枚岡秋郷祭り 踏切超え

枚岡秋郷祭り

河内一之宮 枚岡神社の秋郷祭り。

麓にある東高野街道沿いに枚岡神社の一の鳥居があり、朝から各町内を巡った23基の太鼓台が集合。順次、枚岡神社までの坂を登り始めます。坂を延々と登り枚岡神社までもう少しというところにたちはだかるのが近鉄奈良線の踏切。枚岡駅のすぐ横です。この踏切を渡ったところから一番急な坂が30メートルほど続き、ここが難所となります。

この踏切超えの太鼓台を見るのが一番、面白いですね。近鉄の職員がダイヤを見ながら太鼓台を通す時間を見計らいます。ところが通る近鉄電車の運転手は駅周辺の山のような人だかりを見て減速するもので、なかなかダイヤ通りにはいきません。いろいろと連絡をとりあって23基もの太鼓台を通していきます。

動画はこちらです

まもなく枚岡祭り

枚岡祭

風と共に太鼓の響く音が聞こえます。まもなく枚岡祭りですねえ。

枚岡祭りとは河内国一ノ宮である枚岡神社の秋郷祭りで。祇園祭のように日程が固定で、10月14日が宵宮、15日が本宮となります。今年は14日が日曜と重なり何とか祭りが見られそうです。

枚岡神社は日本最古の神社の1つで、枚岡神社に祀られていた天児屋根命(藤原氏の祖神)と比売神(天児屋根命の奥さん)が奈良に勧請されて春日大社(東大寺の隣にあります)となりました。ですので枚岡神社は元春日とも呼ばれています。枚岡は神武東征の舞台となった土地で社伝では神武天皇の勅命でできた神社だそうです。

枚岡祭りでは地元の9地区から大中小合わせて23台の太鼓台が出ます。9月下旬から夕方に夜にかけて太鼓台の太鼓を打つ練習がはじまり、それが風で届きます。

会津屋(関の小万)

会津屋

東海道五十三次、47番目の宿場が関宿。京都に向かうには次の坂下宿から難所といわれた鈴鹿峠を超えて近江の土山宿に入ります。

関宿には町屋が今も200棟以上が現存し、国の重要伝統的建造物群保存地区になっています。関宿を歩くと、まるで時代劇のセットを歩いているようでインスタ映えは間違いなし。木曽路の馬籠、妻籠ではなく、落ち着いた雰囲気の奈良井宿にちかい感じです。

■会津屋 関の小万
この関宿の地蔵院前にあるのが「会津屋」さん。手作りおこわと、おそばの店です。大正時代のかまどに薪をくべ、地下水を使って蒸す山菜おこわが名物になっています。山菜おこわは「おひつ」で出てきて絶品!

会津屋さんは元は旅籠山田屋で、江戸時代には仇討ちで有名な「関の小万」の生家となります。

身重ながら夫の敵討ちのために関宿までたどりつき、ここで女の子(小万)を出産しますが、小万のお母さんはまもなく亡くなります。そのまま山田屋の主人と女将に育てられたのが小万。亡き両親のことを養父母から聞いた小万は武芸に励み、見事に本懐を遂げます。仇討はあっと云う間に全国に拡がり、浄瑠璃・歌舞伎・小説などの題材となります。鈴鹿馬子唄にも”昔恋しい鈴鹿を越えりゃ 関の小万の声がする”など小万のことが出てきます。

赤坂頓宮跡

赤坂頓宮跡

亀山でお仕事でしたので加茂駅から久しぶりに関西本線に乗って亀山駅を目指します。ちょっと時間があったので、一つ手前の関駅で下車。前から行きたかった赤坂頓宮跡に寄ってきました。関宿は東海道の宿場町で有名ですが、少し離れたところ赤坂頓宮跡があります。

■赤坂頓宮とは
藤原広嗣の乱が起きると聖武天皇は乱の最中に、突然、関東(伊勢、美濃)への謎の行幸を始めます。壬申の乱で大海人王子(天武天皇)がたどった道をなぞっていることが定説になっていますが理由がよく分かっていません。最終的に平城京に戻らないまま恭仁京へ遷都し大仏建立に動きます。

この鈴鹿関を抜けて関東に入ったところに仮宮を建て、これが赤坂頓宮になっています。丘の上で裏側には郭と土塁跡がありますので砦としても使えそうです。

■鈴鹿頓宮跡?
姫御前という地名があたりに残っていて都から伊勢の斎宮へ向かう斎王が泊まった鈴鹿頓宮跡があったのではとも言われています。

離宮院跡

離宮院跡

伊勢神宮の入口にあるのが宮川の渡し。この宮川の手前にあったのが斎宮(さいくう)の離宮院です。斎宮とは古代から南北朝時代にかけて、伊勢神宮に奉仕した斎王の御所で、現在も発掘が続いています。

■斎王
斎王は天皇の皇女などが任命され、天照大神の御杖代となりました。初代が豊鍬入姫命で、現在の伊勢神宮を創建したのが2代目の倭姫命になります。有名なのが大来皇女で、謀反を起こしたと殺された大津皇子を偲んだ「うつそみの人にあるわれや明日よりは 二上山を弟背(いろせ)とわが見む」が万葉集に残っています。

