ザビエル城

ザビエル城

日本史によく出てくるのが十字架を見つめるザビエルの肖像画です。見つかったのは最近で1920年に茨木市の旧家から見つかりました。

ザビエルは貴族の生まれで、生まれたのはスペイン・バスク地方にあるハビエル城(ザビエル城)。19歳でパリの大学に入学し、そこで出会った仲間たちとイエズス会を設立します。やがて世界に布教に乗り出し、インドのゴアでたまたま出会ったヤジロウと日本へ布教に向かいます。ザビエルが生まれた城がそのままスペイン村に再現されています。

このヤジロウですがザビエルとあった頃にはポルトガル語が堪能でした。キリスト教教理書の翻訳をイエズス会に頼まれ、デウスを「大日」、マリアを「観音」、パライソを「極楽」と訳すことになります。当時は朱印船貿易などが盛んで日本人もよく海外へ出ていました。大友義鎮・家臣の稙田玄佐はゴアに戻るザビエルに同行し、帰りは中国に向かうザビエルにマラッカで別れ鹿児島経由で戻っています。翌年、またゴアに行って帰ってきておりゴアと2往復しています。本人になります。スペインとの通商が目的でした

七里の渡し

七里の渡し

新幹線で名古屋が近づくと揖斐川、木曽川、長良川という木曽三川を渡ります。けっこうな川幅があるため昔は越えるのが大変でした。東海道の宮宿(熱田神宮)から桑名宿までが海を渡るルートになっていて約7里(27㎞)あったので七里の渡しと言われています。

バイパスとして佐屋街道があり宮宿から佐屋宿まで歩いて、佐屋宿から桑名宿まで三里の渡しがありました。もしくは宮宿から美濃路に入り中山道・垂井宿にすすみます。川幅は狭くなりますが、それぞれ渡船を使う必要がありました。

七里の渡しは4時間~6時間の船旅で1711年の船賃は一人45文(1,500円ぐらい)でした。桑名の船着き場は桑名城のすぐ横で、城の横に東海道がありました。桑名は伊勢国の入口でしたので一の鳥居が建っています。伊勢神宮の式年遷宮にあわせて内宮の宇治橋外側の鳥居が移築されています。歌川広重の東海道53次の絵で有名な場所です。

江戸川乱歩生家

犯人はお前だ!

江戸川乱歩生家

江戸川コナンの決め台詞ですが、江戸川といえば乱歩ですね。東京生まれのイメージが強いのですが生まれは名張です。もっとも2歳の時に亀山に移転し、翌年には名古屋に引越したので本人は覚えていないでしょう。生家は残っておらず初瀬街道から少し入ったところに公園があって案内板が建てられています。ただ三重とは縁が深く、鳥羽で働き、結婚もしました。この頃の経験から「パノラマ島奇談」などが生まれています。2023年は処女作「二銭銅貨」が発表されて100年だそうです。

戦後は日本探偵作家クラブを作ったり探偵雑誌などを創刊して若手を支援する活動が中心になります。ただ子供向けに探偵小説を書いており、怪人二十面相シリーズなどのヒットとなっていきます。以前、名張の木屋正酒造が「幻影城」という地酒を出していたんですが、まだ売っているのかなあ。

斎藤さんの故郷

鈴木さんの故郷として有名なのが和歌山県海南市藤白ですが、伊勢近くに斎藤さんの故郷があります。古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所が斎宮(さいぐう)です。斎王は、天皇に代わって伊勢神宮で神事を行う皇族女性で、斎宮で生活していました。この斎宮の長官が斎宮頭で、ある時、藤原叙用(のぶもち)という人が任じられます。この人が、斎宮の藤原氏ということで、「斎藤」姓の始まりになります。

斎宮

ところで斎藤というと齋藤やらいろいろな字がありますが、これは明治になって国民全員に名字が義務付けられた時の混乱によるものです。役所に届ける時に斎藤を旧字体で書いたのが齋藤。またこの旧字体が書けなくて齊藤も登場します。斉藤は本来は「せい」のはずですが、単純に書き間違えたという説があります。

斎宮があるのは近鉄電車で松阪から伊勢へ向かう途中の普通しか止まらない斎宮駅のすぐ横にあります。「斎藤さんの故郷」というでっかい看板を建てたらと昔、明和町の知り合いに言ったのですが実現されていませんね。伊勢神宮参拝のついでに斎藤さんが寄ってくれるのに。

