真田丸のオープニング 備中松山城

備中松山城
備中松山城

大河ドラマ「真田丸」のオープニングで使われたのが備中松山城の大手門から見た姿。真田の岩櫃城は巨大な岩の上に造られた山城で、備中松山城が雰囲気によくあっており採用されたようです。

■現存天主
備中松山城で有名なのが城主の猫と現存天主です。明治の廃城令で天主も民間に売られたんですが、あまりにも不便な山上にあるので解体されずに放置され次第に荒廃していきます。やがて高梁町によって修復となりますが、小学生や中学校、女学生などが約2万枚の瓦を人力で頂上まで上げました。

■大石内蔵助が城番
備中松山城は城主が目まぐるしく変わった城としても有名で、城主の水谷家が断絶した時は赤穂藩主・浅野長矩が城の受取りにあたり、家老だった大石内蔵助が備中松山城を受け取り、城番を1年以上勤めていました。山道の途中に大石内蔵助が腰かけた岩が残っています。やがて赤穂城を受け渡す側となりますが、この時の経験がいきたようです。

ふだんの生活は麓の館で有事の際は山頂の城を詰城する根古屋式というのがあります。戦国時代に多い形態ですが江戸時代まで残っていたのは非常に珍しいですね。

城主さんじゅーろー

岡山まで来たので足をのばして備中高梁へ。

さんじゅーろー
さんじゅーろー

麓からせっせと山道を登って備中松山城へ。登っているのはハイカーと山城好きだけです。天主にいたのが城主の「さんじゅーろー」。なんでも豪雨の後、備中松山城三の丸で保護されたオス猫だそうです。

備中松山藩の藩士から新撰組の隊長になった谷三十郎にちなみ「さんじゅーろー」と名付けられました。城の管理事務所に常駐しているそうで、眠そうにしていました。

ぶたかば

ぶたかば
ぶたかば

岡山でお仕事。大阪から新幹線に乗りましたが1両に10名も乗っていない状態でした。

ランチは黒田さんに教えてもらったイオン岡山へ行って岡山B級グルメ「ぶたかば」を食べてきました。4階がでかいフードコートになっているんですね。「かばくろ」があったので、ぶたかば重&温玉トッピングです。「ぶたかば」とはウナギの蒲焼用のタレを用いて豚肉を炭火で焼いたもので、もともとは”まかない料理”からスタートしたそうです。

オンライン講座

オンライン講座
オンライン講座

大学から1週間授業開始が遅れると通知があり、のんびり準備できるなと思っていたら授業開始はゴールデンウィーク明けで、しかもオンラインでやってという要請が(笑)

ありゃまあ!オンラインで講義をやるんですかあ。というわけで、とりあえずZoomに格闘しております。Zoomを使うと参加者とファイル共有できるので画面で説明できる点がいいですね。ただ環境にもよりますが相手側の画面表示に遅延が出ますので、けっこうゆっくり講義しないとダメですね。

大学に行かなくてすむのはラッキーですが、講師の顔を写す必要があり、問題は背景ですねえ(笑)。書斎は子供部屋になっているし、どこでやろうかなあ。

一国一城の主セット発売

一国一城の主セット発売
一国一城の主セット発売

「一国一城の主」セット発売!!

各位                         2020年4月1日
            合同会社エムアイティエス・代表社員 水谷哲也

合同会社エムアイティエスから「一国一城の主」セットを発売開始し、初回受付を開始したことを、ご報告します。初回セット特典は後半で。

生まれたからには”一国一城の主”を目指せと昔からよく言われます。さすがに一国の主は難しいので、一城の主を実現するセットです。

■「一国一城の主」基本セット
ご指定の場所に山城を築きます。基本セットは単郭(20m×20m)、土塁(高さ3m)、堀、虎口、土橋です。土塁は版築工法で造ります。縄張作成も料金に含むお得なプランになっています。

■オプションのご案内
・基本セットは箱堀ですが薬研堀、毛抜掘に変更できます。
・基本セットは平入虎口ですが、食違虎口、枡形虎口に変更できます。
・虎口の前に馬出を造れます。

■価格(基本セット:工期1年ほど) 10億円

■オプション料金の目安
薬研堀+5千万、毛抜掘+4千万、食違虎口+1億、枡形虎口+1億5千万、馬出+2億

※初回セットは、なんと破格値の9億4800万円!しかも箱堀ではなく後北条氏が活用した障子堀になっています。さらに逆茂木もプレゼント!

ぜひ「一国一城の主」を目指しましょう!お申込、お待ちしております!