■離宮院
斎王が斎宮から伊勢神宮へ向かう途中に立ち寄ったのが離宮院で、離宮院ができたのは延暦16年(797年)。坂上田村麻呂が征夷大将軍に任命された年になります。斎宮と同様に離宮院も広かったようで、たくさんの役所が並んでいました。839年に火災で燃えましたが、すぐに再建されたようで、当時の土塁跡が今も残っています。北側が5メートルほどの高低差がある丘になっていて防御力は高そうです。

パンドラの匣(太宰治)

パンドラの匣

太宰治といえば「人間失格」や「斜陽」など暗いイメージがあるんですが、二編ほど青春快活物を書いています。

その一作が「パンドラの匣」。ちょうど太平洋戦争が終わった頃、結核患者向け療養所に入った青年の周りで巻き起こる小さな日常のドタバタを描いた作品です。この療養所が変わっていて健康道場という名前で、院長は場長、看護師さんは助手、入院患者は塾生と呼ばれ、場長の闘病法である屈伸鍛錬などを行うのが日課になっています。助手のマア坊や、竹さんとのやり取りや個性的な療養患者がなかなか面白い作品で2009年には映画化もされているんですね。(出演は染谷将太、ふかわりょう等)

■「パンドラの匣」の舞台は日下
もともと太宰ファンだった青年が療養生活の内容を日誌に残しており、亡くなってから太宰治に送られ「パンドラの匣」となりました。物語の舞台となった健康道場は東大阪市の日下にあり孔舎衙健康道場という名前です。高台にあって今は跡地だけが残っていまが、案内板もあり、石切駅から離れていて、けっこう不便な場所ですが熱心な太宰ファンが通っているようです。

「パンドラの匣」には”枕元の大きい硝子窓の下には、十坪くらいの「乙女ヶ池」とかいう(この名は、あまり感心しないが)いつも涼しく澄んでいる池があって”とありますが、健康道場跡にある高台から見えるこの池のことですかねえ。

岩瀬文庫

真田丸

愛知県西尾市にあるのが岩瀬文庫。西尾市は岡崎の近くにあります。

この西尾出身の実業家・岩瀬弥助が創設した私立図書館が岩瀬文庫です。このほど所蔵する絵図や地図をネット上で閲覧できるデータベースの運用を始めました。無料でしかも事前登録などもいらず、そのまま見ることができます。全国の古地図もあり、大阪のを見ていると大坂の陣の絵図も出てきました。

→ 岩瀬文庫

大坂城の配置を見ていると真田左衛門とあり、これが真田丸ですね。真田丸の正面には加賀の前田利常が陣をはり、井伊掃部は彦根の井伊直孝ですね。伏見城や聚楽第の絵図もあり、なかなか楽しめます。

上田秋成(日下)

東大阪

大阪・曽根崎生まれの上田秋成。怪異小説「雨月物語」の作者として有名ですが国学にも造詣が深く本居宣長とも論争しました。

妻を亡くし、両目を患っていた上田秋成は東大阪の日下で4ケ月ほど療養します。日下に正法寺という寺があり、ここの紫蓮(唯心尼)が招いたそうです。近郷の文芸愛好者が集まり、文芸サロンの様な雰囲気になっていました。先日、孔舎衙坂駅へ行ったついでに寄ってみましたが今は正法寺はなく2本の楠と看板だけが残っています。

近くには日下村の庄屋を務めた河澄家があり、こちらにも上田秋成はよく出入りしていたようで、随筆「山霧記」にも河澄家を訪れたことが書かれています。河澄家は修理されて平成23年5月より一般公開されています。

保護猫カフェ285

保護猫カフェ285

知合いがオープンした保護猫カフェ285

場所は津市島崎町285番地にあり、津駅からまっすぐ15分ほど海に向かって歩いたところにあります。すぐ近くにエイデン、コスモス、ユニクロ、モスバーガー があり、もともとは居酒屋&カラオケのあったところです。

1階はふつうのカフェで2階が保護猫エリアになっていました。7月2日にオープンしたばかりで、ホームページも製作中だそうです。定休日は月曜・木曜で朝は何時からスタートか分かりませんが、夜は20時(ラストオーダー19時30分) までで、なかなかオシャレなカフェになっています。津方面の方、ぜひどうぞ!

100m上がると0.6度気温が下がる

枚岡神社
毎日、暑いですね。
大阪も猛暑が続いています。夏越の祓のお札が届いたので、前回の祓のお札を返すために枚岡神社へ。そのまま枚岡公園を散歩してきました。標高は100メートルほどあるので、0.6度ぐらい涼しくなるはずですが誤差の範囲でした。坂を登るのに汗をかきましたが、大阪平野が一望できます。
Gooの天気予報に過去の大阪の気温があったので本日の最高気温を5年ごとに見てみると
1961年 33.7
1966年 31.9
1971年 32.6
1976年 31.4
1981年 34.0
1986年 31.2
1991年 29.3
1996年 34.0
2001年 27.5
2006年 33.8
2011年 34.8
2016年 31.5
となります。1961年の7月の気温を見てみると一番高いのが35.5度です。やはり、温暖化が進んでいるようです。