■吉野宮
大海人皇子が妃の鵜野皇女らと隠棲していたのが吉野宮。どこにあったのか長らく不明でしたが昭和になり地元の郷土史家らが宮滝で古い時代の瓦や土器を採取したことから発見されました。吉野川沿いに広場があり、ここが吉野宮(宮滝遺跡)があったところです。
碑と説明版がありますが、吉野神宮からは離れていて、けっこう辺鄙な所で、飛鳥からは峠を越えて吉野川へ出て川を遡らないと到達できません。ここが壬申の乱の出発地になります。里中満智子の「天上の虹」の舞台ですなあ。
■吉野の盟約
天武天皇として即位した後、皇后となった鵜野皇女や草壁皇子らを連れて吉野宮に行幸して行ったのが吉野の盟約。草壁皇子を次期天皇とし、異母兄弟同士互いに助けて相争わないことを誓わせました。皇位継承で争いが多かったので、それを防ぐ目的がありました。
ところが天武天皇と草壁皇子が相次いで没したことから鵜野皇女が即位して持統天皇になります。その後、通算して33回の吉野宮行幸を行っています。後に続く文武天皇・元正天皇・聖武天皇も吉野宮への行幸をしていますので、聖域になっていたようです。