともとは紀州を平定した豊臣秀吉が弟の秀長に築城させたのが始まりです。平定する前にあったのが太田城でJR和歌山駅のすぐ東側にあり、来迎寺や玄通寺あたりが本郭でした。残念ながら城跡は残っていません。
小牧・長久手の合戦では大阪や和歌山も戦場となり、秀吉は太田衆、雑賀衆、根来衆の連合軍と戦っていました。太田城でも合戦が行われましたが、城はなかなか落ちません。そこで秀吉が行ったのが水攻め。備中高松城、忍城(「のぼうの城」で有名に)に並び三大水攻めの一つと言われています。
この時、秀吉が造った堤の一部が奇跡的に残っています。場所は”きのくに信用金庫 出水支店”近くで6メートルほどの高さの土塁が残っていました。昭和のはじめの頃には20ケ所ほど残っていましたが、今はここだけになってしまいました。
残っていてもタマ電車には勝てないので観光資源にはならないでしょうね。