午後、名古屋の企業へ専門家派遣へ。午前中に前から気になっていた物部神社へ出かけてきました。物部神社は地下鉄桜通線・車道駅を降りてすぐの所にあります。祭神は物部氏の祖である宇摩志麻遅命。式内社ですので古代からあり、都会の一角によく残りましたね。
またここから歩いてすぐのところに高牟神社があります。JR千種駅のすぐそば。ここは物部氏の集落の一郭で、武器を納めた倉があり、現在の高室神社になっています。高室神社のあたりは常世の草香島(くさかじま)と呼ばれ清泉が湧き出ていました。今も境内に応神天皇に水を献上したと言われる古井が残っています。
私が住んでいる東大阪や八尾も物部の土地で、神社の神様と言うと決まって物部系です。おまけに八尾には大聖勝軍寺という寺があり、ここが物部守屋の稲城址。蘇我馬子、聖徳太子連合軍に敗れた場所で、近くには物部守屋の墓まであります。ほんまかいな(笑)
東大阪や八尾は今は大阪の東部ですが当時は海岸沿いで草香津から神武天皇が攻め入り敗れた場所でもあります。名古屋も古代の平野部は海で、名古屋城から熱田神宮あたりが海岸近くの高台でした。大阪も尾張も物部の土地で、不思議なご縁がありますねえ。
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八幡山古墳(鶴舞)
名古屋市新事業支援センターへ行く時、名古屋駅から地下鉄桜通線で吹上駅へ出るのですが、今日は桑名駅からJRに乗ったので名古屋駅で中央線に乗り換え鶴舞駅で下車。
鶴舞公園を抜けて、前から行きたかった八幡山古墳へ行ってきました。東海地方最大の円墳です。古墳というと木々が生い茂っていて、古墳だと分かりにくいんですが八幡山古墳は山の形がよく分かり、また円墳を取り巻く堀もくっきり残っています。戦時中、陸軍が高射砲陣地を造るために周囲の樹木は切ったそうで、それで山の形がよく分かるんですね。
八幡山古墳があるあたりは高台になっていて、住宅地などはかなりの坂になっています。御器所台地と呼ばれ、名古屋城や熱田神宮はこの台地沿いにあります。大阪で言えば四天王寺や難波宮がある上町台地のようなものですね。八幡山古墳以外にもたくさん古墳がありましたが名古屋刑務所を作る時に壊してしまったようです。
古墳周辺にはぐるっと回れるように道がついています。八幡山古墳を見た後に吹上ホールへ行こうとしたら、名古屋の道は東西南北がグチャグチャですので迷ってしまい、近所の人に道を聞いて、ようやく名古屋市新事業支援センターへたどりつきました。
早場米
吹上観音
名古屋市新事業支援センターは吹上ホールの5階にあり、目の前は100メートル道路。100メートル道路とは太平洋戦争後の復興計画でできたもので吹上ホールの前を通っているのは若宮大通です。
片道4車線で真ん中には別に高速道路が走っています。道路幅は文字通り100メートルあり、徒歩で横断すると片側車線を通って高速道路の上を歩いている途中で信号が変わります。2回の信号でないと渡れません。
吹上ホールのすぐ近くにあるのが吹上観音。支援センターの皆さんに聞いても誰も知らなかったので、ネットで調べて出かけてきました。
100メートル道路から細い通りを入ったすぐの所にあります。この通りは旧愛知郡道で細い通りですが明治時代にこの辺りにあった愛知郡の村々を結ぶ主要道でした。いわば現在の100メートル道路ですね。
吹上観音は思っていた以上に大きく、中央には千手観音、他には地蔵菩薩、弘法大師像、おもかる地蔵が並んでいました。小塚村の守護仏として文政4(1821)年につくられそうです。地元の方がずっとお参りしているようで、法要の時の写真などが堂内に飾られていました。
吹上観音の目的はもう一つあり、この地にあった古墳の霊を追悼する意味がありました。茶臼山古墳と太郎塚と呼ばれる2つの古墳があったようですが名古屋刑務所を建設する時に古墳をどうも壊してしまったようですね。100メートル道路を作る時に名古屋刑務所が移転され、現在の吹上ホールや吹上公園になっていますので名古屋市新産業支援センターは古墳の上に建っているのかもしれません。
IT窓口相談(四日市商工会議所)
午後、四日市商工会議所でIT窓口相談。
昨年度までIT窓口相談は毎月、第二金曜日が基本でしたが、今年度、三重県産業支援センターへ週1回しか行っておりませんので、行っている日程にあわせて相談日をずらしてもらっています。相談者の方とは調整済みで、今月は第二水曜でした。
もともと中小企業支援法ができて、都道府県等中小企業支援センターが出来た時に、地域の商工会議所などが地域中小企業支援センター(ローカル支援
センター)として設置されました。三重県の場合は四日市商工会議所と伊勢商工会議所がローカル支援センターに認定。当時からIT窓口相談が設定されていま
す。
相談が終わってから四日市商工会議所のすぐ近くにあるサイバー・ネット・コミュニケーションズへ。ここは民間企業なんですが、なかなかオシャレなインキュベーション施設「ビズスクエアよっかいち」を運営しています。
「ビズスクエアよっかいち」の入口近くの机に置いてあったのが「Mac Classic2」!
