酷道308号(暗越奈良街道)

暗峠

「サンドウィッチマン&芦田愛菜の博士ちゃん」で酷道博士をやっていたので番組でも紹介されていた国道308号線を登ってきました。ウチの家の近くに東高野街道と暗越奈良街道が交差しているところがあり、ここから登りはじめます。暗越奈良街道が国道308号になっています。近鉄奈良線を超えたところから1車線になり、ずっと登りが続きます。暗越奈良街道は最短距離で大阪と奈良を結びましたので、ほぼ直線になっていて、ひたすら登るしかありません。時たまバイクや車が通り過ぎますが最大排気で登っていますので通るとガソリン臭いこと

酷道らしく途中には斜度37度という坂も待っています。時間がかかってもよいという方は生駒山へのハイキングコースがいくつかあるので、そちらの方がよいでしょう。登るだけでもしんどいのですが、横をトレイルランしていくランナーやサイクリングで登っていくつわものもいます。麓から1時間ほど登ると石畳の暗峠に到達し、奈良の街が拡がっています。

東海道57次

京街道

東海道53次と学校で習いましたが実際に整備されたのは57次でした。歌川広重が東海道五拾三次之内という浮世絵を発表し、これが大ヒットしたため、53次が世間の常識になってしまいました。

京都で大名が公家と接触しないよう大名行列の行先を変更します。大津宿から山科の手前の髭茶屋追分で分かれて伏見から大坂へ向かうルートになり京都を通りません。東海道の延長として道中奉行の管轄下となり、伏見宿、淀宿、枚方宿、守口宿の4つの宿場が設けられます。ゴールは高麗橋で京街道と呼ばれます。

ということで守口宿の文禄堤から高麗橋を目指して出発です。今市、千林を超えて関目に到達。関目神社を目指す予定がルートを間違えて南下することに。蒲生四丁目に着いてしまったのでリタイア。地下鉄で帰ってきました。

文禄堤

文禄堤

秀吉が朝鮮出兵したのが文禄・慶長の役です。文禄は1592年~1596年までの期間ですが、この時に淀川左岸の堤防道を造りました。これが文禄堤で守口に一部が残っています。枚方から長柄(大阪)まで続く全長27kmの大堤防で、秀吉が毛利(毛利輝元、小早川隆景、吉川広家)に命じて作らせました。また堤防の上には大阪ー京都を結ぶ京街道が整備されます。高い土地の一角が守口宿跡に残っていて京阪守口駅のすぐ近くに文禄堤の断面図を見ることができます。高台になった京街道を歩くのは、なかなか風情があります。

文禄3年に秀吉は伏見城を造っていて、伏見を物流基地にするため宇治川・淀川等の付け替えなど大規模な治水工事を行っています。巨椋池への流路などを大きく変えて、太閤堤と呼ばれました。秀吉といえば大々的な土木工事で戦をした人物でした。秀吉が行った都市の大改造が今も京都や大阪にそのまま残っています。

ダイエー創業地

ダイエー創業地

価格破壊で松下電器産業の松下幸之助と戦ったダイエーの中内功。ダイエー・松下戦争と呼ばれましたが、今では知らない人も多いでしょうね。ダイエーは1957年で神戸市に大栄薬品工業株式会社という名前で設立されます。同じ歳に千林商店街に1号店「主婦の店・大栄(ダイエー)薬局店」をオープンします。千林商店街に行ったついでに創業の地に寄ってきましたが今はドラッグストアになっています。ちゃんとGoogleマップに出てきます。

この千林からダイエーの快進撃が始まりますが、今はイオンの傘下になっています。ひょうご産業活性化センターが三宮のサンパルにあった時、隣にダイエーとジュンク堂があったので、よく昼休みに利用していました。ダイエーのマークだったのが途中でイオンフードスタイルのマークに変わってしまいました。

