津ぎょうざ B1-グランプリ優勝

津ぎょうざ
津ぎょうざ

津ぎょうざがB-1グランプリで優勝したそうです。

「第11回 B-1グランプリ(明石で開催)」で、「津ぎょうざ小学校」が第1位にに2位は「釧路ザンタレなんまら盛り揚げ隊」、3位「袋井宿たまごふわふわほっと隊」でした。津ぎょうざは学校給食から生まれたメニューで、直径15センチの皮を使った大きな揚げぎょうざ。

私が小学校の頃にはなく、小学校給食に登場したのは1985年頃から、今も食べられているそうです。津の名物といえば鰻なんですが、さすがに高いので名物として食べるにはお手頃です。津駅のチャム2Fに入っている飲食店などでも出しています。

竹屋精肉店 閉店(津市)

竹屋精肉店
竹屋精肉店

商工中金津支店が移転した跡地に建てた竹屋精肉店が閉店していました。

張り紙には昨年11月21日にオープンしましたが閉店したということで1年もたなかったんですね。レストラン営業は続けるともありました。

でっかい精肉のオブジェが店頭にあったんですが朝日屋と伊勢屋の間に割り込んだ形での出店でしたから、難しかったのかなあ。

トラカフェ食堂

桔梗が丘
桔梗が丘

午後、企業研修でしたので大阪から桔梗が丘へ。駅前に近鉄百貨店がありましたが、撤退。三重県内の百貨店は津の松菱と四日市の近鉄百貨店だけになりました。

近鉄百貨店時代は喫茶店やパン屋さんなどランチに困らなかったのですが、今は伊勢が中心のスーパーが入っています。このスーパーの一角にトラカフェ食堂があります。別に阪神ファンというわけではなく、スーパー・ギュウトラだからだそうです。伊勢を中心に展開している地元スーパーです。

駅前でランチを食べようとすると、このトラカフェ食堂だけですね。定食が6種類ほどあって安い(460円だっけ?)ですので、とってもリーズナブル。買い物客などが利用しています。

向きがずれている郵便ポスト

向きがずれている郵便ポスト
向きがずれている郵便ポスト

津市・北丸ノ内の国道23号線沿いに郵便ポストがあります。近くには第三銀行・津支店があります。

通るたびに不思議だったのが郵便ポストの向き。微妙に30度ほどずれています。歩道も広いので、まっすぐに郵便ポストを置いても問題はなさそうですが、なぜかずれています。台風などの風を考慮して、この向きにしたのか、工事をした時に何かの手違いでこうなったのか謎は深まるばかり。

何年もずれたままでしたが、最近、郵便ポストが新しくなり向きも普通になってしまいましたあ。微妙にずれていた方が味わいがあったのに(笑)。

この男がジブリを支えた。近藤喜文展

ムーン
ムーン

三重県立博物館が開館5周年ということで記念特別展「この男がジブリを支えた。近藤喜文展」を行っています。前から気になっていたのですが、午前中の予定がうまく空いたので、のぞいてきました。

アニメータ近藤喜文の原画やイメージボード、スケッチ等が多数展示されていて、ルパン三世、未来少年コナン、赤毛のアン、名探偵ホームズなど懐かしいですねえ。会場では日米合作映画「リトル・ニモ」のパイロットフィルムが上映されていました。

スタジオジブリ時代になると火垂るの墓、おもひでぽろぽろ、魔女の宅急便、紅の豚、もののけ姫などが展示され、監督をした「耳をすませば」は特に充実しています。会場の最後には「耳にすませば」に出てくる猫「ムーン」と一緒に写真が撮れる撮影コーナーがあり、SNS対策もしていました。それよりも帰りに見つけたのが博物館入口の階段のところにあったのがムーンのシルエット。細かい仕事をしていますなあ。

