ブラタモリ(津観音)

津

ブラタモリの予告編で津城が登場するのは分かっていましたが、予想していなかった津観音が出てきました。津観音にある阿弥陀さんの本地が天照大神とされ、伊勢参りするなら伊勢神宮と津観音の両方を参拝しないといいけない風習がありました。そういえば日本史で本地垂迹を習いましたね。伊勢街道が城下町を通るようにし、津観音の目前を通るようになっています。

関ヶ原の前哨戦である安濃津城の戦いが行われ、毛利秀元、長束正家、安国寺恵瓊、鍋島勝茂、長宗我部盛親らが攻め、津観音も燃えてしまいました。再建したのが新しい領主である藤堂高虎です。

次回は斎宮が出てくるようで楽しみですね。ですが最後は和田金に行くなど旅行番組みたいになってきて、断層などの話は出てこなくなりました。松阪には中央構造線が地表に現れた露頭があるのに

ブラタモリ(江戸橋)

江戸橋

ブラタモリを見ていると鈴鹿サーキット→白子→津と移動し、最後は江戸橋の常夜灯が出ていました。

江戸橋は藩主が参勤交代で江戸に向かう時、家臣がここまで見送りにきたことから江戸橋と呼ばれています。すぐ近くに近鉄・江戸橋駅があり橋を渡った先が三重大学ですから、近鉄が止まるたびに学生がどわーっと渡る橋になっていて、私も大学へ行くときによく使っています。

■江戸橋・追分
橋のたもとにあるのが安永六年(1777年)の銘がある常夜灯で、ここが追分になっています。関宿で東海道と別れた伊勢別街道が江戸橋で伊勢街道と合流します。番組では分かりやすいように「京街道」と言ってましたが、本来の京街道はブラタモリでもやっていた大津の追分から京都をバイパスして大坂へ至る道が京街道です。東海道から分かれますので京から来た道には間違いはないんですが

次回は津城と松坂なんですなあ。

金曜ロードショーとジブリ展

金曜ロードショーとジブリ展

津市にある三重県総合博物館で「金曜ロードショーとジブリ展」をやっているので覗いてきました。津では4月11日(金)までやっています。いつもは閑散としている博物館なんですが、会場に着いたら親子連れなどですごい人。なんで平日の昼間にこんなに人がいるんだ!!

ジブリ映画の絵コンテなどが紹介されています。以前「高畑勲展―日本のアニメーションに遺したもの」を三重県総合博物館でやっていましたが展示が充実していて、おまけに人は少なかったですね。そうそう高畑監督は伊勢市出身です。

会場を進んでいくと真っ暗な中に王蟲(オーム)がいて腐海が再現されたコーナーがありました。別会場には「もののけ姫」に出てくるモロのでっかいオブジェなど、いわゆる映え写真が撮影できるコーナーがたくさんあって列ができていました。なるほど、これが目的なんですね。映え写真には縁なき衆生でございますので早々に退散しました。

久留倍官衙

久留倍官衙

久留倍官衙は「くるべかんが」とよみます。四日市市大矢知町の高台にあり、桑名での会議まで時間があったので、ついでに寄ってきました。近江と伊勢を結ぶ八風街道が近くを通っています。

官衙とは役所のことです。北勢バイパスの建設工事で遺跡が見つかり、バイパスはコースを変えて遺跡をまたぐ形に変更されて保存されました。久留倍官衙の最初は奈良時代で正殿や東門(八脚門)などの政庁が、東向きに建てられていました。一部が復元されていますが高台ですので四日市の街が展望できます。ただ政庁ではなく朝明駅ではないかとする説もあります。

久留倍官衙は長期にわたり使われたようで、壬申の乱では桑名へ向かう大海人皇子がこのあたりから伊勢神宮を遥拝して戦勝を祈ったともいわれています。また壬申の乱の道筋をなぞった聖武天皇の謎の行幸では頓宮が新しく造られたようです。遺跡は公園になっています。

桑栄メイト

桑栄メイト

桑名商工会議所で経営発達支援計画推進会議があったので出席するために桑名駅へ。

桑名駅前東口に桑栄メイトがあったのですが、まだ残っていました。昔は駅から桑栄メイトを通って、桑名商工会議所が入っているサンファーレ2階にそのまま行けましたので便利でしたが老朽化もあり駅前再開発の一環で2020年7月末に閉館となりました。今は桑名駅を出て地上に降り、道路を渡り、また2階まで登らないと商工会議所までたどりつけません。

桑栄メイトを取り壊してナガシマスパーランドなどを運営する長島観光開発がホテルを建てる予定になっています。西口にもロータリーができて再開発しています。

ザビエル城

ザビエル城

日本史によく出てくるのが十字架を見つめるザビエルの肖像画です。見つかったのは最近で1920年に茨木市の旧家から見つかりました。

ザビエルは貴族の生まれで、生まれたのはスペイン・バスク地方にあるハビエル城(ザビエル城)。19歳でパリの大学に入学し、そこで出会った仲間たちとイエズス会を設立します。やがて世界に布教に乗り出し、インドのゴアでたまたま出会ったヤジロウと日本へ布教に向かいます。ザビエルが生まれた城がそのままスペイン村に再現されています。

