天神祭

 

tenjin2010071.jpg大阪産業創造館で「Web屋のための起業塾」を2008年、2009年を担当したのですが、講師の一人であるキネトスコープ社廣瀬社長のお誘いで「帰ってきた大平ビル祭り」へ参加してきました。天神祭になるとやっていたそうで、しばらく休止後の再開だそうです。

このためにワザワザ、Flashでホームページまで作っています。これが「帰ってきたウルトラマン」のパロディー、古いなあ。Flashなどデザイン系のサイト作りが得意な企業です。

tenjin2010072.jpgキネトスコープ社がある大平ビルは天神橋のたもとにあるビル。4階が屋上になっていて上がると天神祭りが一望できます。ビル横の通りを神輿が通り、下は講の船の出発地になっていました。生ビールを飲みながら眺められ、なかなか絶景ですね。

屋上にはワタガシ、風船釣り、金魚すくいのコーナーまで用意され、後はおいしい料理を食べながらお酒を飲み続けていました。ウチの奥さんも連れて行ったのですがはまっていましたね。

 

三々五々、いろいろな参加者が到着。参加者の多くはメビック扇町の卒業生などが多く、そこかしこでIT系の話題が。それにしても天神祭を上から俯瞰したのは初めて。贅沢な一日でした。 廣瀬社長、素敵な一時をありがとうございました。

百済寺跡(枚方)

百済寺祝日ですが授業回数確保のため、京都橘大学は平常授業。他の大学の多くでも今日は授業です。祝日ですが学生の出席はよく、休みは一人だけ。私が学生だったら、自主休講ですが(笑)

 

 

 

 

帰りに京都と大阪百済寺のちょうど真ん中にある枚方駅で下車しました。寺田屋などがある京都・伏見から大阪の八軒家まで三十石船で川下りすると、ちょうど枚方で「くらわんか舟」が出て、飲食物を提供していました。物流の拠点です。

枚方から一駅行った宮之坂駅で降りて、高台に向かって坂を上ると百済王神社があります。この横に拡がっているのが百済寺跡。遺構はよく残っており、塔、門跡などには礎石も残っています。東西に塔があり、薬師寺のような伽藍配置だったんですね。

百済寺建立は天平勝宝2(750)頃で、陸奥守に任ぜられた百済王敬福が黄金900両を献じたことで東大寺大仏に鍍金する金が不足していたので、聖武天皇は大喜び。宮内卿&河内守となり、枚方に住むようになって百済寺を作りました。今や住宅街になってしまいましたが、出来た当時は高台に燦然とそびえていたんでしょうなあ。

写真撮影

AllAboutのサイトに掲載しているガイド写真が古くなってきたので、そろそろ撮り直しましょうという連絡がありました。そういえば2002年3月にオープンして、しばらくしてから恵比寿にあったAllAbout本社で撮った写真ですので5年以上も前になります。

stdio201006.jpg自分で撮ってもよいのですが、せっかくなので堺筋本町のスタジオを予約して撮影に行ってきました。StudioAiryという堺筋本町駅からすぐのスタジオです。デザイナーズマンションの一室で9階にありました。

上着やネクタイを持ち込んで撮影。100枚ほど映してもらってCD-ROMに焼いてもらいました。さすがに被写体が悪いので「奇跡の一枚」にはなりませんね。とりあえず、よさげな写真を編集者に送信。

ツイ大阪

堺筋本町にある シティプラザ大阪で「ツイ大阪 夏の大感謝祭」があり、参加してきました。なぜか大阪と言いながら三重県企業がスタッフで参加しております。(笑)

 
touzai2010062.jpg協賛企業の一つにテーブルマーク(旧カトキチ)があり、Twitterの世界で親父ギャグで有名な末広部長が登場。立食コーナーにはたこ焼きやお好み焼きなどが提供されていました。平松大阪市長の突然の参加もあり、盛り上がりました。

 

 

 
touzai2010061.jpg盛り上がりに一役かっていたのが、今や珍しいチンドン屋さん。よく見たら座長はちんどん通信社の林社長でした。2004年6月に知研関西で「ちんどん屋的 路上の観察術」というタイトルで講演いただきました。2日前に北京から帰ってきたなど、あいかわらず海外が多そうです。

三線(さんしん)の夕べ

時たま知研関西に参加し、2次会で飲む人物に高橋茂人という方がいます。

最初は単なる「呑みすけオジサン」と思っていたのですが、実はなかなかすごい人物で、「マネジメントゲーム」による経営教育指導などをしている経営コンサルタントで、各地で行っており全都道府県を制覇しています。中小企業大学校の講師でもあり、ビジネスマインドネットワーク「自在塾」を主宰しています。

「久しぶりに大阪へ行って皆と飲むけど来ない?」とメールが来たので昨日、本町の沖縄創作料理を出すNa-Churaというお店へ出かけてきました。北御堂の近くにあります。お店に着くと三々五々メンバーが集まってきましたが、ほどんどが初対面。そんなことは関係なしに盛り上がりましたね。まあ知研関西の2次会も同じようなものです。

sansin201006.jpg

店は席が外までそのままオープンになっているパリのカフェのような雰囲気のお店。参加メンバーの一人が奄美大島出身で着物姿で三線(さんしん)と歌を披露してもらいました。席のすぐ先は雨音で、本町のビル街なんで、さすがに土曜の夜は真っ暗。まさに沖縄で飲んでいるようで雰囲気がよかったですね。

