決戦はいつも岐阜

決戦はいつも岐阜

関ケ原に「決戦はいつも岐阜」という旗がありました。

関ケ原は関東と関西のはざまで東西の勢力がぶつかる点でもありました。有名なのが石田三成と徳川家康が激突した関ケ原の戦いですが、大海人皇子と大友皇子が戦った壬申の乱でも決戦の舞台となります。ちなみに壬申の乱の翌年に不破の関が設けられます。

承久の乱は後鳥羽上皇が北条義時の追討を命じますが、鎌倉軍と激突し摩免戸の戦い、杭瀬川の戦いで敗れます。大河ドラマ「鎌倉殿の13人」でも描かれていました。杭瀬川は関ケ原の戦いでも島左近が前哨戦として戦い、徳川軍に一泡吹かせました。

旗には青野原の戦いはのっていないんですね。少年ジャンプで「逃げ上手の若君」が連載していますが、ちょうど青野原(関ケ原)の戦いが描かれています。奥州から北畠顕家が率いる南朝方が土岐頼遠ら北朝方の軍勢と激突し、最終的には勝利しますが、最後は堺で行われた石津の戦いで戦死します。北畠顕家は20歳の若さでした。

書寫山圓教寺

書寫山圓教寺

姫路・書寫山にある古刹です。室町時代の大講堂、食堂、常行堂が残っていて重要文化財になっています。食堂の建立は1174年(承安四年)ですので保元・平治の乱(源平合戦)の前ですね。雰囲気抜群なので多くのドラマや映画のロケ地になっています。特に有名なのがトム・クルーズ、渡辺謙、真田広之、小雪らが出演した映画「ラストサムライ」です。

■ラストサムライのモデル
幕末に私人として幕府軍に協力していたフランス軍人がいました。30年ぐらい前に読んだ本の巻頭に写真が掲載されていて、函館戦争の前に洋服の軍服を来た日本人に交じってフランス人士官4名映っている写真です。本はこの写真を元にフランス人士官を捜索する物語です。歴史が掘り起こされて、詳細が分かるようになりましたが幕府軍の指導にきていたブリュネ砲兵中尉です。

戊辰戦争となりフランス公使らが帰国するなか、ナポレオン3世あてに辞表を提出し、榎本武揚など幕府軍とともに転戦し、五稜郭の戦いにも参加しています。幕府軍が陥落する前に箱館港に停泊中していたフランス軍艦で脱出、フランスに連れ戻されます。軍事裁判ものでしたが騎士道をつらぬいたブリュネへのフランス国民の後押しがあり最終的には軍に戻れます。

■南北戦争で日本人が参戦していた!
戦いにはいろいろな側面があるんですね。「南北戦争を戦った日本人」(筑摩書房)も面白かったですよ。吉田松陰がアメリカに密航しようとして捕まった事件が有名ですが、実際に密航したケースや遭難で海外にわたっているケースがありました。また咸臨丸からも3名が行方不明になっています。水夫クラスで西欧の進んだ姿をみたのが原因かもしれません。

■屋根瓦の落書き
天文24年(1555)瓦職人が落書きしたもので甚六なる男の成仏祈願をしたもので、どうも同性愛のようです。

七里の渡し

七里の渡し

新幹線で名古屋が近づくと揖斐川、木曽川、長良川という木曽三川を渡ります。けっこうな川幅があるため昔は越えるのが大変でした。東海道の宮宿(熱田神宮)から桑名宿までが海を渡るルートになっていて約7里(27㎞)あったので七里の渡しと言われています。

バイパスとして佐屋街道があり宮宿から佐屋宿まで歩いて、佐屋宿から桑名宿まで三里の渡しがありました。もしくは宮宿から美濃路に入り中山道・垂井宿にすすみます。川幅は狭くなりますが、それぞれ渡船を使う必要がありました。

七里の渡しは4時間~6時間の船旅で1711年の船賃は一人45文(1,500円ぐらい)でした。桑名の船着き場は桑名城のすぐ横で、城の横に東海道がありました。桑名は伊勢国の入口でしたので一の鳥居が建っています。伊勢神宮の式年遷宮にあわせて内宮の宇治橋外側の鳥居が移築されています。歌川広重の東海道53次の絵で有名な場所です。

