高向

高向玄理

仁王山城がある旭ヶ丘団地を下ると高向という高台の街があります。高向ってどっかで聞いたな。と高向からさらに降りて道の駅・奥河内くろまろの郷まで下ると高向玄理の碑がありました。

そうか高向玄理って、河内長野出身だったんだあ。それで道の駅の名前にまでなっているんだあ。高向玄理って昔、日本史で習いましたねえ。遣隋使・小野妹子に同行する留学生として推古天皇16年(608年)に南淵請安、旻らと共に海をわたり隋に留学しました。留学中に隋から唐に変わり、30年以上にわたる留学を終えて帰国します。国博士となり政府の最高顧問で律令国家としての体制を整えていきます。

外交でも活躍し大化2年(646年)には遣新羅使として新羅に赴き、任那問題に活躍します。白雉5年(654年)には遣唐使として唐に赴きましたが長安で病死しました。

桑栄メイト

桑栄メイト

桑名商工会議所で経営発達支援計画推進会議があったので出席するために桑名駅へ。

桑名駅前東口に桑栄メイトがあったのですが、まだ残っていました。昔は駅から桑栄メイトを通って、桑名商工会議所が入っているサンファーレ2階にそのまま行けましたので便利でしたが老朽化もあり駅前再開発の一環で2020年7月末に閉館となりました。今は桑名駅を出て地上に降り、道路を渡り、また2階まで登らないと商工会議所までたどりつけません。

桑栄メイトを取り壊してナガシマスパーランドなどを運営する長島観光開発がホテルを建てる予定になっています。西口にもロータリーができて再開発しています。

水間観音

水間観音

興蔵寺城に登った帰りに水間観音にお参りに

聖武天皇の勅願で行基が開創したと伝わっています。戦国時代は秀吉と敵対する根来寺側についたため天正13年(1585年)に堀秀政に攻められて焼失します。江戸時代となり岸和田藩主である岡部氏が保護するようになり再建されます。

水間観音は「利生の銭」の逸話を井原西鶴が日本永代蔵に記載したことから全国的に有名になりました。一貫の銭を借りて帰った江戸の廻船問屋が、13年後に八千百九十二貫として返済奉納し廻船問屋はその功徳で末永く栄えたことから、仏から与えられた銭(利生)を翌年の初詣で倍額にして返し、商売繁盛などを祈る習わしとなります。

額田戎2025

額田戎

♪商売繁盛で笹もってこい!

ということで近くにある額田戎神社へ。えべっさんは耳が遠いとキャラ付けされていますので、社殿の裏側にまわり、たたいて「あんじょう、頼んまっせえ!」と念押しをします。

よく考えたら今年は前期高齢者になり、会社員でいえば定年になる歳です。こりゃ一生懸命働いている場合じゃないので、「ちょびっとの商売繁盛でええんで、よろしゅう頼みまっせえ!」と願い事を変え、縁起物を買ってきました。

恋路橋

恋路橋

大河原城がある大河原は宿場町で江戸時代は柳生藩が管轄していました。当時は水運が中心なので木津川の港として発展。本陣や問屋があり、馬借(運送)の詰め所もあり柳生藩から15頭の馬の使用が認められていました。

ここに沈み橋があります。川が増水すると水没してしまう橋のことで、なぜか恋路橋というユニークな名前がついています。橋を渡った先に恋愛・縁結びで知られる恋志谷神社があるところから名づけられています。なかなか雰囲気がある橋なので朝ドラ「カーネーション」などのロケで使われています。

おやぢの会 忘年会

つるとんたん

20年ほど続いている【おやぢの会】の忘年会。

オブザーバー参加のはずだったのが、知らない間に正会員になっています。忘年会の場所は「つるとんたん北新地店」で、うどんすきがおいしかったですねえ。忘年会が終わって店を出ると、入口に長蛇の行列ができていました。そんな有名店でしたっけ?御堂筋イルミネーションを見ながら帰りました。

忘年会の前は東梅田駅近くの清風堂書店へ。小さな新刊書店なんですが、品揃えが独特で面白い本に出あえます。京都にあった三月書房を彷彿とさせる書店ですね。続いて大阪駅第3ビルへ。昔は5軒ほど古書店が集まっていたんですが昨日は永井古書店だけしか開いていませんでした。

適塾

適塾

淀屋橋近くにある適塾へ。

司馬遼太郎の「花神」(大村益次郎の物語)を読んで訪れて以来なのでウン十年ぶり。地元の人間って、いつも行けると思うと行かないもので、通天閣もハルカスの展望台も行ったことないですね。単に高所恐怖症というだけなんですが(笑)

適塾は緒方洪庵が開いた蘭学塾で全国から福澤諭吉、大村益次郎、橋本佐内、大鳥圭介、箕作秋坪、佐野常民などが集まり、明治の礎を作る多くの若者を送り出しました。2階にはヅーフ部屋があります。この部屋にヅーフ編オランダ日本語辞典が置かれ塾生が争って使っていました。

塾生は塾頭の総括のもと成績で等級にわけられ,昇級競争は激しく切磋琢磨しながら勉強しました。争って勉強した部屋などを見学できます。階段が城なみに急になっていますね。

旭光

旭光

深溝城の復元模型などを見に行った幸田町郷土資料館ですが、屋外にいろいろと面白いものが展示されていました。その一つが旭光という戦闘機。リンゴの品種みたいな名前ですねえ。

F-86セイバーという機種でジェット戦闘機の第一世代になります。昔、プラモデルで作りました。アメリカ製ですが日本やイタリアでも生産されたそうで、派生型も含めて1万機ほどが造られたそうです。航空自衛隊での愛称が旭光(きょっこう)だそうです。

ちょうど「小牧・長久手合戦 秀吉と家康、天下分け目の真相」 (角川新書 平山優著)を読んでいて「家忠日記」の記載がたくさん出てきます。家忠は深溝松平氏で本拠地が深溝城。幸田町郷土資料館へ行くのは歴史好きだけですが、行くと戦闘機やヘリなどが屋外展示されていて目が点になります。こちらを目的に行くマニアもいるそうです。

中央構造線(長篠露頭)

中央構造線(長篠露頭)

昔、地理で習ったのが中央構造線とフォッサマグナ。フォッサマグナは日本中央部を南北に横断する溝で、西には糸魚川-静岡構造線があります。中央構造線は日本列島を東西に約1,000km走る断層で衛星写真をみると四国の真ん中を通る山脈がそのまま紀伊半島につながっているのが分かります。これが関東までつながっていますが長篠城ちかくに露頭しているところがありました。

行ってみたら豊川の川沿いの崖でした。(笑)黒い地層と白い地層できれいに分かれていました。

生駒ケーブル

生駒ケーブル

日下の直越道に行く前に、まずは生駒山をえっちらおっちら登ります。まずは縦走路に入れる生駒山麓公園を目指します。公園にはアスレチックなどいろいろありますが、生駒ケーブルの古い車両がありました。

生駒ケーブルは大正7年に開業し宝山寺への参詣に活躍します。生駒ケーブルは生駒山上遊園地まで続いています。生駒山上遊園地から大阪平野と奈良が見渡せますので戦中は飛行塔が防空監視所として使われました。そのため生駒ケーブルは金属類回収で廃線になる鉄道が多い中、存続しました。

現在も動いているケーブルとして生駒ケーブルが最も古くなりました。なかなか味わいがある車両でした。