物部氏の渋川廃寺

八尾でお仕事でしたので渋川天神社へ。JR久宝寺駅と八尾駅のちょうど間の住宅街の中にあり、めちゃくちゃマイナーな天神社です。

渋川天神社
渋川天神社

八尾、東大阪といえば物部の土地です。渋川天神社は物部守屋の別宅があったと言われている場所で、昭和10年に国鉄の操車場を作る時に塔跡などの伽藍があったことが発見されました。これが渋川廃寺です。

物部守屋と蘇我馬子が仏教崇拝で抗争したと歴史で習いましたが、物部氏が伽藍を建てていたとすると日本書紀の記述とはあわなくなりますね。大伴金村が任那を百済に割譲して賄賂をもらった事件が起き、物部尾輿などから外交政策の失敗を攻められた記事があり半島情勢の利権がからんでいたようです。

梅田ホワイティ

昨日はLEC梅田で1次試験前の総まとめ講座。

今年は中小企業診断士試験が8月21日(土)・22日(日)といつもより遅くなり受験生にとってはちょっと余裕がありますが、条件は皆さん一緒なので最後の追い込みを頑張ってください。

LEC梅田へは地下街ホワイティ梅田を通っていくのですが朝はどの店も閉店していました。緊急事態制限が終わったので朝9時からやっている立ち飲み屋も復活したかなとみていましたが閉まっていました。

講義が終わって夕方、通ると全ての店が開いておりました。もちろん立ち飲み屋も開いており、久しぶりにヨネヤへ寄って一杯だけ飲んで帰ってきました。立ち飲みエリアは一人づつアクリル板で完全に遮断されており、ソースやキャベツも個別で感染対策はバッチリですね。

漏月庵

大阪府よろず支援拠点を出て大阪城公園を通り森ノ宮駅から帰っています。なんせ六番櫓と一番櫓を眺めることができます(笑)。大阪城へ向かう途中に大村益次郎の寓居跡である漏月庵があります。司馬遼太郎の「花神」の主人公ですね。

漏月庵
漏月庵

大村益次郎、適塾に学び、後に出身地である長州藩に招かれて軍の指揮をとることになります。第二次長州征伐で幕府軍を翻弄し、彰義隊との戦いを1日で終わらせました。最初に適塾で学んだ時には住み込みでしたが長崎でシーボルトに学んでから再度、適塾に学んだ時に塾頭になります。実入りもあったこともあり、この碑のあったところから適塾に通っていました。夜、寝転がっていると月明かりが家の中に漏れたので「漏月庵」と名付けたそうです。

楠木正行首塚

日経新聞夕刊を見ていると宝塚月組「桜嵐記」の記事が載っていました。

楠木正行首塚
楠木正行首塚

月組トップ美園さくらの退団講演なんだそうで主人公はなんと楠木正行。楠木正成は有名ですけど、さすがに息子の知名度はそれほど高くないんですが宝塚ってけっこうマイナーな人物に焦点をあてるんですね。以前は阿弖流為(アテルイ 坂上田村麻呂に降伏した蝦夷の長)もやっていました。

記事によると末弟である楠木正儀まで登場するそうです。楠木正行は南朝を率い四條畷の戦いで高師直と戦いましたが敗北します。四条畷にの楠公御墓所がありますが、瓢箪山駅近くにある四条、畷という地で戦ったという説もあり枚岡公園近くの山手町にも首塚があります。住宅街の中にありますが特に案内もないので、すごく分かりにくい所にあります。

末弟の楠木正儀は南北朝統一まで奔走し、お墓は楠木正成が活躍した千早城跡にあります。

居酒屋じょうもん

ファイティング・コンサルタンツという中小企業診断士の研究会(昔はコンサルティングファームを目指していたこともありました)で、よく根城にしていたのが中百舌鳥にある居酒屋じょうもん。

居酒屋じょうもん
居酒屋じょうもん

土曜日に研究会を14~17時まで行い、17時~21時頃まで宴会をしておりました。研究会よりも宴会が長く、17時まで研究会を行うのも開店時間が17時という要因が大きかったですね。大体、16時50分になったら片付けていたし(笑)。

本日は堺でお仕事。コロナ禍で居酒屋は大変ですが、ランチ営業をしているようでしたので寄ってきました。居酒屋じょうもんの日替わり定食(750円)はハムカツ&マグロカツでした。

石切神社 上之社

散歩がてら石切神社へ。デンボの神様やお百度参りで有名なのが下之宮ですが、今回は山の上にある上之宮へ行ってきました。いい運動になります。

石切神社 上之社
石切神社 上之社

もともと石切神社は生駒山山頂近くの宮山に饒速日尊(にぎはやひのみこと)、つまり物部氏の祖先神と可美真手命(うましまじのみこと、饒速日尊の子供)を祀っていました。ですが宮山に登るのは登山になりますので気楽に参拝に行けません。というわけで崇神天皇の時代に可美真手命を下之社(今の石切神社)に移します。