居伝城

居伝城
居伝城

峯山城から南に歩くとJR和歌山線の北宇智駅がある居伝に着きます。ここにあったのが居伝城です。

東谷山から3つの尾根が延びていて、この尾根上に城跡があります。山頂にも城跡があるはずなんですが、遺構は残っていないようです。尾根上には遺構が残っていて郭や堀切などを楽しめます。一部は民家になっているところもありますが、郭などが残っていました。

大和の国人である近内氏の城だったようで、近内善右衛門(ちかうちぜんざえもん)が1558年「郡内一揆」において国人衆の一員として連判状に署名した記録が残っています。

峯山城

峯山城
峯山城

風の森峠近くの東佐味に峯山があり、ここに峯山城があります。なかなか摩訶不思議な城跡です。山城といえば山頂にあるのが相場ですが、峯山城は尾根の先端にあります。郭がいくつかあり、土塁や大きな堀切などが見事です。峯山百体観音という観音巡りをする道があり、この道が城跡につながっています。

城から先の尾根筋は堀切で切られていますが、尾根から峯山山頂にかけて削平地があり、ここには南禅寺という真言宗寺院があったようです。山頂周辺には城としての遺構は残っておらず、本当に尾根の先だけが城跡のようです。山頂沿いから攻められた時の防御をどう考えていたんでしょうか、不思議な城です。

久しぶりの矢場トン

ワラジトンカツ
わらじトンカツ

LEC梅田で経営情報システムのステップアップ講座。

オリンピックの影響で中小企業診断士1次試験が1ケ月前倒しになって7月11日、12日に開催されることになりましたが肝心のオリンピックが延期になってしまいました。

不要不急の外出を自粛してくださいということでホワィテイ梅田はいつもの1/3ほどの人出で、かなりすいています。そうそう阪急三番街の北館B2にでっかいフードコートができていました。お店の一つが名古屋で有名な矢場トン。ランチは久しぶりに「わらじトンカツ」にしました。

高田城

高田城
高田城

JR高田駅から桜井線(万葉まほろば線)と和歌山線に分かれる所に高田城がありました。遺構は残っていませんが城の歴史については築城から破城まで分かっている、なかなか貴重な城です。

■築城
永享4年(1432)、足利義教(嘉吉の乱で赤松満祐に討たれた将軍)の命により、当麻兵庫守為貞が高田城を築城します。城主は嫡子で9歳だった為秀がつきました。当麻氏(高田氏)は一乗院方の国民です。

■戦乱
文正元年(1466)高田氏は応仁の乱では畠山政長方でした。対立する畠山義就&越智家栄によって高田城・布施城が攻められ落城します。敗れた高田氏は、筒井氏らと箸尾城に入ったようです。高田城には越智方が入りました。あとは目まぐるしく敵とくっついたり、いろいろと起きます。ベストセラーとなった呉座勇一の『応仁の乱―戦国時代を生んだ大乱』(中公新書)の通りですね。

永禄11年(1568)に織田信長が足利義昭を擁して上洛します。この時に松永久秀が信長によって大和守護に任じられます。髙田氏は松永久秀についたようで、今度は敵対する側となった筒井氏らに攻められ、松永久秀の救援により解放されます。その後、辰市合戦で松永久秀が筒井に敗れるなど紆余曲折がありました。筒井順慶が大和守護になり、松永久秀は信長に刃向かい信貴山で最後を遂げます

■破城
天正8年(1580)織田信長が筒井順慶に命じ大和郡山城を残し、他の大和にあった諸城を破却することになり高田城もこの時に破城となりました。

明智光秀の名前が初めて登場する田中城

田中城
田中城

大河ドラマ「麒麟がくる」で若き明智光秀が放映されていますが、前半生はよく分かっていません。「本能寺の変」の後、敗者となった光秀の書状などを処分したためでしょう。

■明智光秀の名前が初めて登場する田中城
2014年、米田家文書の紙背文に「明智十兵衛尉高嶋田中城籠城之時口伝也」と書かれているのが発見されました。幕臣だった米田貞能が光秀に高島郡の田中城へ籠城していた折に教えてもらったという内容です。文章には永禄9(1566)年の日付がありました。これが現在のところ光秀の名前が出てくる最初の文献です。

織田信長が足利義昭を擁して上洛するのは永禄11(1568)年で、永禄9年は信長がまだ美濃攻めしていた頃になります。その当時、光秀は将軍の奉公衆の一人だったようで、細川藤孝らと親交を結んでいたはずです。松永久秀と三好三人衆によって足利義輝が暗殺されたため田中城へ籠城したのかもしれません。

■よく整備された田中城
というわけで打下城に登った後、若き光秀が籠っていた田中城へ出かけてきました。JR安曇川駅からずっと西に行ったところにあり、山を越えれば朽木谷です。地元で大切にされているお城のようで、山道も整備され堀切や見張り台などにきちんと看板があり、しかも順路の看板までありました。いろいろな山城へ行きましたが、順路がある山城は初めてです。せっかくなので順路通りに巡ってきました。