岐阜バス

岐阜駅前に赤く小さなバスがとまっていました。なんと無人バスで2023年11月から2028年まで5年間、運行するそうです。平日は10~16時まで運行していて毎時0分、30分に岐阜駅を出発しています。岐阜城の麓にある歴史博物館前にも停車するので観光客にも便利ですね。ただ土日は本数が減るそうです。

定員は10名で原則、予約制です。あとで案内を見たら空席がある場合は、予約なしでも乗車できるそうで、今度行く機会があれば乗ってみようっと。岐阜は駅前のバスが充実していて、ひっきりなしに来るので、わざわざ時間を予約して乗る人は限られるでしょう。また市内を走っているところを見ましたがチンタラ走っていました。急ぐ人には不向きですねえ。

さて岐阜バスですがICカードが使えると思って、読み取り機にかざしたら「ブー!」。岐阜バスが発行しているICカードしか使えないそうです。JRといい岐阜へ行くのはけっこう大変です。

2024年3月2日より、岐阜バスでも全国の交通系ICカードが利用可能になるそうです。

堂島グランドビルにマクドナルド

堂島グランドビル

リンクスウメダへ向かう前に、懐かしい堂島グランドビル前を通るとマクドナルドができていました。以前はみずほ銀行だったところです。

大学卒業後に入社したのがSRA関西支社で、堂島グランドビルと信号を渡った古河ビルにオフィスがありました。当時は上新庄に住んでいたので阪急梅田駅が最寄り駅でしたが梅田地下ダンジョンを通って雨に濡れずにオフィスまでいけました。

1980年代の堂島グランドビル1階には第一勧業銀行が入っていて便利でした。その後、みずほ銀行になって今度はマクドナルドです。小さな書店もあり、堂島はNTTや富士通などIT系企業が多かったので情報系の本が充実しており雑誌「Bit」と「UNIX Magazine」をよく買っていました。

堂島グランドビル地下1階にあったのが紅茶の名店「ムジカ」です。堂島地下街には民宿センター(?)でしたっけ、全国の民宿予約ができるお店があって便利でした。まだインターネットもない時代で民宿やホテルは電話予約が当たり前の時代です(笑)。その近くにはドムドムバーガーがあったなあ。今は昔の話です。

朝ドラ「ブギウギ」 油日神社

油日神社

NHK連続テレビ小説「ブギウギ」をずっと見ているのですが、いよいよ終戦の年である1945年が舞台でした。富山に慰問に来ているスズ子が歌った場所が神社の境内です。古びた神社で「鎮護」という扁額がかかっています。

どっかで見たことある神社だなと思ったら、次に楼門と回廊が映って、ピンポン!甲賀にある油日神社でした。室町時代の楼門、回廊、拝殿、本殿は重要文化財になっていて甲賀忍者の談合(話し合い)が行われた神社として有名です。

ロケ地としても、よく使われていて「るろうに剣心」、「わろてんか」などに登場しています。ですがNHKの大阪放送局からは遠い、山深いところにあり、片道2時間ぐらいかかりますねえ。

初詣2024

枚岡神社

河内一之宮の枚岡神社へ。昼ぐらいに行くと混雑していますが、朝はさすがにすいていますね。

河内は物部氏の土地で物部系の神様が多いのですが、なぜか枚岡神社は中臣氏の神様です。歴史はめちゃくちゃ古く、奈良の春日大社は枚岡神社の天児屋根命と比売神を勧請したので元春日とも呼ばれています。

枚岡神社は、ふだんはすいていて集客力はいまひとつ。近くにある物部の神様である石切神社はお百度参りなどで、いつも賑わっています。

稲田騒動(淡路島が兵庫県になったわけ)

御城番屋敷

淡路島といえばパソナではなく稲田騒動が有名です。明治3年(庚午の年)に起きたので庚午事変とも呼ばれています。

■全員解雇
昔、日本史で習いましたが明治2年に版籍奉還が行われます。藩が、所有していた土地【版】と人民【籍】を朝廷に返還させました。地方分権から中央集権国家にする流れでもありますし、古代のように大王が土地と民を支配する世の中に戻すともいえます。藩主はそのまま県知事に移行しますので、まだソフトランディングでした。