このヤジロウですがザビエルとあった頃にはポルトガル語が堪能でした。キリスト教教理書の翻訳をイエズス会に頼まれ、デウスを「大日」、マリアを「観音」、パライソを「極楽」と訳すことになります。当時は朱印船貿易などが盛んで日本人もよく海外へ出ていました。大友義鎮・家臣の稙田玄佐はゴアに戻るザビエルに同行し、帰りは中国に向かうザビエルにマラッカで別れ鹿児島経由で戻っています。翌年、またゴアに行って帰ってきておりゴアと2往復しています。本人になります。スペインとの通商が目的でした

七里の渡し

七里の渡し

新幹線で名古屋が近づくと揖斐川、木曽川、長良川という木曽三川を渡ります。けっこうな川幅があるため昔は越えるのが大変でした。東海道の宮宿(熱田神宮)から桑名宿までが海を渡るルートになっていて約7里(27㎞)あったので七里の渡しと言われています。

バイパスとして佐屋街道があり宮宿から佐屋宿まで歩いて、佐屋宿から桑名宿まで三里の渡しがありました。もしくは宮宿から美濃路に入り中山道・垂井宿にすすみます。川幅は狭くなりますが、それぞれ渡船を使う必要がありました。

七里の渡しは4時間~6時間の船旅で1711年の船賃は一人45文(1,500円ぐらい)でした。桑名の船着き場は桑名城のすぐ横で、城の横に東海道がありました。桑名は伊勢国の入口でしたので一の鳥居が建っています。伊勢神宮の式年遷宮にあわせて内宮の宇治橋外側の鳥居が移築されています。歌川広重の東海道53次の絵で有名な場所です。

江戸川乱歩生家

犯人はお前だ!

江戸川乱歩生家

江戸川コナンの決め台詞ですが、江戸川といえば乱歩ですね。東京生まれのイメージが強いのですが生まれは名張です。もっとも2歳の時に亀山に移転し、翌年には名古屋に引越したので本人は覚えていないでしょう。生家は残っておらず初瀬街道から少し入ったところに公園があって案内板が建てられています。ただ三重とは縁が深く、鳥羽で働き、結婚もしました。この頃の経験から「パノラマ島奇談」などが生まれています。2023年は処女作「二銭銅貨」が発表されて100年だそうです。

戦後は日本探偵作家クラブを作ったり探偵雑誌などを創刊して若手を支援する活動が中心になります。ただ子供向けに探偵小説を書いており、怪人二十面相シリーズなどのヒットとなっていきます。以前、名張の木屋正酒造が「幻影城」という地酒を出していたんですが、まだ売っているのかなあ。

斎藤さんの故郷

鈴木さんの故郷として有名なのが和歌山県海南市藤白ですが、伊勢近くに斎藤さんの故郷があります。古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所が斎宮(さいぐう)です。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮で神事を行う皇族女性で、斎宮で生活していました。この斎宮の長官が斎宮頭で、ある時、藤原叙用(のぶもち)という人が任じられます。この人が、斎宮の藤原氏ということで、「斎藤」姓の始まりになります。

斎宮

ところで斎藤というと齋藤やらいろいろな字がありますが、これは明治になって国民全員に名字が義務付けられた時の混乱によるものです。役所に届ける時に斎藤を旧字体で書いたのが齋藤。またこの旧字体が書けなくて齊藤も登場します。斉藤は本来は「せい」のはずですが、単純に書き間違えたという説があります。

斎宮があるのは近鉄電車で松阪から伊勢へ向かう途中の普通しか止まらない斎宮駅のすぐ横にあります。「斎藤さんの故郷」というでっかい看板を建てたらと昔、明和町の知り合いに言ったのですが実現されていませんね。伊勢神宮参拝のついでに斎藤さんが寄ってくれるのに。

陣屋

陣屋

伊賀上野でお仕事だったのでランチに陣屋へ行ってきました。場所は伊賀の商店街を通る街道を東に向かい菅原神社(上野天満宮)を超えて、農人町から車坂に入り坂を下ったところにあります。そのまま、まっすぐ東へ行くと鍵屋の辻の敵討ちで有名な荒木又右衛門の出身地です。

陣屋は典型的な町の食堂ですが、店内にジャズが流れています。亡くなった先代がジャズ好きで、店内の一角にずらっとレコードが並んでいます。ジャズをBGMに定食を食べる不思議なお店です。いつも日替わり定食を食べていますが、750円になっていました。頼む時に「ご飯は半分」でと言っておかないと、てんこ盛りのご飯が出てきます。ご飯、漬物、一品、お味噌汁、メインがセットになった定食で、とってもコスパがよいお店で伊賀上野では有名ですね。