蕎麦屋さん、儲かっているの?

ise201105.jpg伊勢へ。
その後、さらに奥の南伊勢町へ。

南伊勢町へは伊勢の事業者に連れていってもらったのですが、途中の蕎麦屋さんで昼食。広い敷地に庭があり、日本家屋風で内装にもけっこうお金がかかっています、蕎麦は少し高めで定食になると1500円ほど。蕎麦はおいしかったのですが、付け合せの天ぷらがいけません。量は多いのですが、ぼてっとしていて、せっかくの蕎麦の味がだいなし。

店には広い机が6つで、1つの机に6人ぐらいは座れますが、昼なので大体2~3人が基本。12:30頃に入りましたが、1回転ぐらいしかしていないようです。伊勢の人に聞くと、土日は多いが平日は大体こんなものという話。昼は多くて20人ぐらいですね。

客単価1300円とすると売上は26,000円。従業員が厨房に2人、フロントに2人いました。土地は自前にしても建築費は償却しないといけないだろうし、儲かっているんですかね。10年ほどは続いているようですが、なんで続けていられるのか、なかなか不思議な蕎麦屋さんでした。まさか趣味でやっている店ではないでしょうね。

伊勢商工会議所近くにおいしい蕎麦屋さんがあったのですが、こっちは1年ほどでなくなってしまいました。飲食店経営は本当に難しいですね。

五道の辻

tsu201105.jpg古い街道沿いにはわりと五道の辻があります。

住んでいる東大阪の箱殿にも五道の辻があり、暗越奈良街道(大阪から暗峠を越えて奈良へ行く道)と東高野街道(男山から生駒、葛城山沿いに高野山
へ行く道)が交差しています。ここにもう一本、小さな道があり五道の辻になっています。辻には道標と地蔵堂が立っていて、その古さを伝えています。

実家近くにも五道の辻があり、津の幹線道路である国道23号線と海岸へ向かう広い道の交差から斜めに小さな道が出ています。私が子供の時からあっ
て、なんで広い道があるのに、こんな斜めの道があるんだろうと不思議に思っていたのですが、江戸時代の津の古地図を見て疑問は氷解。

この小さな道は当時の伊勢街道だったんですね。戦国時代以前は海岸近くを伊勢街道が通っていましたが、藤堂高虎が津城を整備して城下町を作り、伊
勢街道が城下町を通るように変更しました。これが現在の国道23号線で、城下町を過ぎ五道の辻になっているところから海岸沿いの伊勢街道へ斜めになってつ
ながっていたんですね。古地図には広い道はなく、この小さな道が当時のメインストリートでした。

正面の家の右側に小さな斜めの道があり、これが伊勢街道

伊賀上野は田植えの真っ最中

taue201005.jpg朝から関西本線に乗って伊賀へ

平日は笠置や月ヶ瀬へ向かう高齢のハイキング集団で電車が一杯になるのですが、さすがにゴールデンウィーク中のせいか見かけません。そのかわり伊賀上野や関宿に向かう観光客が乗っていました。いいな~あ。

奈良の田んぼは土のままですが、三重に入ったとたん水が張られた田んぼばかりで田植えの真っ最中。ゴールデンウィーク中に田植えはほとんど終わってしまいます。

伊賀上野は忍者フェスタの真っ最中で、街中を忍者衣装の人がウロウロしています。観光客も忍者衣装に着替えすることができます。さすがに伊賀の田舎にまでは忍者はいませんね。

伊勢では田植え

lunch201104.jpg朝から伊勢へ。近鉄電車で宇治山田へ向かうと、多くの田んぼに水がはられトラクターが動いています。田植えです。

伊勢は昔から早場米の産地で、ゴールデンウィーク中に大体、田植えが終わっています。和歌山県との県境にある紀和町が県内では一番早く、3月の終
わりには田植えが終了。志摩地域も既に田植えが終わっているそうで、だんだん北上して伊勢から松阪にかけてが、これから田植えシーズン。そのあとが伊賀で
すね。