続けて禄制改革が行われます。武士への給与支払いを辞めて、その代わり公債を与えるので自分たちで何とかしろということですね。今でいえば県庁職員で安泰だと思っていたら、いきなり退職金を出すかわりに全員、失業ということです。公債をもとに慣れない商売に手を出して失敗する「武士の商法」が続出しました。

■淡路独立運動
稲田家はもともと蜂須賀小六の客分で、蜂須賀家の阿波入府にあわせて筆頭家老として淡路に入ります。家臣の意識は蜂須賀家と同格でしたが時代が過ぎるにあわせて蜂須賀家が主という振る舞いに変わっていきます。幕末、徳島藩は佐幕派なのに稲田家は尊王派という確執もあり、引き金となったのが禄制改革です。

徳島藩家臣は士族ですが、稲田家は卒族(下級武士扱い)となり、納得いかない稲田家では淡路を徳島藩から独立させる動きになります。徳島藩の一部過激派が淡路に乗り込んで戦いとなります。これが稲田騒動です。この騒動によって淡路は本来の徳島県ではなく、兵庫県に属することになり本日に至っています。

■松阪の御城番屋敷もお家騒動から
江戸時代、松阪は紀州藩の土地で、幕末に騒動が起きました。紀伊田辺に住んでいた紀州藩主直属の家臣に対して直臣(藩主直属)から陪臣(藩主の家来の家臣)になるように命じられます。本社のエリート街道を歩いていたのが、子会社へ転籍しろと命じられたのと同じですので抗議しましたがダメで、武士の誇りを選んで浪人しました。

浪人生活は6年にもなりましたが、あきらめずに伝手を頼って徳川慶喜などに嘆願。ようやく復帰がかない、新しい赴任先となったのが松阪城の御城番。騒動を起こしたので、紀州から離れたところへ行けということでしょう。ところが今度は明治維新が起きてしまいました。苦労して勝ち取った武家屋敷を守っていくため合資会社苗秀社を設立。皆で団結して時代を乗り切り、苗秀社は今も続いています。

幕末から明治にかけて、武士は失業というハードランディングを乗り越えるのに必死でした。

大阪城のライトアップ

大阪城

昨夜、大阪城を歩いていると天守閣が赤くライトアップされていました。

大変だあ!大阪城にかけつけなければ!!
と大阪人なら考えますが、インバウンド客以外に誰もいませんでした(笑)。そういえば、もう一つの印である瓢箪がなかったなあ。
12/1は世界エイズデーでレッドリボン運動をやっており、大阪城を赤色にライトアップしていたようです。

■プリンセス・トヨトミ
今は新刊の「ヒトコブラクダ層戦争」が出ていますが、万城目学の小説に「プリンセス・トヨトミ」があり、映画化もされています。大阪国という、日本政府も密かに認めているもう一つの国家があり、400年にわたり大阪人は秘密を守り続けています。ただし大阪城が赤くライトアップされ、瓢箪が配られると緊急事態発生ということで大阪人は大阪城へ向かわなければならないという奇想天外な物語です。

プリンセス・トヨトミは小説ですが、実際にバーチャル上ですが関西電子共和国(VRK)という別国家があり、国民に一員でした。関西電子共和国は亡くなってしまいましたので、レコンキスタをしなければ!

江戸川乱歩生家

犯人はお前だ!

江戸川乱歩生家

江戸川コナンの決め台詞ですが、江戸川といえば乱歩ですね。東京生まれのイメージが強いのですが生まれは名張です。もっとも2歳の時に亀山に移転し、翌年には名古屋に引越したので本人は覚えていないでしょう。生家は残っておらず初瀬街道から少し入ったところに公園があって案内板が建てられています。ただ三重とは縁が深く、鳥羽で働き、結婚もしました。この頃の経験から「パノラマ島奇談」などが生まれています。2023年は処女作「二銭銅貨」が発表されて100年だそうです。

戦後は日本探偵作家クラブを作ったり探偵雑誌などを創刊して若手を支援する活動が中心になります。ただ子供向けに探偵小説を書いており、怪人二十面相シリーズなどのヒットとなっていきます。以前、名張の木屋正酒造が「幻影城」という地酒を出していたんですが、まだ売っているのかなあ。