新型コロナウイルスに関する経営相談窓口

大阪産業創造館
大阪産業創造館

大阪府よろず支援拠点では新型コロナウイルスに関する経営相談窓口を開設しています。

通常は平日だけなんですが緊急事態ですので土日もコーディネータが手分けして出て相談に対応しております。本日午後の担当は私で事務局と2名体制で行っています。

大阪府よろず支援拠点は大阪産業創造館2Fにありますが、同じフロアに貸し会議室などの部門もあり土日も開いていますから、土日も明るいですね。

東山山頂公園

東山山頂公園
東山山頂公園

東山霊山城があるんですが、霊山に最短で登る道が封鎖されていて、とりあえず隣山の東山山頂からバイパス道を探すしかなさそうです。長楽寺横からの山道で東山を目指します。途中、京都一周トレイルに合流するのでハイカーが多くなります。

東山山頂には公園があって京都市街と反対側の山科が一望できます。ここには将軍塚もあり、桓武天皇が和気清麻呂の進言で、王城鎮護のために甲冑で身を固めた武将像を埋めた場所と伝わっています。京都タワーなどがよく見えます。

補助金検索ができないjGrants

jGrants
jGrants

ものづくり補助金、小規模企業持続化補助金の公募がスタートしましたが、ものづくり補助金については電子申請での受付になりました。使うのがjGrantsというシステムですが使いにくいですね。
大体、補助金一覧に検索機能がない。ひたすら自分が応募したい補助金をページをめくって探すしかありません。
また同じ補助金が経済産業局単位に複数あがっているので、これまた見つけにくい。都道府県などを入力させて該当する経済産業局分だけ表示させればよいのに。
全国で何万社も補助金検索に時間をかけさせたら、それだけで生産性向上に逆行しているんですが...。

御陵衛士の屯所(新選組)

御陵衛士の屯所
御陵衛士の屯所

東山にあるのが御陵衛士(ごりょうえじ)の屯所。

高台寺塔頭の月真院を屯所にしていたので高台寺党とも呼ばれています。慶応3年に新選組・参謀だった伊東甲子太郎が一派を率いて新選組を離脱します。新選組は基本的に佐幕で伊東甲子太郎は勤王倒幕だったので思想の違いがあったのは事実ですが、単純に近藤や土方のやり方が気にくわなかったのかもしれません。

伊東甲子太郎と一緒に離脱した15名のなかには池田屋事件で活躍した藤堂平助も入っていました。またスパイのため斎藤一も入っています。伊東甲子太郎は藤堂平助と一緒に近江屋にも行き、坂本龍馬に見廻組等が狙っているので土佐藩邸に移れと忠告していますが、ほどなく中岡慎太郎とともに近江屋で暗殺されてしまいました。

結局、新選組は伊東甲子太郎を騙し討ちし油小路七条に遺体を放置します。遺体を引き取りに来た御陵衛士を待ち伏せて藤堂平助ら3名が討死し、これが世に名高い油小路事件です。

御陵衛士の何名かは生き残り、伏見街道の民家で近藤勇を狙撃し、右肩に重傷を負わせます。また近藤勇が偽名を使って流山で捕まった時に新政府軍に入っていた元御陵衛士に正体を見破られ斬首となりました。

銅閣

銅閣
銅閣

金閣、銀閣が有名ですが京都には銅閣もあります。

東山に大雲院があり、ここに銅閣があります。建てたのは大倉財閥の設立者である大倉喜八郎で、渋沢栄一らと鹿鳴館、帝国ホテル、帝国劇場などを設立した実業家です。大倉財閥というとホテルオークラや札幌の大倉山スキー場などがあります。

出来たのは昭和3年で3階建てになっています。屋根は銅板葺きで祇園祭の鉾を模した形をしています。

LEC梅田で経営情報システムの講義

LEC梅田
LEC梅田

LEC梅田で経営情報システムの講義。

教室に行ってみたら受講生は一人だけ。贅沢なことにマンツーマンレッスンでした(笑)。新コロナウイルスの影響でLECでも、なるべく生講義ではなくDVDやウェブでの講座受講に誘導していて、入口などに注意書きが貼ってありました。講師にも連絡してよ!

八坂の塔

八坂の塔
八坂の塔

八坂の塔。正式には法観寺の五重塔です。

戦国時代、上洛すると八坂の塔に定紋入りの旗を掲げて誰が京都を支配するか現す習わしがありました。これが「都に旗をたてる」です。

豊臣秀次もやっています。
93歳の時に関ケ原合戦の大垣城攻めにも加わった生涯現役の武士・大島光義という人物がおり、弓の名手でした。豊臣秀次に仕えた時、秀次は都の主が代わったことを示すため八坂の塔に旗を掲げ、それだけでなく八坂の塔の窓に、矢を放つよう家臣に命じました。皆が失敗を恐れて尻込みする中、当時、84歳だった大島光義が名乗り出て、一町以上離れた五重の窓に10矢全てを射込んで喝采を浴びます。

弓という一芸を磨き、どんな時代でも生き残ることができることを示した大島光義は97歳で亡くなります。

水素自動車

水素自動車
水素自動車

昨日は和歌山でお仕事。

駅まで県の公用車で迎えにきてもらいましたが、これが何と水素自動車。初めて乗りました。1回当たりの航続距離は700キロと言われていますが、目安は500キロぐらいだそうです。

和歌山県に水素ステーションは和歌山市しかないそうで串本までの往復は大丈夫ですが、新宮となると微妙だそうです。水素がなくなっても補充するところがありません。

それよりも車体に「wakayama」と書かれており、これだと悪いことはできませんなあ。

冥府への入口があった小野篁旧宅

小野篁旧宅
小野篁旧宅

六波羅探題の近くにあるのが六道珍皇寺で、小野篁の旧宅があった所です。そう閻魔大王の裁判の補佐をしていた人物です。

昼間は朝廷で官吏をしていますが、夜になると庭の井戸から冥府に入り、閻魔大王に仕え、帰りは嵯峨の井戸から出てきました。本堂背後の庭に、小野篁が冥土へ通うのに使ったという井戸が残っています。

小野篁は小野妹子の子孫で実在した公卿ですが、いろいろな書物に不思議な話が伝わっています。もともとは母親が亡くなった時、親孝行だった小野篁は、母に会うために冥土に通い始めます。苦しむ母をなんとか救おうとして閻魔大王に直談判したのが始まりでした。やがて命を落とした人間を裁こうとする閻魔大王に、その人間を弁護し、とりなすようになります。

小野篁の上司である藤原良相が他界した時にも、裁こうとした閻魔大王に、小野篁がなんとか助けてやってもらえるようにと掛け合ったことで、藤原良相は蘇生できた話が伝わっています。

六波羅探題

六波羅探題
六波羅探題

鎌倉幕府の出先機関である六波羅探題は旧平清盛邸の跡地に建てられ現在は東山開晴館になっています。写真は当時からあった六波羅蜜寺で東山開晴館はこの北側にあります。

足利尊氏の所領が丹波国篠村(京都府亀岡市)にあり、船上山に立て籠もる後醍醐天皇を攻撃するために山陰道を進みますが、既に討幕を考えていました。篠村八幡宮に北条氏打倒の願文を奉納し、Uターンして六波羅探題への総攻撃を開始します。明智光秀も”本能寺の変”の前に足利尊氏の故事に従って篠村八幡宮で戦勝祈願しましたので「麒麟がくる」でもシーンに出てくるでしょう。

室町幕府は幕府機能が京都にあったので出先機関はなし、江戸幕府では京都所司代が置かれました。