なんで饒速日尊も一緒に移さなかったんですかねえ。これで宮山の饒速日尊と下之社の可美真手命の二座体制となります。さすがに宮山まで登るのがしんどくなったのか慶安三年(1650)、由比正雪の乱の頃ですなあ。この年に饒速日尊が宮山から光堂山(今の上之社)に移されます。高さは低くなりましたが山の上という点は変わりません。

明治40年には下之社に合祀されます。これで現在の石切神社になります。上之社は石碑だけでしたが再興されました。上之社からは大阪平野が一望できます。可美真手命ですが石見国一之宮である物部神社の祭神でもあり、一説にはヤマトの命令で出雲を平定した神様でもあります

深野池・新開地

東大阪市役所から届いたハザードマップを見ていると地下鉄・中央線(横の赤い線)北側が青くなっていて、つまり大雨などで洪水の危険があるところです。

ハザードマップ
ハザードマップ

右側の青いところは深野池(ふこのいけ)と呼ばれる湖があった場所。左側の青いところは新開地池ですね。古代、大阪市や東大阪市は河内湖と呼ばれる湖が拡がっていました。上町大地だけが湖に突き出しており四天王寺の伽藍がすぐ近くの海から見えました。

河内湖はだんだん縮小していったのですが、深野池などは江戸時代まで残りました。ハザードマップで青くなっているのは玉櫛川、吉田川、菱江川など大和川が大和から大阪へ出て分岐した川跡です。洪水などが多かったので江戸時代に大和川の付替えが行われ鴻池新田など多くの新田開発が行われます。

災害が多い日本ですので家を買う前に古地図を確認し歴史を調べるのは鉄則ですねえ。

祟道神社

神社検索にとっても便利な法人番号検索サイト!「崇道」と入力するとヒットするのな9件で奈良に4件あります。

祟道神社
祟道神社

ですが出てくるのは奈良市内の4社だけ、法人番号検索サイトに出てこない小さな社がけっこうあり、昔、御所を歩いていた時に崇道神社を見つけました。

崇道天皇とは天皇に即位していない早良親王のこと、非業の死を遂げて怨霊となったため崇道天皇と追称されました。映画「陰陽道」で安倍晴明と戦っていました。

早良親王の容疑は桓武天皇の命で長岡宮を造営していた藤原種継暗殺事件です。結局、桓武天皇は平安京に遷都しますが、遷都の理由の一つが奈良仏教界の影響力低下を狙ったこと。当時の仏教界はテロ組織みたいなものですから暗殺も不思議ではありません。早良親王は奈良仏教界とも近かったので、まったくのシロというわけでもなさそうです。ただし無実の罪で殺されて怨霊になったということで崇道神社や御霊神社として祀られることになります。

山口神社

杵築神社と奈良に多いのが山口神社で法人番号検索サイトで検索すると全国39件中15件を占め、2番目は鳥取で7件です。同様に多いのが水分神社でこちらは48件中、18件、御県神社にいたっては5件すべてが奈良です。

鴨山口神社
鴨山口神社

奈良平野を取り巻く形であるのが御県神社で、さらにそれを取り巻くように山口神社があり、さらに高地の分水嶺に配置されているのが水分神社で同心円状になっています。御県は「みあがた」と呼んで、天皇の食事に供える農作物を栽培した朝廷の直轄地になります。

伊勢神宮の式年遷宮の最初が山口祭で新社殿の用材を切り出すにあたって「山の口に坐す神」に祈るお祭りです。山口神社は山の神と関係しているのでしょう。奈良の神社は奥深いですねえ。

杵築神社

磯城郡川西町吐田にある杵築(きづき)神社です。300mほど離れた所から大和川の改修によって移転しました。

杵築神社
杵築神社

この杵築神社の祭神はスサノオノミコトで、なぜか奈良県にたくさんあります。今は便利なツールがあって国税庁法人番号公表サイトで「杵築神社」と入力して検索すると44件ヒットします。その中で奈良県内が半分以上の24、次に続くのは大分と岡山の3なんで奈良がダントツです。

■さてクイズです。

日本一有名な杵築神社と言えばどこでしょうか?

ピンポン!そうです。出雲大社です。

古代から杵築大社と呼ばれてきましたが、明治4年に出雲大社へと改称されました。この時に祭神もスサノオノミコトから大国主に変更になっています。もっとも平安時代ぐらいまでは大国主が祭神だったようです。杵築大社がある島根には津和野しか杵築神社が見つかりませんでした。

でもなんでスサノオノミコトを祀る杵築神社が奈良に多いのでしょうか?

梅原猛「神々の流竄」ではヤマタノオロチは「大和のオロチ」で三輪山の神さんだと論説していましたが、後年、出雲から大量の銅鐸、銅剣、銅矛が大量に見つかったことから、やはりヤマタノオロチは出雲だということになっています。

でも杵築神社がなんで奈良に多いんですかねえ。