兜山古墳

兜山古墳

オフ会で泊まったのが鯖江にある三六温泉・神明苑。宿の近くに「歴史の道」があり、これが昔の北陸道なんですね。高台をずっと街道が続いています。この街道沿いにあるのが兜山古墳、直径70mもある円墳です。5世紀頃にできましたが古墳の一番上に八幡神社が建てられたため、住宅地なのに破壊をまぬがれました。他に2つの古墳が近くにあったのですが、こちらは残っていません。

兜山古墳は国史跡になっているので、きれいに整備され堀もきれいに残っています。頂上まで登ると眺めがいいですね。越前は継体天皇が出た地域で、兜山古墳は前方後円墳ではないので、このあたりの有力な首長墓とみられます。

総社大神宮

総社大神宮

武生(たけふ)にあるのが総社大神宮です。

■総社とは
総社は全国にありますがコスパ重視でできた神社です。国司が任国に赴任すると一ノ宮から二ノ宮、三ノ宮と土地の神様に順番に回って挨拶していましたが、やがてこれが形骸化。全部回るのは面倒くさいと始まったのが総社です。これは国内の神社を国府近くの1ケ所に集めたものです。総社神社や六所神社という名前で全国に残っています。

■紫式部ゆかりの神社
境内には越前国府の碑がありましたが、まだ正確な場所が判明していません。総社大神宮から100mほど離れた本興寺あたりではないかと発掘調査が行われています。越前国府といえば大河ドラマ「光る君へ」で藤原為時(岸谷五朗)が赴任し、紫式部がくっついていたところです。境内には紫式部ゆかりの神社というノボリが建っていました。

称念寺

称念寺

丸亀城から30分強、歩いたところに称念寺があり、新田義貞の墓で有名です。新田義貞は足利尊氏に敗れ、後醍醐天皇の息子である恒良親王、尊良親王を奉じて北陸に逃れ北陸王朝(九州王朝はうまくいきました)の樹立を目指しましたが、藤島(福井市)の戦いで討死にし称念寺に葬られました。

■新田氏は徳川の祖
寺の一角に大きなお墓がありました。徳川家は上野国新田郡徳川(得川)郷出身で新田氏が先祖ということにしていますので江戸時代は徳川家の庇護をうけています。ほんまかどうかは分かりません。

■明智光秀が10年間いた
この称念寺の門前に住んでいたのが美濃を追われた明智光秀で寺子屋を開いて10年間ほど住んでいたようです。大河ドラマ「麒麟がくる」でも描かれていましたね。称念寺近くに朝倉氏の家臣だった黒坂備中守の館があり、まず黒坂氏に仕えていたようです。ここから足利義昭の側近までステップアップしていたんですね。

さすがに一乗谷までは遠いので朝倉街道沿いにも拠点(明智神社があるところ)があり、お玉(細川ガラシャ)が生まれたのには称念寺と明智神社の2つの説があります。