今日のお昼は伊勢市役所地下にある食堂(職員だけでなく一般の人も利用できます)で日替わり定食(550円)。メインは伊勢七保鳥のチキン南蛮特製タルタルソースがけでし
た。大きいのが3つも入っていて、なかなかボリュームがあります。一番、おいしかったのがミソ汁。食堂を運営しているのはキャリオンという女性だらけの会
社。ここ以外に伊勢市民病院、伊勢郵便局、皇學館大学、あのつぴあ(津市)の食堂運営とレストランい~菜を運営しています。4月からはサンアリーナの食堂
も開始。

サンアリーナというのは伊勢にある大きなイベント。スポーツ施設で、こないだ福山雅治のコンサートがサンアリーナで開催されましたが、食堂もすさ
まじいお客さんだったそうです。サンアリーナには広い駐車場があるので、ゴールデンウィーク中は伊勢神宮へのパーク&バスライドが実施されます。

大市神社(津市)

ooiti_jinjya201104.jpg津の実家のすぐ近くにあるのが大市神社。

子供の時はよく神社の境内で遊んでいました。子供の時は本殿の裏がうっそうな森になっていた印象があるのですが、大きくなってから見ると単なる林です。

けっこう古い神社で、もともとは岩田川のずっと上流にあった大市村と呼ばれる土地にありました。延喜式内大市神社とあり、由緒正しい神社だったん
ですね。延喜式とは927年にまとめられた延喜式と呼ばれる書物で神社一覧が載っていて、ここに載っている神社を式内社と呼んでいます。全国で2861社
あります。

ところがこの大市神社が洪水で流され河辺の古松に引っかかり、村人が祭ったのが川松明神。いつの頃からか現在の地に移って元の大市神社になりまし
た。藤堂藩が作った絵図には現在の場所に「川松社」と載っています。洪水で流された神様で大丈夫かいなと思いながら前を通るたびに参拝しています。

津城の桜

tsu201104.jpg伊賀や奈良の室生口大野あたりの桜はまだまだツボミですが、津はちょうど満開。津城跡に行くと、桜がきれいに咲いていました。

津には戦国時代から城がありましたが、石垣や堀をめぐらせて城を整備したのが織田信長の弟である織田信包。天守閣もありました。浅井長政が滅んでからお市やお江が身を寄せていた先になります。

豊臣政権になってからは富田氏が入りました。あまり知られていませんが関ヶ原の前哨戦が津城で行われました。西軍方の毛利秀元・安国寺軍などの大
軍に攻められて天守はこの時に燃えてしまいました。富田氏の奥方まで武者姿になって奮戦しましたが多勢に無勢、和睦が成り立ち開城。

やがて築城の名手・藤堂高虎が入城し、大規模な水城に大改修。湖のように大きな堀でしたがほとんど埋め立てられて一部の堀しか残っていません。

日本海海戦が終わった後、連合艦隊を引き連れて東郷平八郎は津に上陸。水軍の将であった藤堂高虎を尊敬していたようです。上陸した後、阿漕駅から将兵を率いて伊勢神宮へ戦勝報告に向かいました。ドラマ「坂の上の雲」には、絶対出ないシーンでしょうねえ。

というようなことを思いながら桜が咲く城跡を散策するのもいいものですね。

関西本線でハイキング客でいっぱい

iga201104.jpg朝から伊賀の企業へ

JR奈良駅で加茂行きの電車を待っていると高齢のハイキング客がけっこう待っていました。まずいなあ、関西本線に乗るのかなと思っていたらピンポン(笑)

加茂行き快速急行は大阪から8両編成で到着し奈良駅でほとんどが降りるので奈良から加茂まではガラガラですが、加茂から亀山までの関西本線はロー
カル線で2両編成か1両編成のレールバス。加茂行きは確かにガラガラなんですが、加茂駅で関西本線に乗り換えるとラッシュ状態になります。

冬に乗ると地元の人間しか乗っていないのですが春、秋の行楽シーズンは毎年ラッシュ状態になります。立っている方も多いのですが皆さん、高齢ながら歩こうといく方なんで元気ですね。

