五色塚古墳

明石海峡大橋のすぐ近くにあるのが五色塚古墳。高台に築かれた前方後円墳で、今は明石海峡大橋がランドマークですが、古代はこの五色塚古墳がダントツのランドマークでした。航行していた船からよく見えたでしょうね。後円からの眺めは抜群で明石海峡や四国がよく見えます。

五色塚古墳
五色塚古墳

五色塚古墳は全長194mで兵庫県最大の前方後円墳になります。古墳時代中期の4世紀末~5世紀初頭に造られたようですが被葬者は分かっていません。明石海峡一帯を支配した豪族の首長でしょうが、大和政権の大王墓に匹敵する規模ですので、大和との関りがあった人物になります。五色塚古墳からは大和政権の領域になると明示する効果もあったようです。山陽電鉄・霞ヶ丘駅から歩いてすぐです。

カーニバルプラザ

日経新聞夕刊(8/23)関西タイムラインに「カーニバルプラザって何?」という記事が

カーニバルプラザ、懐かしいですなあ。江坂駅近くにあるお店でちょくちょく行っていました。700席もある大型レストランで名物はシーフードエリアのカニでした。時間になると楽器隊が演奏して回る趣向があり、にぎやかなお店でしたね。記事によるとオープンは1983年12月とあります。

その前に梅田あたりに小さなお店がなかったかなあ。ここは時間になると店員による合唱がありました。声楽をやっているアルバイトばかりを採用していたようで、なかなかレベルが高かった記憶があります。「今度、江坂にお店ができるんです」と聞いて江坂店に行った記憶がありますが、なんせ昔の話なんで記憶違いかもしれません。

記事によると最盛期には市川市、金沢市、福岡市など6店舗を展開したそうで、1991年11月に近鉄ハーツ(東大阪)がオープンした時は中核施設として出店していました。なんせ店内にメリーゴーランドがあり、子供が小さい時によく行っていました。運営元はダスキンだったんですね。2007年に閉店となりました。

大中遺跡

五重塔がある圓満寺のすぐ近くにあるのが大中遺跡。台地の上にある弥生末期から古墳時代初頭にかけての集落跡で、ちょうど邪馬台国の時代とかぶります。1962年、考古学に興味をもっていた近くの中学生3人が土器を掘り出したことから発見されました。

大中遺跡
大中遺跡

まだ全体の20%しか調査されていませんが、73軒の竪穴住居跡が見つかっています。遺跡内には少なくとも250軒くらいの住居が建てられていたようで、こうなると邪馬台国のクニの一つですね。竪穴住居跡は一部復元して公開されています。

■野添城
遺跡があるのは大中という地名で、あとで地図を見てみると、すぐ隣に野添城の地名が残っています。城東公園やら城の宮公園など気になる名前が多いのですが、現在は住宅地で城らしい痕跡は皆無。地名として残っているので城郭か何かあったんでしょうね。

播磨 五重塔

JRに乗って姫路訪問へ向かうと加古川駅手前で瀬戸内海側に五重塔が見えます。なかなか風情があり前から気になっていたので地図で調べて行ってきました。最寄り駅はJR土山駅です。

円満寺 五重塔
円満寺 五重塔

圓満寺という高野山真言宗のお寺で、お目当ての五重塔は木造ではなく、塔の外には階段がついていて各階に登れるようになっています。中にはエレベータもあるそうです。舎利宝塔という名前で平成5年に建てられ、高さは42メートルもあります。こういうものは変に調べず、遠くから眺めるのが一番ですなあ。

寺の歴史を見ると弘法大師の開祖といいながら昭和まで歴史が飛んでいて霊園の話が出てくるので、けっこう新しい寺のようです。

IMPビル

京橋でお仕事だったので帰りは久しぶりにOBP(大阪ビジネスパーク)へ。大阪砲兵工廠があったところで小松左京の「日本アパッチ族」の舞台となったところです。今は再開発され超高層ビル群と公園で構成されています。TWIN21ビルのすぐ横にあるのがIMPビルで上に貸し会議室があり、20年ほど前、ITコーディネータのケースケース会場として使っていたので、よく来ていました。懐かしいな~。

IMPビル
IMPビル

IMPビルの隣には読売テレビのビルができていてコナンの銅像もありました。そうそう団扇をもった女性がたくさんいて、大阪城ホールでキンプリのコンサートだったんですねえ。その後、ITコーディネータの研修会場は梅田スカイビルに移り、最後は松屋町のUHA味覚糖ビルとなりました。