大阪などで同様の展示会を行えば連日、長蛇の列でしょうが、さすがに平日の三重県立美術館なんで、ゆったり見られます。9月16日までで、平日月曜は休館です。

丸ノ内商店街

丸ノ内商店街
丸ノ内商店街

津の丸ノ内商店街(津城の城域にあったので丸ノ内です)は国道23号線に沿って南北になっているので、暑い夏の朝は東側の日陰を歩きます。これでだいぶ温度が違いますね。

神田神保町の古書店はほとんどが北向きになっていて、これは日で本が焼けるのを防ぐためです。インバウンドで賑わう奈良の東向商店街は東側がすぐ興福寺の境内になっていて西側にしか店ができなかったので東向という名前となりました。ところが興福寺の力が弱くなり東側にも店が作られるようになって、ふつうの商店街となって名前だけが残っています。

赤太郎の天気予報

伊勢新聞
伊勢新聞

東海地域では「伊勢の名物~赤福餅はえぇじゃないか」というCMソングがよくテレビで流れ、赤太郎という名前の漫画の侍が登場します。赤福のキャラクターになっています。

三重には伊勢新聞という地域紙があり、地域の細かな話まで掲載されています。創業は明治11年。同一題字では日本最古の日刊新聞なんだそうです。

この伊勢新聞の題字下に長年赤福が提供する「まんが天気予報」というコーナーがあります。県内を北・中部、南部、伊賀の3地域に分けて、それぞれに赤福のCMキャラクターである「赤太郎」のイラストを挿入した天気が掲載されています。時たま伊勢新聞を読んでいるんですが、天気予報が赤太郎になっていることに始めて気がつきました(笑)。

江戸橋

江戸橋
江戸橋

近鉄・江戸橋駅から三重大学へ行く途中にある江戸橋。津藩主である藤堂家が参勤交代時に江戸へ向かう時、橋の傍まで見送りに来たことに由来しています。
けっこう古い橋でしたので工事が行われていましたが、ようやく開通したようです。歩行者は先に渡れるようになっていましたが、車もOKになっていました。

桑名三重信用金庫

桑名三重信用金庫
桑名三重信用金庫

三重信用金庫の看板が桑名三重信用金庫に変わっていました。桑名信用金庫と松阪を地盤とする三重信用金庫が2/25に合併しています。以前、北伊勢信用金庫と上野信用金庫が合併して北伊勢上野信用金庫が誕生しており、これで三重県内の信用金庫は・桑名三重信用金庫・北伊勢上野信用金庫・津信用金庫・紀北信用金庫(尾鷲)になっています。


地銀は百五銀行とこれまた三重銀行と第三銀行が合併してできた三十三フィナンシャルグループの二行体制で、北からは大垣共立銀行が西からは南都銀行が県境をまたいで攻め込んでいます。

宝塚古墳の被葬者は誰?

宝塚古墳

船型埴輪が見つかったのが宝塚古墳の1号墳で、伊勢国では最大の前方後円墳です。宝塚古墳は松阪郊外の丘陵上にあり伊勢湾が一望できるところで、航行中の船からはランドマークになっていたでしょう。宝塚古墳は国の史跡として整備され船形埴輪が見つかった造り出し部分に埴輪が再現されています。

【伊勢にもあった国譲り神話】
1号墳の被葬者は分かっていませんが、地域をおさめた飯高氏の先祖である乙加豆知命(オトカズチノミコト)ではないかともいわれています。乙加豆知命は斎王である倭姫命を伊勢で出迎えたと伝わっていますので、大和朝廷と関係があり、東の守りをまかされた人物でしょう。日本武尊(ヤマトタケル)が東征に出向く前、伊勢へ寄って倭姫命より草薙剣を受け取っています。

伊勢にはもともと伊勢津彦という出雲神がいて、神武天皇に逆らっていました。ところが攻められて東海に逃げたという、出雲と同じような国譲り神話が残っています。伊勢という国名はこの伊勢津彦からとられたという説があり、古代にはいろいろとあったようです。

1号墳のすぐ横に2号墳があり、こちらは帆立貝形古墳になっています。1号墳との位置関係から1号墳の後を引き継いだ首長のようです。宝塚古墳には88基以上の古墳があり、王家の谷のようになっていましたが、宅地開発などでほとんどが消滅してしまいました。