あと困るのはイコカが通じないことです。関西本線はほとんど無人駅ですのでイコカは使えません。関西では珍しいので奈良駅などからイコカで乗って
くるハイキング客が多いこと。というわけでハイキングコース入口である島ヶ原駅や月ヶ瀬口駅で、運転手さんがイコカの記録を消すための証明書を手書きして
います。降り口が列になってしまい発行のためにけっこう駅に止まっているのですが、伊賀上野駅の待ち時間を長めにとっていますので、うまくバッファーに
なっていますね。島ヶ原駅を降りるといつものようにガラガラになりました。

盆地で寒い伊賀上野では、桜はまだつぼみでした。

神路通(伊勢神宮)

jinromiti.jpg午前中はホンダの4次下請けの相談。震災後に仕事がストップしてしまい既に3週間。アルバイトなどの扱いをどうしようという相談。三重にもいろいろと影響がではじめています。

午後は伊勢商工会議所でIT窓口相談。ITという名前がついていますが、最近は経営相談ばっかりです。予約まで少し時間があったので伊勢市駅のすぐ近くにある月夜見宮へ。天照大御神の弟というとスサノオが有名なのですが、もう一人いて夜を担当する月の神様です。

ふだんは閑散としていますが、けっこうお参りする人が多かったですね。よく考えたら4月1日でしたので、朔日参りをする人なんでしょう。月夜見宮
の鳥居からまっすぐな道が外宮までのびていて、これが神路通り(かみじどおり)。文字通り神様が通る道です。真ん中は少し盛り上がっていて色が変わってい
るのですが、これは神様が真ん中を通るからです。ですので人は端を歩くのが慣習になっています。

今日はだいぶポカポカでしたが、近鉄電車から見ているといくつか田んぼで水が張られていました。そろそろ田植えなんですなあ。

シロモチ君

siromoti201103.jpg津駅から大阪へ戻ろうと津駅西口に震災の募金を呼びかける声が。

先頭にいるのは津に来て戦隊ツヨインジャー。ツヨインジャーは津の観光PRヒーローで西口にいたのは赤のツヨレッドでした。ツヨイエローとツヨブルーは東口にいるのかなあ。その後ろにいるのが津のゆるキャラ・シロモチ君です。

シロモチ君は三段腹の変わった格好をしているのですが藤堂高虎の出世の白餅に由来しています。

若い頃に浪人していた藤堂高虎が三河の餅屋で空腹に耐えかねてを無銭飲食しますが、主人から故郷に帰って親孝行するようにと諭され路銀まで与えられます。

やがて大名となった藤堂高虎が参勤交代の折に立ち寄り、主人に餅代を返すという人情話になっています。以来、藤堂藩では参勤交代では必ず、この店
に立ち寄り餅を食べるのが慣習になりました。藤堂高虎の旗指物はこの逸話から「三つ餅」。白餅は、「城持ち」に通じるという験担ぎもあるようです。この三
つ餅から作られたのがシロモチ君。

募金したらシロモチ君のステッカーがもらえました!

桔梗が丘へ

kikyou201103.jpg午後から桔梗が丘の企業へ。

桔梗が丘は奈良県との県境にある名張市にあり、近鉄が開発した住宅地です。大阪のベッドタウンの最東端になっています。一戸建ての広い家が買える
ということで人気で近鉄・桔梗が丘駅から大阪まで通う人が多かったのですが、通っていた世代も団塊の世代になってしまい、定期の利用者が極端に減ったそう
です。

桔梗が丘は近鉄が開発した地域ですが昔から奈良の桜井から初瀬街道が通っていて、伊勢神宮に仕えた斎王が伊勢へと赴いた道です。壬申の乱で東北へ
向かう大海人皇子が歩いた道でもあり古代の国道1号線ですね。次の美旗駅には古墳群があり、駅のすぐ近くに前方後円墳が今でも残っています。電車の窓から
見れます。前方後円墳の頂上へ登れますが、けっこう高く実に雄大ですねえ。