懐かしいなあ。まだ電源を入れたら現役でクラリス・ワークスなどが動くそうです。そういえば最初に買ったパソコンがMacSEで50万円以上もしたなあ。何台パソコンを買い換えたことか。
▼ビズスクエアよっかいち
http://
グスコーブドリの伝記
なんばパークスへ「グスコーブドリの伝記」を奥さんと見に行ってきました。
映画「銀河鉄道の夜」と同様にますむらひろしが猫のキャラクターで宮沢賢治の世界を描いています。最後のラストが唐突で、小説のような情感がなかったのは残念ですが、映像は実にきれいでしたね。特にイーハートーブの都市描写はすごかった。
また浅草にあった12階(凌雲閣、東京タワーのような高層建築で関東大震災で折れてしまいました)によく似た建物が出てきますが、最後のテロップ
を見ると資料提供で浅草12階とあり、やはりモチーフにしたんですね。でもあれは気がつかない人が多いでしょう。あと山師がヒデヨシそっっくりで、なかな
かいいキャラクターでした。
最後のテロップを見ているとアニメ制作は中国が中心なんですね。時代は変わりつつあります。
商工会議所にタブレット端末配布
エキスパート派遣で伊勢の企業へ。
同行した伊勢商工会議所の経営指導員がもっていたのがタブレット端末。7月から全国400の商工会議所に約8,600台が導入されたというニュースは日経新聞で見たのですが、持っている経営指導員を今日、はじめてみました。
商工会議所自らがモデルとなり地域中小企業のIT利活用を啓発、先導するのが目的なんだそうです。カメラで撮影した参考事例を企業さんに見せるな
ど、さっそく活用されていました。経営指導員も大変ですねえ。Wifiモデルなんだそうで、Wifiルーターを持ち出さないと外ではインターネット接続で
きないとか。
ニュースで調べたら導入されたのはドコモのタブレットなので、G3回線でいけるんじゃないかなあ。ただ通信費が商工会議所自前になるので、たぶん所内でしか使えないようにしているかもしれません。
今日は8月1日。深夜から神宮へお参りする「朔日(ついたち)参り」の日です。赤福が1日だけしか販売しない朔日餅を出していますが、8月の朔日
餅は八朔(はっさく)粟餅。そういえば家康が江戸城に入ったのも縁起がよい八朔の今日でした。朔日餅は粟餅に黒糖味の餡をのせたもので見た目は赤福に似て
いますが、味は全然違いますね。伊勢でいただきました。
四日市商工会議所でIT窓口相談
今日の午後は四日市商工会議所でIT窓口相談。
今日の四日市は暑かったですが、商工会議所は冷房がよく効いてて涼しかったですね。4、5年前に建替した新しいビルですので、空調は完璧です。
四日市商工会議所でのIT窓口相談、今までは第二金曜日に開催していましたが、最近、金曜日は名古屋新事業支援センターへ行くことが多いので、今月から第二水曜日に変更してもらっています。ITに限らず、なんでも相談にのっておりますので、ぜひどうぞ。
日本一乗るのが難しい名鉄・名古屋駅
名古屋市新事業支援センター、朝から3件の窓口相談があり1日しゃべっておりました。
先日、名古屋市新事業支援センターが行なっている専門家派遣事業の立ち会いで鳴海へ行ってきました。桶狭間の合戦の舞台の一つである鳴海城のあるところです。鳴海は名鉄線の沿線沿いですので、まずは名鉄・名古屋駅へ。
名鉄・名古屋駅は近鉄などと違い、ターミナル駅になっていません。上り下りの線路が2本あるだけです。乗ろうと思う方向にはセントレアへ向かう空港線、知多半島へ向かう路線などいろいろあります。これを一つのホームでさばいていますので大変です。
ホームには青、紫、緑などいろいろな色で書かれた線が少しずつ離れてあり、ここが電車に乗るために並ぶところになります。まず自分が乗る線がどの
色なのか把握しなければなりません。ホームの上に目的地別に色がついているので、この色に並べばよいのですが岡崎など最終目的が書かれていますので、自分
が降りたい駅の先にある駅を把握しておかなければなりません。
ひっきりなしに電車が入ってきますが、連動して色のボードが光るので、これは目的地に行くのかどうなのか瞬時に判断して乗り込みます。けっこう頭を使う路線ですね。名古屋在住でも、たまに名鉄に乗る人は迷うそうです。
幅15メートルの古代道路復元(斎宮)
午後、明和町の企業へコンサルティングに行っておりましたので、帰りに斎宮へ寄ってきました。行ったら斎宮歴史博物館は月曜なので休館でした(泣)
斎宮というのは伊勢神宮に奉仕した斎王の御所で、古代(崇神天皇)から南北朝の時代まで続きました。大津皇子が死ぬ前に伊勢斎宮であった姉、大伯
皇女のもとへ密かにおもむいたと万葉集に歌われています。最寄駅は近鉄斎宮で松阪から伊勢へ向かう途中にあるのですが普通しか止まりませんので、車で来る
人がほとんどです。
当時は碁盤の目状に道路が走り、100棟以上も建物が建ち並んでいました。規模は東西2km、南北700mで、斎王の世話をする女官、雑用係が500人。昔の大都会ですね。今は何もない田園地帯で国史跡となり発掘が進んでいます。今日も発掘した後を測量していました。
先日、幅15メートルの10~11世紀の古代道が復元されたというので見てきました。平城京の朱雀大路ほどではありませんが、広い道路ですね。日本最古の「いろは歌」の墨書土器が発見されましたが、この古代道路のすぐそばで見つかったんですね。