陣屋

陣屋

伊賀上野でお仕事だったのでランチに陣屋へ行ってきました。場所は伊賀の商店街を通る街道を東に向かい菅原神社(上野天満宮)を超えて、農人町から車坂に入り坂を下ったところにあります。そのまま、まっすぐ東へ行くと鍵屋の辻の敵討ちで有名な荒木又右衛門の出身地です。

陣屋は典型的な町の食堂ですが、店内にジャズが流れています。亡くなった先代がジャズ好きで、店内の一角にずらっとレコードが並んでいます。ジャズをBGMに定食を食べる不思議なお店です。いつも日替わり定食を食べていますが、750円になっていました。頼む時に「ご飯は半分」でと言っておかないと、てんこ盛りのご飯が出てきます。ご飯、漬物、一品、お味噌汁、メインがセットになった定食で、とってもコスパがよいお店で伊賀上野では有名ですね。

高畑勲展

三重県総合文化センターで高畑勲展があり、のぞいてきました。

なんで三重でと思ったら、高畑監督は伊勢市出身なんですね。小さい頃は津でも過ごしたそうです。8歳の時に岡山に転居した関係で、2020年には岡山県立美術館でも高畑勲展が開かれています。

展示では懐かしい「太陽の王子 ホルスの大冒険」から「アルプスの少女ハイジ」などの絵コンテなど、たくさんの資料が展示されています。個人的には「セロ弾きのゴーシュ」と「平成狸合戦ぽんぽこ」が味わいあって好きですね。最後は遺作となった「かぐや姫の物語」でした。9.18まで開催しています。三重県総合文化センターへは津駅西口からバスが出ていますが、基本的に1時間に2本ですね。常設展も中央構造線から伊勢の御師まで多彩な展示になっています。

鍵屋の辻

日本三大仇討ちといえば曾我兄弟の仇討ち、赤穂浪士の討ち入り、そして鍵屋の辻の決闘です。曾我兄弟の仇討ちは大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも登場しましたが、最近は北条時政による頼朝暗殺説が有効です。鍵屋の辻の決闘が行われたのは伊賀上野の西側で島ヶ原から伊賀上野の台地に上がる所で行われます。

鍵屋の辻
鍵屋の辻

LBGTじゃないですが、藩主を巻き込んだボーイズラブ(男色)が原因で、しかも横恋慕が招いた悲劇でした。紆余曲折があり渡辺数馬が仇討ちをせざるをえない立場に追い込まれてしまいます。剣術が未熟なため姉婿の剣豪・荒木又右衛門に助勢を頼みます。敵相手の河合又五郎も仇討ちは分かっていますが11人で移動しています。これを4人で待ち伏せして、見事に本懐をとげます。舞台となった場所は公園になっていて数馬茶屋が作られています。

ザビエル城

ザビエル城ですと言ってもバッタモノで志摩スペイン村にあります。バッタモノとは言いながら実物大で作られていますので、なかなか迫力ありますね。中は博物館になっています。

ザビエル城
ザビエル城

本物はスペインのバスク地方にあり名前はハビエル城で、皆さんよくご存じのフランシスコ・ザビエルの生誕地です。もっとも本物も荒廃していたため、1980年頃にザビエルが居住していた頃を模して復元されましたから、志摩スペイン村とそう変わりません。こちらも博物館になっています。

ザビエルはイエズス会の創設メンバーの1人で、日本に初めてキリスト教を伝えたことで有名です。志摩スペイン村のザビエル城ではコスプレイヤー達が写真会を開催していました。たしかに映えますねえ。

桑名商工会議所へ

桑名商工会議所
桑名商工会議所

桑名商工会議所で行われた経営発達支援計画推進会議に出席してきました。

会議の外部委員を担当していますが、桑名商工会議所はとっても熱心で年2回、外部委員5名に専務理事以下、経営指導員8名が参加し推進会議を実施しています。今年度は5年計画の4年目で目標に対して、どれぐらいで推移しているかなどの報告があり討議しました。

特徴として創業塾の参加者が増え、しかも女性が6割をしめています。女性起業家グループが桑名にあり、そちらのクチコミ効果が高いのと桑名市の広報に入れてもらったことで集客に貢献したようです。

諏訪商店街

四日市商工会議所で三重県よろず支援拠点の出張相談。
諏訪商店街を歩いていると2軒ほどが閉店になっていてテナント募集の張り紙がしてありました。角の洋品店はベトナム料理店かな、なにかエスニックなお店に変貌していました。
松阪の商店街も同様ですが物販店が減って飲食店の比重がどんどん増えています。