年齢判定ソフトによると52歳

雨の中、南港にあるインテックス大阪へ。
osaka20106183.jpg

本日は組込みソフトの展示会があり行ってきました。会場のブースの一つに年齢判定ソフトがありました。カメラを使った画像認識で何歳の男性、女性か判定し、何名通ったかカウントできるシステムです。

osaka201006182.jpg

カメラの前に立っていると、画面横に顔写真が出て52歳と出ました。実年齢とそれほど違わず、なかなか正確です。昨日、「水谷さんってもうじき 60ですか」と言われたので人間よりソフトの方が優秀ですなあ。まあソフトなんで判定した年齢からマイナスするような仕組みになっているかもしれませんが(笑)

osaka201006181.jpg

帰りにATC(アジアトレードセンター)へ寄ってきました。あいかわらず閑散としていますが、フェリー乗り場が出来ているんですねえ。サンフラワー号が停泊していました。

カーニバルプラザ

近鉄電車で生駒から上六に向かう途中、外環を渡る高架から近鉄ハーツが見えます。3月末に閉館しましたが、今日見たらほとんど更地になっていました。

近鉄が複数のディスカウント系専門店を集めて作ったパワーセンターで、最初の専門店の中にカーニバルプラザというシーフードを出す店がありました。店の中にメリーゴーランドがある変わった店で、子供が小さい頃はよく行きました。誕生日だと花火付きのケーキが出て、店員全員が歌ってくれるサービスがありました。これが目当てで子供の誕生日前後にはよく行きましたね。

このカーニバルプラザと一緒かどうか知りませんが、80年代、梅田にカーニバルプラザという同じ名前の店があり、しゃれた居酒屋でした。飲んだり食べたりしていると突然、店員が集まって、オペラのような歌が始まります。皆、声楽関係なのか本格的でしたねえ。なんとも変わった雰囲気のお店で好きだったのですが、このお店もなくなってしまいましたねえ。

昼から立ち飲み屋へ

LEC梅田本校で経営情報システムの講座。今年度・受験生向けの直前講座です。本試験まであと2ケ月なんですね。さて朝からウメチカを歩いていると立ち飲み屋さんは既に開店済。しかもお客さんが朝から入っています。いいなと思いながら仕事なので店の前をそのまま素通り。

さて講座を行い、昼過ぎに終わったので、昼飯を食べにウメチカの立ち飲み屋さんへ。もちろん串カツやらキャベツを生ビール付きで食べる昼飯です。(笑)おいしかった。

osaka20100605.jpg

そのまま谷五(谷町五丁目)へ出て、大阪古書会館で月に一回「たにまち古書即売会」を開催しているので、のぞいてきました。

さあて明日の準備をしないと!原稿も書かないといけないのですが、目の前にお酒のグラスがあるのは何でだろう?

澪標(みおつくし)

大阪市のシンボルマークになっているのが澪標(みおつくし)。南港にもありました。

osaka20100530.jpg

江戸時代、河村瑞賢によって開削された安治川を通って、大阪へ物資が運ばれました。入口となる天保山や水深の深い安全な水路に澪標が建てられていましたが、歴史は古く平安時代以前からこの形だったようです。

当時の物流は船が中心で、関西から江戸へ物資が運ばれました。これが「下りもの」です。初荷となる綿と酒は番船というレースが行われていました。安治川の会所で「送り切手」という参加証を受け取り、小船で外で待っている菱垣廻船に乗り込みスピードを競います。江戸まで最短で50時間で着いたそうです。

石川年足の墓誌

今日は大阪でお仕事。
お仕事の後、堺筋本町の大阪産業創造館へ。6月23日(水)に知的生産の技術研究会・関西セミナーを開催するので、その会場申込。

そのまま谷四まで歩いて、久しぶりに大阪歴史博物館へ。展示のスタートは10階で、難波京の大極殿からです。ここのイベントがけっこう好きです。

大極殿の柱の中で唐、新羅、日本へと流れる映像が流れます。やがてCGの難波京の大極殿が映り、朝庭にいならぶ官僚にむかい橘諸兄が難波京を都にする宣告をします。そうすると暗かった大極殿の扉が開き、見下ろすと現在の難波京が映ります。都会のど真ん中によくこんな遺跡が残っていました。
osaka2.jpg

また大阪歴史博物館周辺には大きな倉庫が並んでいて、復元されています。さて展示内容ですが、古代はけっこう新しい展示に変わっていました。また「遺跡から見た奈良時代の大阪」という特集展示をやっていて、高槻で発掘された石川年足墓誌(国宝)が展示されていました。

osaka1.jpg

この石川年足って、蘇我一族です。
蘇我馬子-蘇我倉麻呂-蘇我連子-蘇我安麻呂-石川石足-石川年足
となっていて、藤原仲麻呂や道鏡の時代に活躍した人物です。