大阪城天守閣

大阪城
  • 大阪城天守閣へ前回、行った時は長蛇の列で早々に退散。ということで土曜日はゴールデンウィークの終わりだし、雨が降りそうな天気、きっと観光客は少ないはずだと行ってみたら同じように長蛇の列でした。
  • 短そうに見えますが、実は右に折れて金蔵の方まで列は続いています。確かに日本人観光客は少ないのですが、周りはインバウンドの観光客ばかり、フランス語や韓国語やよく分からない言葉など、まず日本語が聞こえません。海外の博物館に並んでいるのと同じですね。
  • ■豊臣大坂城史
    さて目的は「豊臣大坂城史」というテーマ展です。エレベータも長蛇の列ですので、階段をひたすら登ります。テーマ展では秀吉などの朱印状や大坂冬の陣配陣図などがありました。屏風には有名な真田丸が二階建てで描かれ、寄せる徳川側も仕寄攻めのための竹束、塹壕、築山などが描かれています。堀には夜討ち防止のための提灯があります。大阪府よろす支援拠点のすぐ近くにある本町橋の戦いも載っていました。

小阪城

小阪城

近鉄・八戸ノ里駅近くに城のイラストが描いてあるビルがあり、なかなかいい趣味だなと近くに行った時に写真に撮っておいたのですが、これが天下の名城である小阪城だったんですね。

小阪城というのは小阪駅近くの理容店の上にあったお城です。理髪店店主が手作りで作ったもので地元では有名なお城でした。ところが2018年9月に台風21号によって落城してしまいました。天守閣がぶっとんでしまったのです。落城してからも見に行きました。

ところがNHKのBSプレミアムの番組「まいど!修繕屋です」(ダイアン主演)で復活プロジェクトがスタートしたそうで、再建はもういいという店主の声から城の絵を描くことに。あの城は小阪城だったんですね。けっこうでかいです。

商売繁盛で笹もってこい

額田戎神社
額田戎神社

個人事業は1月から第22期目に突入。法人は2月期末で現在、第6期目を推移中です。というわけで、えべっさんへ家の近く額田戎神社へ。西宮戎から勧請したので西宮までわざわざ行かなくてすみます。大体、すいていますし(笑)。ということで商売繁盛よろしゅうお願いします!

朝ドラ「舞い上がれ」ロケ地

朝ドラ「舞い上がれ」、舞台が東大阪ということもあり家の近所がよく出てきます。例えば主人公が浪速大学に入学するシーンで桜咲く川の横を通学で歩くシーンがありますが、これは花園ラグビー場近くの恩地川。隣には東花園駅に出る近鉄の車両基地があります。この道を歩いても近鉄電車で遮断されていて、「そんなとこ歩いても、どこへも行けまへんで」と朝ドラを見ながらつっこんでいます(笑)。

枚岡公園
枚岡公園

人力飛行機編では坂道を自転車で登る自主練習するシーンが出てきますが、これは枚岡公園への上り坂。私の散歩コースですがなあ。坂の近くに「森のおもちゃ箱」という滑り台などの遊具もあり週末は家族連れでにぎわっています。

立売堀

大阪の難読地名である立売堀(いたちぼり)の近辺で最近、仕事をしています。

立売堀川
立売堀川

名前の由来は諸説ありますが、その一つが大坂の陣。この地域を陣地にしていたのが伊達政宗。大坂夏の陣では、「道明寺の戦い」で後藤又兵衛らと戦います。遅れて到着した真田信繁とも交戦しますが、後退を余儀なくされます。

陣地にしたので堀を作っていましたが、堀跡を掘り進んで川としたことから伊達堀(「だてぼり」が「いたちぼり」に変化)と呼ばれるようになります。この川の沿岸で材木の立売(たちうり)が行われるようになり字を立売堀と改めますが、読みは「いたちぼり」のままなので難読地名となりました。

江戸時代の大坂は水運が発達し川だらけで、ここから西に流れていたのが立売堀川です。近くには2つの川が交差し四つの橋がかけられた四ツ橋がありました。

古河大阪ビルディング

今日は久しぶりに都会でお仕事(笑)。

古河大阪ビルディング
古河大阪ビルディング

堺筋本町界隈はオフィス街ですが高層建築というとタワマンばっかり。さすがに中ノ島界隈はオフィスの高層建築がけっこうあり都会の雰囲気です。大阪もようやく涼しくなってきたこともあり、紅葉がすすんでいます。

中之島フェスティバルタワー・ウエストに上がってきました。橋の向こうにサントリービルが見えるのですが古河大阪ビルディングは更地になっていました。SRAでシステム開発していた頃、分室があり徹夜などもよくやっていたのですが、なくなってしまいましたね。