関西学院構内古墳

関西学院大学です。関西は「くわんせい」と読みますので「かんさいがくいん」と言うと怒られます。

関西学院構内古墳
関西学院構内古墳

関西学院大学は創立40周年の1929年(昭和4年)に神戸から甲東村(西宮市)へ移転。移転した上ケ原校地は東六甲石丁場など遺跡が多い所でした。社会学部の裏手には古墳もあり、関西学院構内古墳と呼ばれています。古墳時代後期に造られたもので、このあたりに古墳群がありましたが多くが消失しました。

上ケ原では江戸時代に用水を整備し新田が作られます。江戸時代に建てられた道標や、用水を分配する石の分水樋がそこかしこに残っています。

旧三井家下鴨別邸

時代劇の定番といえば「お代官様、これを...」「越後屋、お主も悪よのう」で出てくるのが日本橋にあった越後屋(三越)です。時代劇では悪役イメージですが、店頭で現金取引、掛け値なしのビジネスモデルを提供し大成功します。皆さん、よくご存じのように三井といえば松坂商人です。松阪には三井財閥の基礎を築いた三井高利の生家跡地が三井家発祥地として残っています。

旧三井家下鴨別邸
旧三井家下鴨別邸

この三井家には11家あったそうですが、共有の別邸が下鴨神社のすぐ近くにあり、これが旧三井家下鴨別邸です。1階座敷から庭を眺めることができ、よく京都特集の番組でも使われています。3階に望楼があるのが特徴で、明治時代の建物です。下鴨納涼古本まつりに行ったついでにのぞいてきました。

大阪歴史博物館

久しぶりに谷四にある大阪歴史博物館へ

大阪歴史博物館
大阪歴史博物館

一番上の展示場が難波京大極殿をモチーフにしていて朱塗りの柱が原寸大に復元され、官人が整列しています。以前は暗いなか、上のスクリーンに長安から新羅、難波京への旅が映し出され、難波京大極殿前に整列した官人の前で左大臣である橘諸兄が聖武天皇による遷都の詔を読み上げるシーンで終わります。大極殿を俯瞰する映像に変わって現代の姿にだんだんと変貌すると、前方の窓が全部開きます。そして現在の難波京跡が俯瞰できるという粋な演出になっていました。

とってもダイナミックだったんですが、開閉動作を続けるのは保守が大変ということもあり、現在は開けっ放しになっていて映像を流しています。

龍田社

奈良には龍田神社が2つあります。一つは三郷町にある龍田大社で、風の神様で有名です。近くの斑鳩にも龍田社という神社があります。

龍田社
龍田社

龍田社は聖徳太子が寺地を探し求めていた時に、白髪の老人に化身した龍田大明神があらわれ、「斑鳩の里こそが仏法興隆の地である。私はその守護神となろう」と言われたそうです。そこで法隆寺を建立し、鎮守社として龍田大明神を祀る龍田社を創建したのが由来だそうです。

龍田社の元々の祭神は龍田比古神・龍田比女神でしたが、龍田大社から天御柱命・国御柱命が勧請され、こちらが主祭神となっています。『大和志』では、龍田大社の本宮に対して龍田新宮となっているので龍田大社の後にできたのでしょう。

■金剛流の発祥地
能の発祥は奈良で観世(結崎座)、金剛(坂戸座)、宝生(外山座)、金春(円満井座)は大和四座と呼ばれています。龍田地域には、金剛流の源流とされる「坂戸座猿楽」が古くからあり秋の祭礼には、村人たちにより猿楽や田楽が演じられてきました。そこで境内には「金剛流発祥の地」の碑が建立されています。

能は代々の政権に保護され、江戸時代には江戸城内に町人5千人が招待され、将軍とともに能を楽しむイベントがありました。この日ばかりは無礼講で、将軍が登場すると「親玉!」や「成田屋!」という声が町人からかかったそうです。

築留(大和川付け替え)

大和川は亀の瀬から大阪に出て、現在はそのまま西に流れ堺市の北側で大阪湾に出ます。古代は、北に流れ河内湖に注いでいました。難波津に着いた隋からの使節は河内湖から大和川に入り南下し、亀の瀬から斑鳩、飛鳥を目指しました。

築留(大和川付け替え)
築留(大和川付け替え)

江戸時代になると、この大和川が天井川になってしまい周囲の田よりも3メートルほど高くなってしまいました。大雨が降ると洪水になってしまいます。ここで中甚兵衛という人物が中心になって大和川の付け替えが計画されますが、新しく流路になる村などは猛反対。抵抗勢力を排除しながら付け替えは成功。鴻池新田などが生まれます。

大和川の付け替えをした場所が「築留(つきどめ)」。土を積み上げて(築いて)、川の流れを止めた(留めた)所です。明治時代には煉瓦造りの単アーチ型樋門も作られました。現在の玉串川、長瀬川になります。